Hyper Carronade

灰色のはい

今まで自分が見てきたもの、聞いてきたもの、経験してきたものがリセットされてしまったような感覚がする。そもそもそれらは自分の中に一片のなにかも残さずに透過して過ぎ去ってしまったのかもしれない。

私はつまらない人間だな。

変な人になりたかったなあ。

高校生までは昨日までの情景とか好きな音楽とか思った事とか人の言葉とか些細な事まで全部肌で感じたまま側にあっていつでも取り出せる状態だったと思うのに、今全てが遠い。こうして忘れていくのかなあ。

20代前半でこんなこと言ってるんだから40過ぎたら私何も描けなくなりそうだな。

死ぬまで描き続けるとか言っていたけど、いつか筆を置く時が来てしまうかもしれない。そんな諦観を伴った緩やかな絶望がすぐ前に見えている。

年をとるのは嫌だな。

忘れてしまうのは嫌だな。

遠ざかるんじゃなくてRPGのアイテムみたいに蓄積できたらいいのに。

目の前のタスクをこなす事だけで日々を食い潰している。余裕がない。身体が動かない。それでも50年程の時間をかけて死んでいく。死んでいく最中だ。

素敵に普通に生きるのって難しくないですか。

大往生した人って最期はどんな事を抱えて命を終えたの?一片の後悔も無かったの?

いつでも死の事を考え続けようと思う。

できれば考えた事は文字や絵やお話やメモに書き留めていこうと思う。

 

こんな事言ってるけど今私はそんなに辛い事も無いし苦しくもないし怒りも無い。お風呂上がりだからかな。

 

ただちょっと疲れたかな。今日は4時間半中3時間は皿洗いしてた。忙しかった。でも新しく作れるメニューが増えた。出来る事が増えていくのは脳を炭酸水に浸したときみたいな感じがして心地良いですね。職場の人は皆良い人でうまく出来たら褒めてくれるから自己肯定感をくれる。

 

作品作りの方はあまり進展がありません。

とりあえず目の前の物から片づけている感じです。

自分は描く作業より考えている作業の方がよっぽど好きなんだなとつくづく思う。

無事新しい仕事に就くことができました。結局喫茶店です。前応募したのとは違うお店。

今日が初勤務だったのですが、疲れましたね。たった4時間だけど。接客は一年振りです。もう汗だらだら唇カラカラです。

何が疲れるかって、最初は何も知らない状態なので覚えることが多いし何にも役に立てないし寧ろ仕事を増やしてしまう事が多いし申し訳なさ過ぎて居辛いんですよね。早速注文間違えたし。

人間関係も新たに築いていかなければいけないし。

最初はどこでもそうだ。

でもこの仕事場は結構雰囲気が良いし、人手が足りなくて激務になりそうだけど、ちょっと憧れの喫茶店勤務なので、きっとなんとかなる。なってもらわなきゃ困るよ~

ああでも、これから先不安だな。やっていけるのかな。大丈夫かな。なんでこんなに自信無いんだろう。早く安心したいな。

 

これから結構長い時間働く事になるから、お金は入るけど作品を作る時間が減りますね。なんとか頑張って時間を作って、作り続けたい。二足の草鞋を履けるかな?

無理はしない。

寧ろ無理が出来ない身体なんですよね。すぐ眠くなる。放って置くと10時間以上普通に寝てる。もっと無理しろ。

 

近況はそんな感じです。

頑張って生きようね。

共感について

モディリアーニにお願いを読んでからすごい心が軽くて柔らかいです。

なんでだろ。退学せずに済んだかもしれないルートを見つけられたから?絵を描く事が嫌いになったんだと気付いた悲しさよりも、もう一度絵を好きになりたい、楽しく絵が描きたい、取り戻したいって気持ちの方が勝った。そしてその事に安心した。

でもこれもしかしたら先生を悪者にしてしまったのかもしれないな。いや、全然憎んでないし、そういう学校だし、先生たちもそれぞれモノづくりに本気で愛を持ってやっているのは分かってる。そして私がそこまで絵に対して本気になれなかったから作品で応える事も出来なかったわけだし、全部自業自得。でも、絵を好きでいたい。っていうのはずるいだろうか。

