Hyper Carronade

灰色のはい

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今日はミラクルエッシャー展他、上野でぷらぷらしていました。

なぜか画像の大きさ変えられなくなったので画像の幅取ります。絶対win10更新のせい。ネット上の不具合はなんでもwin10更新のせい。

 

最初は恵比寿の個展を見に行ってから六本木に行く予定でした。

しかし行く途中の電車でその個展が明日からの物だと気づき急遽エッシャー行くかぁって事になり上野へ行き先を変更しました。

エッシャー展は前々からチェックしてた展覧会です。展覧会は気が向いた時にアート情報のサイトで面白そうなものをチェックしスケジュール帳に開催期間と会場を書き込んでいます。

まずエッシャーさんは版画の作品を主に作る作家さんなんですが、私は木版画の作品が特に好きで「線なのに面だ!」と作品を見て思いました。

エッシャーと言えば、で出てくる幾何学的なメタモルフォーゼの作品も面白かったけど、普通に風景画がすごかった。単純に技術が高い。版画という技術には残念ながら馴染みが無いので実際どうなのか分からないけど、でも黒の墨に白く細く抜かれた植物が美しくて、この白抜きを漫画の背景にも取り入れられないものかと思いながら見ていました。ホワイトはいつも失敗します。

ただやっぱり版画作品って小さいから作品同士の間隔が狭くて少々鑑賞し辛かったです。人も何の変哲もない木曜日のはずなのにたくさんいました。なんで?

でも見る順番の誘導の為の配置はしっかり考えられていたのかな。ほぼ一本道でした。

上野の森美術館多分今日初めて来たのだと思いますが結構狭い美術館なのかな。他の展覧会だとまた違うのかもしれませんが。

そういえば観覧者の中に小さい双眼鏡を持って絵を見ている人がいたな。あれいいなあ。私も欲しい。あれなら今回のような精密な絵とか混んでてもよく見えるだろうし。

あとやっぱり耳栓欲しいな…。音声ガイドという手もあるのか。

藝大生かな?すごいアーティストに詳しい感じの二人の女の子が喋りながら見てたんだけど、話して感想とか考察を言い合うのはそれ自体はとても良い事で責めるつもりは無いんだけど、私は私の感じるままに絵を見たいからなるべくその会話をシャットダウンしたくて距離を取る為に何点か作品飛ばしたんだよね…。すごい人の意見に影響されちゃうし自分で考察する間もなく他人の意見聞くとその意見に沿って絵を見てしまって楽しくないし自分に良くない。ブログも書けなくなるところだったのだ…。

やっぱり狭いからそういう事件が起きるのだろうか。

ますます海外の美術館に行って確かめてみたい。

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恒例のお土産です。

いつも通りマグネットと缶バッジと、展覧会ロゴのステッカーです。
エッシャー展のロゴはデザイナーさんか誰かがデザインしたらしく絵のモチーフの形をデフォルメしてデザインされています。かっこいい。

 

このまま帰るのも寂しいのでもう一つの展覧会に行きました。すぐ近くの都美のプーシキン美術館展です。

この展覧会はプーシキン美術館というロシアの美術館?ロシアの事業家が収集したフランス画家の風景画のコレクションって説明があったような。

作家はまちまちで色んな絵が見れてお得感ありました。

やっぱり油絵の具のもりもりした感じとてらてらした感じは生で見るに限るというか、物質感がとてもいい。きれいだ。知らない画家ばかりだったけど楽しかった。

マティスとかセザンヌとかモネとかピカソの絵もあった。マティス好きと言いながら一度もその絵を見たことがなかったので思わぬ収穫です。

色が綺麗なフォービズムっぽい絵柄の作家さん気になったのに名前忘れてしまった。

都美内の別のギャラリーの展示も観ました。

謎のバザーみたいな物が点々と置いてあったり美術書の切り抜きを建物を模したオブジェに配置した作品とか、なんだかよく分からなくて心地よい不気味さだったけど、カラスが看板の破片とかで作られた人間の民家のオブジェを前に会話してる作品がかわいかった。 癒し。

 

