Hyper Carronade

灰色のはい

「1917 命をかけた伝令」をこの間観ました。

なんと、今年初映画です。なんと。映画観る前に一週間程度の力を溜める期間が必要なのでなかなかタイミングが合わないと観られないです。どうにかしないと。

 

戦争映画です。あまり好んで観る題材では無いのですが、なんといってもこの作品のチャームポイントが「全編ワンカット風撮影」で、予告映像の臨場感に惹かれて観に行った次第です。映像の良さで、同時期にやってる「ミッドサマー」も観る候補だったのですがちょっとネタバレとか他の人の感想見た限り空木の地雷ぶち抜きそうだったので、とりあえず映画館で観るのは辞めときました。ただレビュー見る限り音響の表現にこだわりを感じられるそうで勉強になりそうだったのでその部分だけ気になる。去年観た「時計仕掛けのオレンジ」もミッドサマーと同じく観るのしんどい系の映画とされてるけどアマプラでなんとか一時停止しながら休み休み観ることが出来たので配信きた暁にはその戦法を使って観てみようと思う。

 

で、1917の感想なんですが以下ネタバレになりますのでご注意を。

 

 

 

まずワンカット風撮影について、本当にワンカットっていう訳では無く実際はロングで撮ったシーンを繋げてそういう見せ方にしているらしいのですが、工夫したんだなーと感じますね。カメラの追うスピードと役者さんの歩くスピードを合わせていて気持ち良かった。臨場感は抜群。常時カメラが動いている。そのせいで弱小三半規管を持つ空木は激しく酔いました。

なんか、映画らしくない訳ではないんだけど、静止した画面で絵画みたいにカチッと見せるシーンは無かったからいつもと違う感じはしました。焦燥感がある。タイムリミットがあるこの作品に合っている。

ただ思うのは撮影方法が独特ですよーってあらかじめ言われていると、いざ映画を観る時に「このシーンどうやって撮ってるんだろう」ってメタ視点になってしまって折角の撮影方法で獲得した没入感を逆に殺してしまう感じはあるので前情報なしで観た方が良かったかも知れない映画ですね。予告のシーンもマジクライマックスの一番の見せ場だったからこの人はこのシーンまでは死なないし五体満足って分かっていたので途中のハラハラ感も安心感あるハラハラになってしまった。これはまあしょうがないのかな…。

でもストーリーはすごくシンプルだから観る人がメタ的になっても痛手にはならない。

なんだろ、映画鑑賞というよりはアトラクションに近かったかな。

アクション映画のような明るい派手さではなく人を殺す無機質で臆病で不気味で悲しい銃器の火花の明るさ。

戦争映画ってどういう心持で観たらいいか分からなくてかしこまってしまうんだけど、この映画は戦争の是非についてというより戦争時の再現性の方に力を入れているから、日本でよく夏にやっている戦争の悲しさを伝える悲壮感ダバダバで戦争反対思想のメッセージが強いドラマ映画よりスッとナチュラルに戦争の事が伝わってくる。こういう伝え方の方が私は好きだ。日本のはなんか選択想像の余地が無い、戦争ダメ絶対を押し付けられる感じで作品としては窮屈だ。まあ空木は戦争賛成してないし、そんなに日本の戦争映画見た事は無いのであんまり強く言えませんが…。この映画の中で、主人公が敵兵士の攻撃から命からがら川へ逃げて、川の流れが緩やかな岸辺に流れ着いた無数の兵士の遺体をかき分けて踏み台にして陸地にやっと辿り着いて、嗚咽を漏らすシーンがあって印象に残ってるんですが、全編通してほとんど主人公達の感情の吐露が言葉に依らないのもナチュラルさになっているのかなと思った。

この映画で人が直接死ぬシーンっていうのは実はほとんど無くて、死といえば戦地の跡に遺体が取り残されている状態なのがほとんどなんですね。それがこの映画の持つ静けさっていうか静の部分なのかなと思います。兵どもが夢の跡というかなんというか。

印象に残っているシーンはいくつかあるんですが、一番好きなシーンが一番最初の冒頭も冒頭のシーンなんです。それは塹壕の向こう側の平原の一本の木にもたれ掛かって目を閉じている主人公とその戦友のシーン。うろ覚えになってるけど、上官か何かが戦友の方に一緒に任務に当たる人を選ぶように言い、主人公に声をかけるシーン。

