Hyper Carronade

灰色のはい

表現活動に対する姿勢について

カリスマと呼ばれるようなアーティストは皆自分が「与える側」という意識が強い。

いつでも観客や読者や業界全体の事を第一に考えて、それに対して自分がベストな状態でパフォーマンスが出来るようにコンディションを整えている。

カリスマはその与える側としての振舞いを「上から目線」と揶揄される事があるけど、違うな。ある意味自分を最大限殺している人たちなのではと思う。本当に表現に全部を合わせている。ストイックだよね。ていうか表現に関する事以外の事してなさそう。私みたいに10時間以上寝たりポケモンにうつつ抜かす事なんて論外なんだろうな…。

この自粛中も自分に出来る事を最大限考えて、新しい事にどんどんチャレンジする。エンターテインメント界隈を潰さない為に、自粛でストレスが溜まっている観客や読者にエンタメを提供する為に。

やっぱりプロはすごいな…。

私は漫画を描いているが寧ろ「与えられる側」の面構えをしているんだな。全部自分の為に描いている。書いた漫画に読者の人に真剣に向き合って欲しいとまで思っている。自我つよ。良くない…表現者の一端すら名乗れない。

表現者としての心構え、どこで学ぶんだろう。人から学ばなきゃ生まれない時点で、って感じする。読者の為に漫画を描く。読者を楽しませる事を第一に考える。何の為に私は漫画を描いているのかって言ったらもうキャラクターとか世界とかが自動で生まれてしまうから出さずにはいられない、生理現象に近いものなんだよな。それを読者の為に描きました、なんて嘘ついているみたいになってしまう。

うーん…。

自分のやりたい事とか伝えたい事とかを読者によりブレ無く伝える為に技術的に読者の為に描く事は出来る。人を楽しませる為に描く、じゃなくて、人に伝える為に描く、だな。私に関してはそれで良いかな…。

ゆっくり頑張る。

ゆっくり…でいいかなあ。駄目だ。

あんまり頑張ってないなあ自分。頑張らなきゃな。勉強。そしてよく考えなくちゃ。

まだ諦めないぞ。