自分の絵に対する気持ちはまだ整理できてないし、まだ嫌いから立ち直れていないのも事実だし、その辺はゆっくり噛み砕きながら治していく。私は一生創作と歩んでいくんだから。

もしかしたら一生"プロ"にはなれないかもしれないな。

 

 

本題。

モディリアーニにお願いという作品に私は「共感」したけど、前の前の記事でSNSの共感漫画を苦手だと言ったと思います。

同じ共感なのに何が違うのかなってちょっと考えたけど、単に追体験のしやすさかなと思った。

勿論プロとアマ(プロの場合もあるけど)、表現力の違いとかもあるけどそこは平均的(主観)な架空のイメージで考えていきます。

SNSの共感漫画は私が見た事ある範囲で言うと体験記だったりエッセイ風味な事が多いかなあ。あとはただ作者の似顔絵的なキャラクターが思った事を一人事風味に喋る感じの。

こちらは思ったことをストレートに言葉に出来るし体験記とすれば「現実に存在する」という身近さの危機感が直接読者の首元に突きつけられる。共感できなかった人も知識としてそれをシェアできるし教訓にもできるだろう。あくまでその伝えたい事だけが伝わる。

対してモディリアーニ、に限らず普通の漫画作品、小説作品、映画作品、なんでもいいけど、そちらは登場人物と物語がある。

ノンフィクション作品であっても脚色している部分や編集している部分もあるし同列で語ってしまう。脚色はSNS漫画にもあるだろうし。またフィクションであっても自分の体験を元にしている部分もあるだろうけどもうその辺の細かい事はいちいち注釈していたらキリが無いので気にしない。

漫画の登場人物達は物語を追うごとに成長したり困難に立ち向かったり落ち込んだり助け合ったり、色んな表情を読者に見せる。もう大親友かってくらい見せる。すると感情移入していくと思うのね。この感情移入の仕方も人によるだろうけど、キャラクターの友達、あるいはキャラクターそのものの気分で物語の中に入ると思うのね。物語をキャラクターと一緒に追体験する事になる。すると読者も物語の登場人物になる。それがこちらの「共感」。

で、SNS漫画のように単に言葉で、例えば「嫉妬って辛いよね」って言われるより、物語を追体験した上で読者自身が「嫉妬って辛いよね」って思う方がずっと心に残るんだろうなと思うのね。手間がかかる&表現力が必要な分与えられる力が大きいんだろう。

まあ、ここまで書いて、SNS漫画は少ないページ数でピンポイントで伝えたい事をストレートに伝える為の、普通の漫画とは目的が違う別物なんだなあと気付きました。そしてそうかそれがSNS時代に新しく生まれてきた表現なんだなあと思いました。

比べるなんてナンセンスな事してしまった。SNS漫画の作者様方すんませんでした。時代遅れの感性で喋ってすみませんでした。今後勉強させて頂きます。

バレンタインなのでくそ風強くて寒い中少し繁華街へ行きチョコを買いに行きました。ついでに原稿用紙とペンを。

チョコと言っても探していたのは普通のチョコじゃなくてルビーチョコでした。

ルビーチョコはミルク・ブラック・ホワイトに続く第四のチョコレートとして注目されている着色料なしでルビーカカオ豆とやらからとれた明るいピンク色をしたチョコレートで、最近スーパーのちょっとしたデザートコーナーでもこれを使ったスイーツを見かけるようになりました。

チョコ好きの私としては早くルビーチョコの味を覚えたいと思い、店頭でルビーチョコ商品を見つけては購入するようにしています。

希少そうだから普通の板チョコとして出る事は無さそう(あってもちょっと割高だろうな)だけど果たして定着するのかな?

味はフルーティなホワイトチョコみたいな感じでした。イチゴっぽいけどそこまで果実の酸っぱさとか青臭さは無く、フルーティって言葉が丁度いいくらいの感じ。これで普通のチョコと同じようにカカオ豆って言うんだから不思議だなーとは思います。思えばホワイトチョコもよく分からんな。なんで白いんだろう。

買ったのはラズベリージュレが入ったルビーチョコ。そのお店では他にも日本酒のジュレが入ったチョコなんかも置いてあったのですが、その見た目がすごい陶磁器みたいな不思議な模様とつやつや感で面白かったのでそっちも買えば良かったとちょっと後悔しました。でも空木日本酒チャレンジした事無いんですよね。お酒飲めないので。