まあ普通の起承転結の起の部分なんですが、ラストシーンはこれと似た画面の構図で終わるんです。同じく平原の一本の木に主人公がもたれ掛かって目を瞑るんですが、もう全く冒頭の時と意味が違うんですね。それと被せて道中で桜の木があって戦友が主人公に木の話をするんですがその内容も相まって、見終わった後あの最初のシーンが私の中でも美しい思い出に変わってしまったんです。

映画館から出た後の気持ちはなんか「綺麗」だったんですよね。大抵映画観ると気持ちに多少濁りが生じるんですけど、純粋な綺麗な気持ちだった。それは終わり方が綺麗だったからだとは思うんですが、まさか戦争映画でこんな気持ちになるとは思わなかった。純粋さの綺麗なんですけど、寂しさ悲しさ虚しさの類もあって、一番近いのが虚しいなんですけど虚しいまで行かない、虚しいの一歩手前みたいな気持ち。気付きの部分。虚しいまで行くと「あ、無い。どうしよう、あーあ」までいくけど「あ、無い」で止まってる。まだ濁ってない綺麗な状態。そういう気持ちになった。

ミッドサマーじゃなくてこっちにして良かったと思った。

 

小さな映画館でちょっと遅めの時間で数人しか人がいなくて、帰る時間にはバスが無くて夜風に当たりながら映画の事について考えながら歩いて帰る。すごく心地良かったな。遅い時間の映画館って良いな。この感覚好きになれば映画もっと観られるようになるかな。なかなか遅い時間まで外にいられない空木ですが…。

近況。遂にiPadを購入しました。手元に届いたので早速メディバンペイントという絵を描くソフトを入れていじってます。

小さめの方を買ったつもりが間違えて普通のを買ってしまいまして、そこそこ大きいし、applepencilも一緒に購入したのですがそれも長くちょっと重量感あるのでなかなか鞄を選ぶ代物だと思いました。

大きいと言いましたがお絵かきソフトに限ってはレイヤーやらブラシのウィンドウで画面が圧迫されるので実際の作業するキャンバスはPCより窮屈に感じました。これを思うとミニじゃなくて良かったかもと思わなくも無いです。

いやあメディバンペイントすごいですよ。パソコンの前に姿勢を正して座らなくてもどこでもSAIと同等かそれ以上の機能を搭載したペイントツールで絵が描ける!久し振りに絵を描くのを楽しいと思いました。漫画も描けるみたいです。そちらはまだ手を付けていませんが。

ただまだシャーペンとかと違ってペンとキャンバスの間にデジタル的な隔たりを感じるので慣れが必要そうです。

紙の触感になるフィルタとごつい(重い)ケースも買ったので無事iPadライフをエンジョイできそうです。

 

 

 

来年の末に今の状態のままだったら漫画家の夢は夢のままにすると決めました。

今年と来年頑張らなきゃ。

だらだらしちゃう。白黒つけなくちゃ。 

一応白でも黒でも漫画は描き続けるとは思う。多分ね。正直描き続けられる自信なくなってきちゃったけど。今年に入ってまだ一本も漫画を完成させられていない。書けなくなっていってる。いつか描けなくなりそうで怖い反面やっと解放されるという思いも無くはない。

漫画描くの好きなまま大人になりたかったな…。

今現在描き進めている漫画は駄作です。

言い訳するならば、くらげバンチというWEB媒体の漫画サイトの8p縛りの漫画賞の締め切りが10日後だと知ってギリ間に合うかも!と思ってばばっと作った漫画だからいつもみたいに全く推敲も吟味もしていないし形骸的なお話の形がかろうじてあるかな?くらいで本当に間に合わせみたいな漫画になったのだ。私の「考え」がほぼ入っていない。いや一応あるにはあるが…。しかも8pに収まらなかったので結局没。中途半端な手の付け方になった。詰めようと思えばもっと詰められるはずのものだったけどいい加減一本でも漫画完成させなきゃという焦りに押されてそのまま書いてしまってる。これ仮に投稿できたとて引っ掛かるわけ無いんだよな。

