Hyper Carronade

灰色のはい

熱が出ていました。今は微熱ですが下がってきているので多分大丈夫…。

体温が高いだけでちょっと頭痛はするけど具合悪かったのは最初の一日だけ。多分、大丈夫…。一応病院で検査してもらいたいかな…。

コロナかも?って思った時、不安にはなったけど、正直このまま死んでも良いなと思ってしまった。最期まで迷惑かける死に方だなとは思ったけど、これ以上迷惑をかける事も恥をかく事も傷付くことも無くなると考えたら全然怖くなかったな。自分の漫画を完成させることが叶わなくなるけどそれも別に良いかなって思ってしまった。こんなものか、人生の価値。

思い返せば色々やって来た気がしたのに、何一つ出来るようになった事なんて無いんだわ。

自分で選び取った漫画制作も、私生活でもこれは得意という物がなにもない。ちょっとかじって中途半端な知識があるだけ。出来ない事ばかり。

もう30歳も見えてきた年齢。本気で生きている意味が分からない。

まあ、今に始まった事ではないんだけどさ。

もしこのまま生き延びるなら、いつか自分が一から作った作品を褒められたいかな。作品も褒められたいけど、自分も褒められたいな。

褒められた事、勿論あるけど、その経験よりも遥かに「駄目だ」「劣っている」と直接的あるいは言外に言われた経験の方が多い。

出来ない事が多いからこそ頑張らねばと思う反面、もう何も出来ない中途半端のクズのまま死んでもいいやという思いがある。

筆を折る日がすぐそこまで来ている。魔法と同時に描かなきゃという呪いも解けたみたいで、私はいつ諦めても良くなったのだ。

なんで今日はこんなに鬱な考えに陥っているんだろうか。

好きな物を書こうと思って何も思い浮かばなかったからか。

年齢

漫画家の夢、自分で本気なのかそうじゃないのか分からない。

漫画を生活の中で意識しているってだけで、別に量書いてる訳でも読んでる訳でもない。

もう年齢が年齢だから、今更漫画家デビュー目指すってどうなんだろう。一応新人賞の募集要項には年齢不問とか書いてあるけど、大体の漫画家さんは10代から20代前半でデビューしているしなあ。年齢によるディスアドありそうだよなあ。

いつだか少女漫画の新人賞で佳作常連の作家がいて、その人についてネットで年齢がいってるからこの人は駄目じゃない?何回やっても駄目ならいい加減諦めろみたいな評(今思えばただの悪意ある声)を見た記憶があるから歳を重ねるのが結構怖いのだ。ていうか、年齢晒すの辞めて欲しい。最近は見ないが。

まあ少女漫画はちょっと特殊かな…?最近読んでないな恋愛漫画

 

自分が幼い時は自分に魔法がかかっている感覚を持っていた。なんでもできる、なんでも描ける、漫画家にもなれる。それが解けたと明確に感じたのはやっぱり大学中退の時だ。自分にかかっていた魔法の正体は希望だったんだな~。私は弱いな~。

 

 

年齢がネックっていうのは、世間体っていうか単に収入面で不安っていう点に尽きるのよ。作家を数年中途半端にやって更に年を重ねたらもう就職先がかなり無くなってしまうんだよ。そのまま作家として円満に暮らせるならそれが一番いいけど、そうとは限らないわけで。ここで熱い人だったらじゃあ作家として暮らせるように頑張る!ってなるんだろうけど私は魔法が解けた一般人なので失敗した後の事を考えてしまうのだ。

失敗を恐れて研究ができようか。

失敗するたびに自分の能力の低さを実感する。ていうか寧ろ今まで成功経験があっただろうか…?良い作品作った経験があるだろうか…?

恐れる必要がないとはいえ傷付くのは怖い、怖いものは怖い。

でもそんな事言ってられる余裕はない。タイムリミットが迫っている。頑張りましょう。頑張りましょう。

 

原稿の為にアルバイトを辞めた為無職です。

楽になった反面、漠然とした不安を抱えながら過ごしています。

今やってる案件が終わったら漫画の何かしらの賞をもらって担当付いて読み切りとか描いてってしていかないとお金が無くなってしまう。

まあ最悪再就職か。でももうアルバイト探すのめんどくさいよ…。

漫画、正直に言えば自信なんて微塵も無いのだ。だから不安。希望も何も見えてない。

自分の未来ってある程度見えているというか、見えてるって事は一番堅実的な道って事で見えてる方にしか進んで来なかったんだけど、今回の漫画家としてお金を貰って暮らすというビジョンは全く見えてこないんですよ。ずっと小さい頃から夢見ていた筈なのに、おかしいな…。