バレンタインフェアみたいな感じで複数のお店が屋台みたいな感じでたくさん出店している形だったんですけど、ぐるっと回って見た感じ変わり種が多いな~って思いました。カラフルだったり変な形だったりスタイリッシュだったり、和風だったり。こういうのってやっぱりSNS映えを気にしたりするんだろうか。SNS映えブームには問題点も多いけど、面白い物とかきれいな物とかがこうして増えていくという面では良いよな。でも狙い過ぎにはご用心だね。そしてこのSNS映え商品が飽和した後はどうなっていくのかにも興味がありますね。変な物がショーウィンドウに蔓延る世界になるんだろうか。

チョコ買うついでにバイト探ししたのですが見つからず。

茶店はなんかお店側から連絡が来ないのでもうええかーってなってます。

やっぱり本屋かなあ。

アルバイト募集してるかなって覗くついでに入った本屋で「モディリアーニにお願い」という漫画を三巻分購入しました。

試し読みが出来たので一巻の最初の方を読んだらこれ絶対良い漫画だと思って思い切って平台に出ている巻全部レジに持って行った。一度に大きな買い物をする事に恐怖感がある私にしては珍しい事です。でも三冊で1800円は安かったな。

で読んだら案の定良すぎて一話ごとに大号泣しました。これはもっともっと評価されて欲しい漫画だ…。いやもう評価されているのかな?最近の書籍事情分からないけど、とにかくすごく良かったことを報告したいと思います。

私の薄汚れた脳から出る言葉では言い表せないくらいきらきらしてた。でもこのきらきらはビタミンって感じのきらきらじゃなくて、ガラスを通して目に入ってきた柔らかいきらきら。ガラスを覗く目のきらきら。美しいきらきらだった。有機的なきらきら。

田舎の美大が舞台なんですけど、良い言葉がたくさんあるし登場人物の葛藤が創作をしている人なら共感できる気持ちで余計泣けるし、救われる。人情物語の面もあってよく泣く登場人物達が愛おしくて、毎話最終回かってくらい泣いた。なんかジャンプ的な大胆な展開がある訳じゃなく1つも無駄なシーンも無くこんなに心を打つお話作りの強さがすごい。この気持ちはもしかしたら書き手のメッセージを受け取れた感覚なのかもしれない。受け取れたって言うか伝えられたって感じだ。

多分こんなに泣くのは私が涙脆い&美大中退して葛藤に共感度MAXだったからで、他の人が読んだらどう思うのか分からないけどね。

読んで、やっぱり舞台が美大なので自分の過去と照らし合わせてしまうんですけど、私は退学を悩んでいた時既に絵を描く事が嫌いだった。絵を描くこと自体というか、絵を描いた先にある講評とか将来とか自分への評価が付く事が怖かった。講評次第で自分の明日からの価値が決められてしまうんだと感じていた。漫画は課題として提出する気が無かったので自由に描けたからそっちの方が好きだった。そっちに逃げたいと思ってたのかもしれない。あのままどうにかして絵を描く事を好きでい続けることができたら貧乏でもきっと私も大学を卒業できたかも。

課題には必ず講評という日があって、毎回大勢の同級生の前で発表をして、大勢の同級生の前で褒められたり怒られたりする。それがすごく嫌で、あの十数分の内に自分の人生の全てを恥に変えられてしまう感覚がして、同級生への嫉妬とか怒りとかを自覚してどんどん自分が悪い奴になっていって、金銭的にも余裕が無かったからどんどん置いていかれて焦って、結果を出さなきゃって思うんだけど、結果の為に描く絵なんてくそつまらないんだよね。筆進まないから完成すらしないし。描いてる側がつまらないと思いながら描いた絵って自分が思ってるよりも見てる側にも伝わる。逆にめっちゃ楽しく描いた絵を提出した時先生は「描いてる時楽しかったでしょ?」って言った。ああ分かるんだって思った。つまらない絵を描いて怒られて焦ってまたつまらない絵を描いて…ってドツボにハマってたんだな。どこかで焦りとか重い汚い物全部打っ棄ってきれいな気持ちでキャンバスに向かえたなら、絵を描く事嫌わずに済んだのかな。先生の講評の言葉もナイフじゃなくてきらきらの魔法として受け取ることが出来たら、退学せずに済んだのかな。