やっぱり間に合わせでお話組み立てて描くより滅茶苦茶時間かかってもじっくり考えて言葉に出来ない事見えない物の表現に徹する描き方が私はやりたいと思った。

答えはもう出てるんだけど。まだ自分の技量不足がもう一つの道を塞いでいるだけなのかもしれないという思いがあるから来年まで頑張る。

締め切りや8pという制約があっても私の表現したい事じっくり詰めて形にする事は可能なんだろうな。要は大事な部分をどこまで最小限でシンプルに伝えられるか、無駄をいかに省けるか…。8p縛り、難しいな。しばらく練習として8p縛り意識して短編漫画ネーム量産しようか。やりたい事を見極める力もつきそうだ。

とにかく駄作でもなんでも漫画を完成させない事には焦りは消えないのでペン入れしているけど世に出したくないな。。。

最近の課題は料理そのものの描写や調理の過程や食べる行為を魅力的に描くことで、以前コミティアで出した短編集のうどんのところもそうだけど意識して漫画内で食事描写を描こうとしていて、今描いてる駄作も一応調理の不思議さ(個々で違う物として存在してた食材を混ぜて全く別物の一皿に変身させてしまう事)を意識して描いたんですけど見直してみて率直に自分には食に対しての「愛」が足りないと感じた。

確かにな、調理するの嫌いだしレストランも喫茶店もアットホームな食事処もオシャなパンケーキ屋さんも怖くて入れないし座って食べるより歩きながらコンビニ飯買って片手で食う方が多いし廃棄になって数日経ったちょっと酸っぱい弁当平気で食うような、必要最低限生の為の行為として行っていて、幸福感より満腹感を優先して得たい人間だから、魅力的な食事描写というアプローチはちょっと向いていないと思う。別のアプローチを探しつつ勉強しなければ。

宇宙の方の長編漫画が基本旅の漫画で、旅の醍醐味の一つと言えば食べ物で、私食べ物美味しそうに描くの苦手だなー練習しなきゃと思っての取り組みなので駄作と云えどギャ運の為の習作なんです。価値が無いわけではない。

 

たくさん勉強しなきゃいけませんが勉強するのはそんなに苦では無いので平気です。頭が弱いのでちょっと効率が悪く金を使いすぎるのがネックではありますが。

この間は着物教室の無料体験に行きました。通う前に様子見ができたのが有り難かった。来月から通う予定です。思ったより受講料が安くて財布的にも助かった。夏には着物1人で着られるようになるのかと思うと楽しみですね…普段着で着物着ている人ちょっと憧れだったので。これも創作漫画の取材です。

 

取材と言えば月1展覧会の目標は新型コロナウィルスのせいで早くも座礁しました。まあ今月2つ行ければ回数は取り返せますけどね。美術館もどんどん休館になっているし、早く収束してほしいですね。あと日用品の買い占めはやめてけろ…米まで無くなるって、籠城でもするのか?

 

近況は以上です。頑張ります。

プロセスと魔法の話。

コーヒーは、まずどんなコーヒーが飲みたいか自分の身体に聞いてみて、それから淹れ方と豆の産地と焙煎度合いを決めて、淹れ方と豆の状態や飲みたい感じなどから挽き目を決めて挽いて、お湯湧かしてフィルターをドリッパーにつけて抽出器具温めて、温度整えて粉を蒸らしてからドリップして、飲む。飲み終わったら抽出器具を洗って片付ける。

油絵は、木枠を組み立てるか買うかしてそこにキャンバスをキャンバス張り器と釘とトンカチなどを使ってピンと張り、エスキース通りに、必要に応じて下地材を塗って、絵の具をテレビン油で溶かしたり溶かさなかったりしながら筆やナイフ、手など使って描いていく。速乾性が必要ならメディウムや名前忘れたけどなんか白い粉を絵の具に混ぜて、じゃりじゃり感欲しけりゃ砂だって混ぜるし、絵の具以外の物塗りたくったりするも良し。一枚の絵を完成させて乾かしてお好みでワニス塗って乾かして、展示会場などに飾る。