そんな心細さを持ちながら周りに味方が誰もいないので尚の事不安が強い。編集さんも忙しいとか言ってこっちの事放置気味だ。私どうしたらいいんだろう。やる気めっちゃあったのに宙に浮いてしまった。

とりあえず6月にやるらしいコミティアには申し込んできた。まだ金払ってないが。

でもコミティアで新刊を出すより投稿用漫画を描く方を優先しないと駄目そうだな。新刊出したいけどなあ…リメイク短編集。

投稿用漫画のネタはなんも思いついてない。ネタ自体のストックはあるんだけど、投稿用にするには弱そうなやつらばかり。行ける!みたいなのは生まれてない。どうしようか…。

 

漫画家なんて、誰にでもなれる職業ではない。

なれない人もいるんだ。今はSNSやら漫画制作ツールの発達で倍率も私が子供の時と比べものにならないだろう。

私はなれなさそう。

もう答えは出ているはずなのに、未練たらたらだな。チャンスは割とどこにでも転がっている。

はっきりさせたいよなあ。夢を叶えるのか、諦めるのか。

どちらにせよ漫画は描き続けてしまうんだろうから諦めたと決めても夢からは逃れられないだろう。夢は見ている時が一番幸せだから。

漫画家という職業について色々考える。

毎日考えている事なんですけどね。でも今商業漫画のお話を頂いていてよりその事について深く考えるようになりました。

あと知り合いが出版社に勤めていてツイッターでそれ関連の記事のRTが来るので読んでみたり。

商業だろうが同人だろうが、「面白い漫画を描く」。売れる漫画を狙うのではなく。最終的にこれに尽きるわな…。

やりたい事をただ愚直にやるんじゃなくて、どうやったらよりよい作品に出来るかとか、読みやすくなるかとか、考えながら作品を作る。それだけだ。本当に。

勿論雑誌の存続とか売り上げ落ちて食っていけなくなるとかそういうのもあるけども。

それで思うのは、漫画の研究が足りてないな、自分には、と言う事だ。

研究が苦手だ。コマ割りとか、一応好きな作家さんのを参考に似た流れの時のコマ割りパクったりとかしてるんですけど、見れば見る程なんでこのコマ割りにしたのか分からなくなってくる。四角がゲシュタルト崩壊してしまって。

でもすごくスローペースだけどコツコツと出来るようになってきているものがある。自分の続き物の漫画を一話目から読み返してみるとよく分かる。

もっといろんな人の漫画とか、逆張りしてないで売れている漫画を読んでいかないといけないな。

あともっと制作スピードを上げたい。

 

同人作家のままでも、漫画が描けるならぶっちゃけ良いっちゃ良いけど、作家になる夢からまた逃げても結局傷付かないだけで何も得る事は無いから、作家を目指します。

なれなかったらなれなかったで、同人作家という逃げ場所はあるからね。

きつい事たくさんあるだろうけど、がんばるぞ。

先日、阪本トクロウさんの個展「デイリーライブス」に行って来ました。

主にアクリルで風景画を描く方です。ツイッター美術手帖のアカウントで紹介されてて気になっていた個展でした。個展の情報はほぼ美術手帖で得てますね。

武蔵野市立吉祥寺美術館という所でやっていたのですが、割とビルのついでにあるような小さな美術館でした。受付のスペースの方が大きかった。

休みをとった平日に行ったので人が私しかいませんでした。

感想は空気感が最高でした。

風景見るのも描くのも好きなのですが、実はあんまり油絵の絵の具モリモリの風景画は好きではなくて、漫画の、フリーハンドでごちゃごちゃかいてある風景とかメリハリのある風景が好き…風景っていうより漫画の背景画が好きってだけなんですけどね。

でもこの方の描く風景はどちらでもないけどすごく良かった。好きだな…。

ともすればCGかと見紛うくらいフラットでピシッとした、写実的で無駄のない絵。でも写真とは違う、ちゃんと「絵」っぽさがあるのが不思議だ。優しい色合いの絵が多かったので空気を感じた。更に余白の取り方がより空気を蓄えている感じがして、綺麗だったな…。淡い感じなのにぼんやりではなくメリハリがある。

ていうかアクリル絵の具…?みたいになる。あの画材あんなにきれいな絵描けるんだな…。

私が描いたアクリルヒムロック見るか?