もうたらればばかりだけど、なんか分かった気がする。私絵を描く事嫌いになったんだ。

最後にキャンバスに向かったのはもう5年くらい前だ。道具も実家の物置の一番上の棚にしまってある。

今はもう課題も講評も無い。

今どんな絵が描けるかな。

久し振りに絵を描いてみようと思った。今の私はどんな絵を描くのか、自分で見てみたい。

この漫画が自分の目に留まったのは幸運だったな。私の世界に飛び込んできてくれて本当にありがとう…。

 

 

あ、結局この本屋さんには求人情報の張り紙無かったです。

しばらくツイッターは控える期間にしている。

フォローする人は皆私が憧れていたり好きな人や創作をする同級生だけで、タイムラインで彼らの生活が垣間見える訳だ。

でも大体呟くのって何か重大なイベントがあった時とか、こういう事したよみたいな、四六時中人生の隅々までリアルタイムで発信している訳じゃないから、呟きだけ見るとすごく楽しそうで素敵な人生に見えるのね。

私は他人と自分を比べてしまう人間だからそれをずっと眺めているとだんだん自分を悲観視していくのね。まあ実際何もしてない日も多くて、手も遅いから全然作品上げられないから悲しくなるのは自分のせいなんだけど。

なんか、インスタ映えの為に頑張る人の気持ちが分かった。

焦るんだなあ。人の素敵な部分の生活が可視化されるようになったから。自分の人生も素敵なんだと、自分でそれを信じたいから。綺麗なご飯を写真に撮ってるのかもしれない。綺麗な部分を切り取って、たくさんいいねをもらったら自分の人生は素敵だとひとまず安心できるんだ。

他人に対してマウンティングをするという気持ちよりも自分で確かめる為にやっている気持ちの方が実は強いんではないか。別にそこまで他人の事憎んでないでしょ言うたって皆。知らんけど。

何かしなきゃ何かしなきゃって思いながら生きるのは余計疲弊する。余計に何もしたくなくなるし、やらなきゃと思いながらやるのは娯楽の神様たちに対する冒涜な気がする。

やらなきゃと思いながらインプットし続けているとだんだん自分の好みすらもあやふやになってしまう。今私の作品に必要なのは「性癖を伸ばす事」。それにはまず自分の好きな物を分析する必要がある。まあ手あたり次第やらなきゃで見続けても結果的に好みを見つけることができるならそれでも良いのかもしれないけどね。でもできるなら自分の興味の赴いた物を楽しく見たいよね。

そうだ、理屈っぽい事抜きに単に素敵な物を素敵!と言える精神状態になりたいんだ。

 

スピード、シェア重視のSNS時代は私には合わないなあ…生まれてきた時代間違えたなあ…と思います。

どこかのニュース記事で「同人作家に『クオリティ』を求められる時代が来てる」みたいな見出しを見つけてなんだかほっとした。

ツイッターの、共感出来たら勝ちみたいな漫画とか、気持ちを代弁するゆるキャラとか、どうしても好きになれないのですよね…。これが平成という時代の新しい形なのだけど、私は硬派で熱意のある、気持ちが動かされる作品の方が好きだ。貶すつもりは無いが私は好みじゃない。完全に一世代前の考え方だと自分でも思う。

お手軽感があるというか、タイムライン覗いていればぽんぽん出てくる物で、色んな作品があると言えど全体的に「作品というモノ」の価値が下がっているように思うんですよね。めっちゃクオリティ高くて素敵な作品も、量産型の無個性な作品と一緒にタイムラインに乗ればシェア、シェア、無断転載。評価はされるんだろうけど、なんだか軽く見られてしまっている気がして。勿論人によってその価値観は違うし愛で方も違うのだけど。大切に額に本棚に飾る時代は終わったのだ。