 漫画は、まず生きて、脳内に少しずつ材料を拾い集めていって何かしらになりそうな気配を感じたら紙とペンを手に取り縦にシーンをばら撒いていき、読み返しながら添削しながら物語を作り、シーンを漫画のルールや効果に気を付けながら形に組み立てていきネームを完成させたら、それを元に原稿用紙に青いシャーペンで下書きをして、ペンの太さを変えながらコマから背景まで描いて間違えた所は修正ペンで消して、出来たらそれをボロスキャナーで取り込みコミスタでゴミ取りをし広いベタ塗りとトーンとセリフを打ち込んで、png形式で出力しサイトやツイッターなどで公開する。また、psd形式で出力し表紙のデータと合わせ圧縮し印刷所に渡し、本という形になって手元に届くのを楽しみに待つ。

料理なんかは顕著だけど、完成系までの手順を踏んでる間ってなんか魔法使いが鍋に食材としてあり得ない物をぶち込んで悪い笑みを浮かべながらとろとろと鍋の中身混ぜて怪しい薬作ってるあの図が思い浮かぶ。

いつか全部ボタン一つでなんでも解決する時代が来てこういう手順が失われ、ボタンの裏で何が行われてどんな反応を起こしているのかも知らずに完成系を受け取るのかな。私は既に電子レンジの仕組みを知らない。

漫画を描くのが死ぬほど遅い空木なんですが、フルデジタルにしないのは、まあ長時間液晶を見つめ続けるのが苦痛って言うのもあるんですけど、それ以上に制御が自分の手腕指から離れるのが怖いからなんですよね。ペンタブなんだからペン握ってんだろって思うかも知れませんが、なんだろう、自分で描いてるって感じがしない。実感が無い。液タブじゃないからかもしれませんが。デジタル絵苦手。背景も効果もテンプレブラシ使わずに自分で描きたいし。

「描いている実感」が自分の創作活動の中で大部分のウェイトを占めているみたい。

 

最近また焦っている。この間客に年齢聞かれて答えたら結構いってるねって言われてショックを受けた空木です。別に現実で見た目が老いるのはまあ仕方ないから良いんですけど。ババアになっても愛してくれる人一人はきっといるし。いやていうかまだ二十代だし。結構いってるってなんやねん。

でも創作活動において年齢は重要では無いけど、どうしてもこの歳で未だに絵を仕事に出来てないというのが心にズシンとくるわけですね。生半可に美大とか意識高い所行ったっていう箔が付いてしまったが為にがっかりされたくなくて中途半端な気持ちでプロなんか目指している。エンジョイ勢にもなれずプロにもなれず。中途半端。焦ってると楽しくないし疲れる。どっちかに転びたい。できるなら、エンジョイ勢に転びたい。

一応漫画家は幼少の時から将来の夢を聞かれた時に答えるものだったけど。夢を見ている時、憧れている時が一番楽しい。夢は浮遊してなんぼ。夢を叶えるって事は夢を現実に引き摺り降ろす事。夢は叶った後何になるの?仕事?夢を仕事に変える事は美徳なの?現実が無理過ぎて仕事を忌み嫌っている空木に夢を叶えることは、できない。

楽しみたいな。今の焦って悩んでもやもやで集中力欠いている状態、非常に良くないと思う。何もかも停滞している。何か、流れを変える新しい風が欲しい。

実際に絵の仕事をしている人の話が聞きたい。

創作できるなら別に夢だろうが仕事だろうが良い筈なのに、こんなにもやもやしているのは、きっと未だに何かを成し遂げた事が無いから。

苦労が絶対に美しい努力とは限らない事も分かっているけど、唯一好きな事が創作をすることで所謂苦労とか努力を回避している感じが誠実じゃないように思えてそれが嫌なだけ。でもその苦労とか努力がこの場合何を指すのかよく分からない。プロを目指すときの、何度も選考に落ちたり担当編集者と共に試行錯誤しながら作品作ったり睡眠時間削って何本もデビューに向けて漫画を描く事が必要なんだろうか。そういうのに背を向けている事に罪悪感があるのは確かだ。

でも、今の趣味の創作漫画はいい加減にやってなんかいない。はず。背景の資料を何百枚も集めたり日々インプットを心がけたり添削に時間かけたり絵の練習したり物語に必要な知識も集めたり。そういうのも努力していると言っていいのではないか?それらは苦ではない、努力とも思っていなかった作業で、でもそういうので、いいんじゃないのか?誠実さの証明なんて。