電車の中では読み途中の仏教についての解説書を。

大乗仏教の所まで読んだけど、この大乗仏教って現在の民衆に合わせて変化したと言えば聞こえ良いけど要するに努力しないで良い来世を手に入れる為に都合よく教えを改変したって事だよね?ブッダの教えが口伝で伝言ゲームみたいに意味が変わるのはしょうがない事だけどね。でもどんどん目的が救われることになっていって、そのためのコストも低くなって行って、更には呪文唱えるだけで救われるとかもうそれでいいの?お手軽な来世だなと思わなくもない。神格化していくとだんだん魔術めいてくるのかな。

でも弥勒が何十億年後に修行を終えて人類の救済に来るって言うのはなんかSFめいててロマンがありますね。

それまで無仏っていうのはこの人間たちではさもありなんって感じです。

 

帰りはなぜかネガティブシンキングが爆走して突然の情緒不安定になり半泣きで家まで歩きました。

血祭り前のせいかも知れないけどね。すごい小さな事でイライラするし食べても食べても食べたりないしお腹痛いし。もう何もかもが気に食わなくて帰って夕飯作らなきゃいけないのがすごい嫌だった。今もバイト前に朝食作って洗濯しないといけないのすごい嫌。生活が嫌です。どうやって生きるのだ。

 

そんな一日です。久し振りに出かけて楽しかったけどあんまり気分転換にはならなかったです。

最近キモイ事件ばかりですね。

どうかしてる、と思う事件が多いけど、人間ってどうあがいても動物の一種だし私の望むような穏やかで優しい心を持った人間が現れる事は無いんだなと思う。性格とかそういう事じゃなくて本質的に争いを知らず自我に執着を持たない罪を背負わない人間。業は執着と嫌悪から生まれるって仏教も言ってた。でもむしろそんな人間は地球の生き物とは言えないんじゃないかな。それをこそ神って呼ぶんかな…。

犯罪者を擁護するつもりは毛頭無いが、人間は善と悪両方備えていて、ある事件に対して許せないと思っている人でも犯罪を犯す素質は十分にあるんだよね。

ヤフコメとかで加害者に対しやれ死刑だ、やれ同じ目に遭わせたい、と言ったような意見も散見されるけど、その気分の行くままの凶暴さも本質的には加害者が犯罪行為へ突き動かしたのと同じ所から来る怖い感情だと思う。犯罪者と私たちに違いなんてそんなに無いんだよ。その感情を去なせる程余裕があるか無いかの違いだ。

諦観の域。

人間は争いを忘れる事なんてできない。他個体を陥れる事も自分の機嫌取りも危険と感じるものの排除も大好きなんだ。

ネットとか主にSNSで人の主張が見られるようになってから人間ってこんなに気持ち悪いんだって気付いた。悪意のある人って普通にいるんだよなあ。知能だって何億も個体が居れば幅はあるよなあ。皆私と違うんだ。怖いなあ。孤独だな。

好きで地球の生き物についてナショジオとか動画とか見たりするんだけど、やっぱり動物の世界は今感じる以上に理不尽で弱者に厳しくて死に近くて生を間近に感じていて、それと比べると私たちの世界はそれでも、これでも、理性的なんだろう。

人間が動物臭さを捨てるにはもっと進化する必要があるんだろうな。

その前に人間という種が消えそうだけど、そうしたら何千万年後とかに本当に穏やかな新しい生き物が出てくるのかな。

そうだといいね。

 

とりあえず看護師さん遺体遺棄の犯人は死刑で。

距離について

距離って人とのも物事とのもどちらも大事だなと思う。

 

今はなんの変哲もないスーパーで働いていますが、前書店で働いていた時はすごい文学や美術書、漫画に興味を持ててました。

レジにいてお客さんが持ってくる本が面白そうだったり、出版社からの新刊の案内で気になるの見つけたり、売り場整理している時に気になる本を見つけたりできて、あの書店員だった頃はまあ何かとキツかったけど今よりもっと美術に近かったと思う。

今は美術から遠い。

バイト選び失敗したくさいなあ。オープンしたばかりの店で早速辞める訳にもいかないし辞める言い訳が無いし。近所に本屋無いし文化的なお店無いし…。

今はとっても作品作りから遠い。

まずい。

漫画なんて描いてるだけじゃダメなんだから。

友人たちは今頃毎日作品作りにめいっぱい携われてどんどん美的感覚を養っているんだろう。

以前漫画を仕事にするのが正義かとか言った気がするけど、正義かどうかはいったんおいておいて作品作りの場に自分の身を置く事は至極普通でやっぱり今の私にこそ必要な事なんじゃないかとふと気づいた。