なんか、私は作品を作るという行為を崇拝しすぎて神格化している部分もあるから過激な事を言うかも知れないけど、作品は宝物みたいに扱って欲しいなあと思うのです。

なんだろ、インスタレーションみたいな持ち帰れない作品だとしても、その時に感じた感情とか動かされた気持ちの感覚とか大事にして欲しい、自分の物にして欲しい。

漫画とか小説も同じ。読んで何か気持ちが生まれたりしたら大事に自分の物にして欲しい。

共感。そう考えるとツイッターとかで共感してシェアするというのは見た側なりの感動の表れではあるのか。ただ、ボタン一個の手軽さが軽々しく見えるだけなのかな。

共感な…。共感の先に何があるんだろ。それはエモ止まりじゃない?でもそれで良いのかな…。娯楽ってそういう手軽な物で良いのかな。私が上見過ぎているだけなのかな。娯楽に期待し過ぎているのかな。

うーん。分からない。

でも、私は作品に熱い気持ちや清々しい美しい感動を与えられた事が何回もあるから、あれをこそ私は娯楽だと思っているのかもしれない。だからそういう作品を私は作りたいと思ってるだけだ。その価値観を人に押し付けちゃいけないぞ。

手軽に発信出来て手軽に見られるのは良い事だ。

ツイッター漫画をおいしくていっぱいちょこちょこ食べられるポテチとするなら、私が目指す物は1ピースのザッハトルテだ。現状まだ一枚のビスケットにしかなっていないから、引き続き頑張りましょう。

怖い話って読んだり聞いたりしてる時よりも、終わった後記憶として脳内で反芻されるときが一番怖いかもしれない。読み聞きしてる時は入ってくる文字や音を変換して理解しながら楽しむ事自体に集中してるから案外平気。だけど記憶の反芻って外部からの刺激は無く冷静に怪談に向き合うから怖さに直面する。思い出し怖がりみたいな。今それ。これからお風呂入ろうと思ったのに怖い話のシーンが続々奔流してきてもう入れない。考えないようにしようと思ってるのに止められない。外雨だか雪だか降ってて外から物音がするのが死ぬほど怖い。絶対窓の外で魑魅魍魎が跋扈してる。

洒落怖一時期ハマってて、怪談朗読動画とか漁っていたんですけどね。

普通に面白いんだけどね。小説になりそうな壮大な話もあればほっこりした話もあり、また本当に洒落にならない位怖いのもあったり。思い出し怖がりが怖いから最近全然怪談摂取してません。

因みに今まで見た怪談の中で私が怖いなと思ったのは「リゾートバイト」「かえるのうた」「自殺団地」「こっくりさん」「並んだ顔」「幽霊屋敷」「ナール、ナーシュ」「自転車に乗る夢」。そこそこ多いでしょ。たくさんのお話を見たんだよ。一気に。

リゾートバイトは洒落怖の中でも有名作。というか超大作。普通に怖かったしどことなくCoCみを感じた。これはもう一本のシナリオになれる。生贄系が私の恐怖のツボみたいなのでかえるのうたも怖かった。怖いっていうか不気味寄りの怖さ。

自殺団地は結構ベタな感じのホラーだった。

こっくりさんはすごい有名で儀式の概要だけは知ってたしクラスメイトがやっているのを見た事があったけど怪談は初めて見た。思ってた何倍も怖かった。色んなバージョンというか、この儀式をやったことによる怖いお話は他にもたくさんあるみたいだね。

並んだ顔は個人的にリゾートバイトよりも怖かった。人生で一番怖いと思ったお話かも。オチがまた怖いんだ。これ見た後しばらく扉・収納スペース恐怖症に陥ったもん。元々自分にパラノイアみたいな症状あるからあの扉の向こう側から3つの顔が見ているかもしれないとか押し入れの中に凶悪犯が潜んでるかもしれないとかそういう事を考えてその思考が止まらんのよね。

幽霊屋敷もすごいベタなタイトルの割にめちゃくちゃ怖い。この怖さはヒヤヒヤスリリングな怖さ。手に汗握る。

ナールナーシュは単に好き。怖いけど。これもちょっと生贄関係。

自転車に乗る夢はちょっと変わってたな。オチがヒェ…ってなる感じだったけど登場人物の仲間思いな感じが良かった。

 

なんか思い出していたら余計怖くなってきたわ。ブログ書いてたら集中して恐怖心薄れるかなと思ったけど、違う話題にすれば良かった。

バイト絶対辞めるマン。

仕事内容すごい楽で働きやすいのにたった一人の人生で一番嫌いなおばさんのせいで毎日気が重い。嫌い過ぎて話しかけたくなさ過ぎて私の彼女に対する対応も自分で思い返してやばいなっていう感じになってきた。人間応対としてもやばいし仕事的にもちょっとこれは差し障りありすぎるので、もう続けられない。私が人間としての社交性を取り戻す為にも辞めなければ。約一年続けただけ私にしてはよくやれたわ。

