Hyper Carronade

灰色のはい

茶店のアルバイトが楽しくて毎日何よりなんだけど、それでもやっぱり満たされているイコール幸せでは無いんだなと思った。

 

労働嫌いの私には絶対バイトが楽しいと思える日なんて来ない、人生一生地獄だと思っていたのに分からないものだな。何故だろうと思ったけど、喫茶店はコンビニみたいにばかすか人来ないしイライラしている客がいないしどちらかと言うとゆっくりする為に来る人が多いし、本屋みたいに(今の所)知識でマウンティングしてくる人もいないし、「作る」という行為だからかな。これが多分コーヒーを運ぶだけの仕事、皿洗いだけの仕事だったら絶対に楽しくなかったと思う。

オーダー受けて、分担して作って、運ぶ。あとは片づけ。これだけなのにな。

コーヒー好きだけど今まで豆の違いを覚えようとか思った事無かったしなんならオレとラテの違いすら分からない程度の関心しか寄せていなかったし創作の方が断然好きという気持ちが強いはずなのに。なぜ楽しい?

多分創作は気持ちが強すぎて呪詛になってるから楽しい気持ちを置き去りにしているんだろうな。

なんなら喫茶店バイトなんかは創作でそういうシーンを描く予定があってその資料集めの為にやりたいなって思っていたものだし。

コーヒーは仕事とはいえ人生を懸けてないからラフにできるんだな。あとは店の雰囲気もラフというか、オーナーがラフ。寛容でおおらか。個人経営だからこそかも。普通のスタバとかドトールだったら楽しくなかったかも。楽しいの条件狭すぎない?

 

でも楽しい気持ちで出勤して楽しい気持ちで帰宅しているけど、私今幸せか?って聞かれたら違うなって答える。

理由は分かっている。創作活動で全然結果を出せていないからだ。

結局いくら毎日楽しい気持ちでも創作活動がうまくいかなかったら私は満足しないんだ。創作活動という一番の枢要にして一番の癌。心臓の重みで溺れてしまうんか。

しかし幸せでは無いとは言え楽しいと心が以前よりずっと健康で、その分浮かれて視野が春の陽気みたいに霞みがかってしまうけど力と元気とやる気がみなぎってくる。私が楽しい限りある程度は机に向かえそう。

出来る事が増えていくというのも喫茶店バイトの楽しいと思う所です。それに影響されて最近は新しい作ったことない料理に挑戦したりしています。一昨日はペペロンチーノとグラタンモドキを作ってみました。ペペロンチーノはうまくできた。

創作活動でもそういうの取り入れていくべきだなと思った。今は出来る事だけを使って表現している。脳死状態。そりゃ、楽しくないよ。出来る事を増やしていこう。

と言っても絵も漫画もカフェラテと違って成功失敗が分かりにくい上に完成までのスパンが長い。気長にやらねばならない。我慢。また我慢か。

 

いやはやしかしやっと心が回復の兆しを見せているといったところか。

浪人時代以降ずっと机にキャンバスに向かってひたすら持てるだけの物を使って表現をしていて、ただそれだけで酸いと甘いを噛み分けたつもりでいたように思える。まああれ以上の酸いはなかなか無いかな…。

高校時代のやたら個性にこだわっていた頃は自分の好きな物とか興味のある物がはっきりとしていて、最近その事をふと思い出してまた同じような物買ってみたり、今まで忘れてた事が徐々に戻ってくるというか思い出していく感じで、それは所謂老いていく自分を高校時代に回帰させることで年月を認めないただの現実拒否なのではと思わなくも無いけど、絶対きっととりあえず大学時代より楽しいの割合が高い。

 

まだ研修期間で時給低いけどお金が入ったら未来の為に少しずつ貯めつつ遊ぶぞ。

 

そういえば最近展覧会行ってないなあ。VOCA展に行きたいんだけど、前のバイトの有給消費分の給料がいくら入るか分からないからあまり冒険できないんだよな。お?また我慢か?