個人でやるのもやれる人はやれるだろうが、どうやら私はやれないらしい。

仕事にすれば、距離が縮まる。

もう人に言うのも憚られる年齢になったけど諦めないぞ。

ついにあがくのを辞めた時私の中の大事な何かが崩れ去るだろうというのは分かっている。

成し遂げられるまで自分の存在を恥だと思いながら生きねばならないけど、でも作品作りの為に苦しむのをどうか厭わずに。

 

心が死んでは駄目だから距離を縮める為にまずは美術館行こうね。

ブログの更新をさぼってしまいました。

元気です。今はうっすら死にたいと思う事はあれど酷い時よりはずっと人間らしく生きています。

 

最近はちょいちょいネトフリで映画やアニメを見ながら原稿をやっています。

ずっと見ようと思って見てなかった「インターステラー」を観ました。

最初の方はなんだか時間を取っている割に展開に着いて行き辛かったのですが進むにつれてどんどんあのシーンやこのシーンの意味が分かっていって、最後のシーンで号泣しました。

ハードSFだと思っていましたがこれは平成の、新しいSFだなあと思いました。

SFって時代が進むにつれて様相が変わっていく作品ジャンルで、この作品はこの今の時代から生まれた「この時代のSFだ」って感じました。五次元の辺りとか。

すごかったな…。上映時間も長いから重厚な後味だった。

アニメはこの間鬼太郎の5作目を途中まで見ました。

良い話が多くて毎話号泣してるんじゃないかってくらいでした。一話一話が映画みたいな見応え。猫娘かわいい。ぬりかべも一反木綿もかわいい。

良いお話も良かったが地獄行きの電車の話がすごい好き。今まで人間を助ける鬼太郎のお話が続いていたからこういう妖怪み全開の鬼太郎達が特に印象に残った。

5作目以前のアニメはネトフリに無さそうなのでいつか配信されないかなあなんて思っています。

 

でも見てばっかりであんまり原稿進んでいません。

コミティアの原稿は多分今月中には終わりそうではありますがこの調子で行くと時間ロスで勿体ないのでなんとかせねば。

どうせあまり長生きもしないだろうし、描きたい漫画はまだ山ほどあるんだ。まだ死ねない。要介護になる前に早く死ねるように全部終わらせねば。

結局世の中に名声を轟かせるのはウェイ系の人間だと思う。

正しい言葉よりも勢いのある言葉に人間は魅せられるのだという。

私はモノづくり寄りの人間だが、モノづくり寄り共の中でもウェイ系の作品がやっぱり評価される、というか、その世界の向きを変えるのは彼らの声だ。

美大にいた時もそうだった。ウェイ系の良いと言った作品は良い。単に彼らの派閥がでかいのもあるし審美眼があるのも事実だろう。その派閥でどんどん新しい情報が交換されてどんどん彼らは知識を身に着けて、良い物を作るようになるんだろうな。そのでかい声で称賛された作品たちは脚光を浴びる。文字通り太陽のような存在なんだ、ウェイ系って奴らは。

根っからの教室の隅のぺんぺん草は、脚光を浴びるという点では待つことしかできない。

それでもそんなぺんぺん草を愛してくれる人が少なくともいて、ぺんぺん草的にはそんな人達を愛してえなあと思う。

21歳のあの時から時が止まっている。

あの日から成長できない気がする。このままでは。

絵を描く事、それを仕事にして生活する事は私を正当化してくれない。

私がこの先なぜ何の為に生きるのかって言ったら、過去の自分の苦しみ、選択に意味を付与する為。価値があったと自分に言い聞かせる為。

私は間違っていなかったと証明したい。

でもそれは絵を描く事ではできないのだと気づいた。

絵を描く事はそれでしかない。他人という存在を抜きにして言えば、自分の中の物を取り出す作業とその結果でしかない。

それだけの行為で過去の正当化は出来ない。

やっぱり他人が価値を決めるのかな。過去の価値って何で決まる?その後に付いてくる結果の大きさなのかな。

でも漫画家になってそれで何?仕事にすることが最高の目標なのか?仕事ってそんなに崇高なことか?漫画家になったその先は?