ああ、もっと私が我慢できる大人だったら、続けられたんだろうな。

他のおじさんおばさんは好きなんだけどな。でも馴染めているかと言ったら否だ。

私は他人に興味が無さ過ぎるのかもしれない。なんか、悪い所とか指摘してあげなきゃみたいな事よく言われるし自分の意見もっと言えばとも言われるけど、そこまで労力を人に使いたくないんだろうなあ。というか「悪い所を指摘する」って、他人をコントロールするイメージだから、なんかそこまでして他人の事変えたいとは思わないんだなあ…。

口喧嘩とか全くした事ないんだ。黙って心の中でその人との距離を置く。だんだんその人と物理的な距離も遠のいて、最後に私は一人になる。そこが自分の悪い所だと分かっているけどやっぱり指摘されても変える事は難しいんだ。人が変わるのは難しいんだ。変わるのにすごいエネルギーがいる。その負担を負えと言えるほど私はその人に責任持てぬ。

普通の人に対してもそうなんだから最嫌いの人にそんな事する訳がない。だって自分で自分の悪い所理解しているって弁明してきたんだもん。私に出来る事なんて無いよ。なんとか折り合いつけてやっていこうと思って一年我慢したけど日に日にその人の事が嫌いになるだけだった。掛け持ちにしようと思ってたけどこっちは切る。早朝ならコンビニという手もあるし。

仕事って一生ものだと思っているから、なるべく居心地の良い所で働きたい。でもフリーターと言えどそろそろ職場点々とするのも危ういし安定した収入が必要だから、今度こそは続けたい。まだ応募出しただけで何も進んでないけど。今度は私にとって働きやすい場所でありますように…。

大学進学とかで引っ越しが多かったからバイト一年ごとに点々としている状況なんですよね。唯一長いのが大学在学中のファミマだった。一番居心地良かったのは本屋さんだったなあ。やっぱり同じような趣味を持った人が集まる場所だからかな。引っ越しが無ければもっと続けられるバイトだったかも。働いてる時は辛い事いっぱいあったけどね。

茶店駄目だったら本屋にしようかな。

 

とりあえず仕事が変わりそうという事でごたごたしてます。(主に心が。)

 

あと長編漫画が死ぬほど進みません。

 

思う所があって長編漫画を完全にWEB掲載にしました。

理由は、無料じゃないと私の漫画って見てもらえないんだなって思ったから。

勿論お金を出して見て下さる方がいる。その人達の為なら頑張りたい。でも一話目を再録した時にあまりにもたくさんの人に見てもらえて、私の漫画にお金を出してまで見る価値が無いんだなと思った。抱えている在庫以上のブックマーク数。今まで通販の注文受け付けていたのにだ。まあ通販は送料が結構掛かるからね…。

するとなんか今まで出してきた価値の無い同人誌を「買わせていた」感じがしてきて、申し訳無くなってしまった。ただでさえ長編は不慣れで、試行錯誤が多い上に描き直したりしているレベルですから、お金取りたくないなあと思って。

印刷しているのは単に私が装丁とか考えるの好きで、本の形になっている自分の漫画が嬉しいから。だからわざわざ買わせるまでもない。自己満足さえできればWEBでも良いなって思い立ち二話目もWEBに再録。

今月は遊び過ぎて印刷代無いので来月に描き直した一話目を自分用に印刷する。

数冊余るからそれは本体価格を0円にして送料だけ負担して頂く形で紙媒体verとして通販に出そうかな。で、最終巻におまけで全巻入るブックケースと設定資料集完全版を作ってささやかなお礼として付けようかなって思ってる。ブックケースにぎっしり入ってる自分の長編漫画とか最高に興奮しません?今からめちゃくちゃ楽しみなんですよね。

その為にも最終話描き終わるまでは私は生きねばならない。

正直描き終わった後は別に死んでも良いかなって今は思ってる。動画もまあ最終話描き終わるまでには作り終わると思うし。他に描きたい漫画も特にないかな…。