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多分展覧会行くの1年振りくらいなんで作品を見る目が衰えてるのをすごく感じます。

そういう審美眼どうやって鍛えるのかも分からんしな…。とにかく見て自分で感じた事をこうしてブログで文章化しながら分解していって、後で世間の評価とか見る。…それで良いんだろうか?まあいいか。

いやあ、あと吉祥寺という街もすごく楽しい。今回で初めて来たんですけど、もっとゆっくり見たかったけどコロナの事考えるとあまり滞在したくないというのもあり、商店街は眺めて終わるだけとなってしまいました。あの商店街、すごい秘密基地みたいで良いなあ。あーもっとみれば良かったかな…。

明るい商店街っていうモチーフめちゃくちゃ好きなんですよね。地元感というか地域に根差している感じが。実家の近くの商店街は一部以外ほぼシャッターが閉まっていてなんとなく暗い。「地域に根差している」というのもああなると閉鎖的に感じてあまり魅力を感じないんですけど吉祥寺の商店街は理想の商店街だった。実際はおでかけで来ているような人が多くて地元の店という意識は薄そうではあったが。

その更に前の日にはずっと気になってた秋葉原の駅内の牛乳屋さんに行き少し店員さんとやり取りをした。おすすめの牛乳を教えてもらってそれを飲んだ。あそこその場で飲まないといけないんだね…。持って帰る気満々だった。電車来ちゃったからあわてて一気飲みした。

なんか、そういう離れた町の知らない人との交流にすごく憧れるんだな。コミュ障のくせに。

知らない人と言ってもお店の人とか公的な立場にある人とだけね。

その町の空気感をのぞき見するのが好きなのかな。疑似的に地元感を感じたいのかもしれない。

 

空木は割と引っ越し族なので未だに帰る地元というのが無いです。

いつか「ぷくぷく天然かいらんばん」みたいな町系の漫画描きたいなあと思っているんですが、引っ越し族に書けるのか?

数年前から薄々自覚し始めたのですが自分は相当な天邪鬼なのだな。すぐ逆張りする。

それがいい方向に向くこともあれば悪い方向に向くこともあって後者の機会の方が圧倒的に多いんだよな。良くないんだよな。

自分の領域をすごく重んじる割に確固たる自己が弱いからそうなる。

自分で自分の意見作るの昔からすごく苦手。小学校の時にディベートの授業があった気がするんだけどそれがめっちゃくちゃ苦手だった。頭が真っ白になる。議題に興味持てなかったというのもあるがそれも多分天邪鬼性質ゆえやれと言われた事やりたくないから興味持てなかったんだろうな。

ディベートってなんか戦いみたいになるじゃん?論破みたいな。勝った方が正論みたいになる。論理的に筋通ってる意見だけが正しい意見として認められる 。感情的な意見には価値が無いみたいな。言葉だけで全部説明つかない事も同じように価値があると思うんだ。とか、そういうのも逆張りだと思うわ。

ツイッターのめっちゃ支持されてるお気持ち表明的な呟きのリプ欄で反対意見探しちゃう。そう言う事してるから変な人の暴力的なツイートにあてられてメンタルにダメージ蓄積させるんだぞ。

でもあまりにも自分の意見をしっかりとした言葉で持っていないから、感情を言葉に変換する事を怠ってふわっとさせたままだったから辛い時に誰にもうまく相談できなくて全部自分が我慢する事でしか解決できなくなってしまったんだ。なので自分が伝えたい事がある時「私は言葉で考えを説明するのが下手だ」という前置きを置くようにしている。言葉になるのを待ってくれる人、本当に有難い。同居人は待ってくれない人だから会話し辛い。

とにもかくにも周りに真面目で意識高い人がいると自分は不真面目で意識低くなってしまうのが良くない。

図太くマイペースになりたい。

新年あけましておめでとうございます。

今年もどうぞ、よろしくお願いします。ブログも意識してちゃんと更新していきたいですね。とかいって早々にもう三が日通り越して七草がゆの準備かといった日付に新年の挨拶している。

 

去年は本当に何にも出来なかった年。美術館も全然いけなかった。今年こそはと思うも、この調子だと来年まで長引きそうな気がする。

殆ど家にいたのに酷く身体が疲れます。鈍っていた所に新しく始めたバイトが肉体労働で、元々体力なんて無いに等しい状態だったのでそら疲れるわな。体力づくりとかも全く考えてない。少し食事の量は増えたかな。家に帰ってもなかなか原稿が手につかない事もザラにある。家事もやらないといけないし。