私には未来への希望が無い。過去に価値を認めることさえ出来ればこの世に特に未練はない。寧ろ生き辛い。

今を生きるには未来を見る必要がある。でも今はできそうにない。ずっと過去を見てる。本当はもう一生未来を見れないかもしれない。過去の正当化なんて本当はできない。時が止まったまま身体だけ衰えていく。

漫画家になんてなってやればいい。ごちゃごちゃ考えるのも良いけど、なってみたらまた何か新しい考えが浮かぶかもしれない。選択にトラウマでもあるんか。とりあえずやる、ってのは思考停止みたいで嫌だけど、分からない事の方が多いのだからやるしかないんだ。そもそも技術が未熟なんだからなれるまでに時間がかかるかも知れない。漫画家になる前提で話したけど簡単じゃないんだ。

 

最近はネトフリを活用しようと作業中に映画やアニメなどを流しています。

しっかり見るタイプの映画は作業のお供には向いていないのでスナック感覚で観られそうなものを選んでいます。テレビ番組なんかもあるしね。

ピングーとか、水曜どうでしょうとか、ブループラネットとか。

ピングーは今日第一シーズンが終わった所。第一シーズンはほとんど幼少期に見た事あるというか多分ビデオ持ってたんだろうな。懐かしかったし思うよりほのぼのほっこりしててピングー達も仲良しそうだった。

ピングーが家出したお話は結構トラウマだったな。あの怖い顔した氷。それから一番最後のピングーの夢というお話、これは怖い…。幼少期に見た覚えが無いのでもしかしたらこれが初めての視聴かもしれないけど、子供心には確実にトラウマになるだろうな。

直近でブループラネットの南極の回で散々ペンギンがオタリアに食べられる場面見たから、あれが天敵のオタリアで、捕食されそうになる夢なのではと一瞬で思い至りました。

そのオタリア(だったかアシカだったかオットセイだったか…)もブループラネットではシャチに生きたまま投げ飛ばされて弄ばれていて、弱肉強食の世界の恐ろしさと、死が当たり前にある自然とそんな自然の中にいながら死から意識が遠い人間のおかしさを感じました。

ブループラネットめっちゃ面白かったな。海に興味持った。

それから今日は「OCD~メンタル・クリニックは大騒ぎ~」を見た。

強迫性障害を持った患者たちがまだ来ない医者を待合室で待つ間お互いの発作に眉をひそめる、というあらすじから笑ってはいけない待合室的な感じかと思ったら意外と交流的で前向きなお話だった。

当事者からしたらこの映画はどう映るのかな。やっぱり都合の良いフィクションだと思うかな。慰める感じが気に食わないとか思うかな。それとも元気をもらうかな。

でも努力すれば…とかお涙頂戴みたいなシリアスじゃなく一貫としてコメディで説教臭さが薄れてたのが良かった。役者さんの演技もすごかったな。

それから一番良かったって思ったのはエンドロールに映ってたその後の皆さん。完全に障害を克服した!バンザイ!っていう描写じゃなくて、ちょっとずつ克服していってる、でも時々負けちゃうっていう描写なのが良かった。神に祈りを捧げる典型的強迫性障害の一番性格悪いおばさんの、だんだん克服していってるんだな、あ、でもやっぱり不安になってカバンから鍵探しちゃうんだな、…本当に鍵忘れちゃったんか~い!みたいな所がお気に入り。何言ってるか分からないと思うが詳しくは観て下さい。

時間も一時間半くらいで丁度いい感じの映画だった。

スマホアプリのフィルマークスという、映画情報をチェック出来たり鑑賞記録を付けられるアプリを友達に勧められてやっていますがこの映画を検索しても出てこなかったorz スペイン映画らしい。でも出なかった。何故だ~~

フィルマークスで気になってチェックした映画をネトフリで検索しても無い映画がたくさんあり、アマゾンプライムにも課金しようかと思案中。

DVDプレイヤー無いし近所のレンタル屋ポンタカード必要で会員とか面倒だし映画館も無いしでこういった動画配信サービスはとてもありがたい。こうしてネットやるついでに見られるお手軽さも良し。

でもたまには映画館で観たいというか作品に直接投資しないとな。