まあこのバイトはやめようかなと思っている。天職かと思われたけど身体が資本故。身体が疲れてるとメンタルにも来ますね。今実は結構しんどいんですわ。

でも就活苦労したのにまた振り出し。もう嫌だ…。

漫画だけ描いて暮らしたい。

 

今年の抱負でも書いておきましょう。

 

まずコロナに罹らない事。

もう罹ってて無症状の可能性もあるけど、症状云々よりも、「感染者」となる事で会社やら家族やら同居人やその職場の人、その職場のお客さんと色々な方面に負担がかかるし周りの目が変わったりとか、社会的に面倒くさいからなりたくないっていう感じですね。

 

次に漫画家就職を目指す。

再三ブログの中に書いたような気がするけど、漫画投稿をしたい。とりあえず今案件を頂いているので、それを完遂させる事。それが次に繋がるかも知れない。

それがもし実らなくても同人作家としての活動を強化したい。でも今年もイベントの中止が続いたらかなり危ういんじゃないかな…。去年はコミティアクラウドファンディングでギリギリ持ち越したように見えたけど…。

 

次に繊細なインプットを心がける。

去年は一昨年と比べると小説漫画映画鑑賞の量は少なかった。アウトプットの数も減った。漫画のページ数は去年が80ページだったのに対し一昨年は118ページ。締め切りが無いとゆっくりやってしまうのかな。

小説は移動時間に読んでいたから、その移動の機会が減ったので比例して減ってしまった。映画は1917を見に行った後はほぼ見てないんじゃないかな…。この間無料配信やっていたロンドンゾンビ紀行は観たな。前々から観たいと思ってた映画だったから観れた。めっちゃ面白かった。笑かすにもセリフや場面だけじゃなくてカメラワーク、音響、BGM全ての要素を使うんだなと思った。コメディにはあまり明るくないので勉強になった。あとアマプラでポケモン映画が観られるから見直しとまだ見てないやつを観た。ポケモン映画は平気で観られるのになあ…。

ここでふと思うんだけど映画って娯楽なのかなあ。アマプラってレビューが見られるからつい見てしまうんだけど、割と娯楽としては良いとか悪いとかそういう言葉が出てくる。表現媒体であり芸術作品だと思ってるんだけど、芸術鑑賞も他の人からしたら娯楽なのかなあ。一人で勝手に厳かな気持ちになりすぎてるかな。

前に見たとある映画の、表現として納得できたシーンがレビュアーからしたら退屈だとか意味不明だとか失敗だとか書かれていて、しまいにはああいう難解な物を理解できる自分に酔ってる人が高評価押すとか書いてあって空木の沸点は低いのでブチギレてしまったんだけど、絶対あの映画は娯楽として適当に触られて消費される目的で作られていないと思うんだよな。見る側は見るだけで全て享受しようとするけど実際与えるばかりの映画はウケが良いんだろうけど、あの映画に関しては見る側からアプローチする映画なんでしょう。単に映画に求めていたものとその映画の質が違っただけ。映画だってこうあるべきみたいなものは絶対に存在しないんだからあんなにボロクソに言われる筋合いねえんだ。

一方で与える映画の方が見やすくはあるんだよな。とっつきやすいっていうか、ポケモン映画もポケモンが好きな人達に楽しんでもらおうとしているから私にとって見やすい。子供向けだしな。ミュウツーの逆襲はちょっと違うと思うけど。

とにかくアマプラのレビュー見られるやつあんまり好きではないです。考察とかは見たくて見ちゃうけど。

話が脱線したので戻すけど、映画に関しては観たいやつは観られるから無理して観ようとしない。小説と漫画はなるべく紙で買いたいんだけどスペースが厳しいのでまずはスペース整えるところから始めていく。ちぇんそーまんと呪術かいせんとスパイファミリ~読みたい。尊敬する漫画家さんの新しい短編集も出てるらしいが本屋で探しても見当たらなかった…。

美術館は行くなら気を付けていかないとな。マイ消毒液携帯するか?今の所めっちゃ行きたいっていう展示は無いし緊急事態宣言も出たからまたしばらく行けなさそう。もう一年も行ってない事になるか。

ああ…旅行行きてえよ…。

 

という訳です。

新年早々メンタルブレイクしてましたがなんとか騙し騙しやっていきます。