漫画の為に色んな道を諦めたりした。フォロワーの有難いお言葉によれば「何かの為に何かを諦める事はそれを両立できない能力不足なだけ」。私は馬鹿で能力不足だから音楽もバスケも美大卒業もぜーんぶ諦めちゃったんだよ。

もうつまらん意地しか残らないじゃない、漫画家目指す事とか。

いやはや、自分にとって聞きたくない言葉ばかりよく聞こえて記憶に残る。

 

今しがみちの原稿をやってます。霊の方。一年以上も更新していないし宇宙の方よりも数字的に待たれているのがこっちなのでいい加減着手しなきゃと思いながらやる作業のつまらなさ。いや、この漫画だって描きたい漫画なんだけど、宇宙の方が今は描きたいのだ。なぜかって言ったら今の私の気持ちと波長が合うから。主人公のドライバーは夢が見たいから眠り続けるような空木と同じようなキャラクターで、だからこそこのドライバーを物語の中で救いたい。うまく救えなくても彼の生きる様に私の物語も滲ませて肯定したい。

 

うーん、作業に集中できない。

ミイラ展に行って来ました。

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上野の科学博物館の企画展なんですけど、めっちゃ楽しかったです。

 

最近風邪続きだし、バイト休みだからゆっくり家で過ごそうと思っていたのですが、月一展覧会の目標達成には昨日が今月のラストチャンスだったしお日柄も良かったのでパーッと行って来た次第でありますが、行って良かったですね本当に。出費も気にならん。充実した内容だった。

何十体もの本物のミイラが出土エリアごとに展示されていて、それぞれ最新の科学技術を以て分析したそのミイラの作られた年代の事やその人の身体の状態や装飾品やミイラの作成技術などなどを見ていくみたいな趣旨の展覧会でした。

他の国の死生観にも触れることが出来て大変栄養になった。

いや、しかしミイラというのは故人の身体を永遠に残す、あの世とこの世を行き来する魂の“この世での居場所”として残しておく。死というか消失への恐怖と故人の魂への純粋な想いの文化なのに、侵略ってやつは嫌ね。戦争は文明の破壊だと聞いたことがあったけどエジプトのミイラ文化はこの毒牙にかけられて衰退した訳だ。自分たちの信じるものと違う形というだけで野蛮の一言で片付けてしまう傲慢がまかり通る世界は終わって欲しいね。

ミイラ展では愛を感じました。慈しみみたいな感情が押し寄せてます。丁寧に包帯を巻いていたり、綺麗な棺を作ったり、故人の生前の姿を描いたり。愛だな…。

そして最新技術による分析のおかげでこの遺体達の人生の物語が垣間見られるのが良かった。

エジプト以外のミイラ文化も興味深かったな。オセアニアの肖像頭蓋骨と北ヨーロッパの湿地遺体、ミイラになろうと研究して本当にミイラになった日本人が印象に残っている。

思えば干からびた遺体の展示なのに平然と文化資料見てる感じだったな。時間が止まってから数百年数千年経ったら人間は物質だな。

文化資料とは言えやっぱり人間の遺体なので、興味のある人か大丈夫な人だけ是非行って欲しい。

 

因みに写真は恒例のお土産で、左がエジプトの神様の缶バッジ付き飴缶、真ん中がペルー・レイメバンバのミイラ包みの指マスコット、右の青いのがスカラベ

まだ2020年始まったばかりですが、なんだか今年は色んな変化が起きそうな気がします。というか既に色々起こっている。

私が私じゃなくなる瞬間がある。ただの人間、ただのたんぱく質、ただの女。肉体と魂が分離している。魂がもう全部どうでもいいと思ってて、それが自分の肉体でさえどうでもいい範囲にある。の割に早く死にたいとか思ってた癖に歯医者行って虫歯治療をしだした。支離滅裂。虫歯でも死ねるのに。私が持ってた一貫性が崩れていく。

勿論全て一本に綺麗に繋がる筈もない。矛盾も正反対の気持ちもあるのは知っている。そしてそれは嘘を吐いている訳では無くどちらも本当の事。単に生きるの辞めたいだけで歯が痛いのは嫌。

少しだけエネルギーが戻ってきたから漲っている。色んな事がしたい。良きように転がれば良いけど、悪い方にもエネルギーが流れていく。今まで自分の事人畜無害で良い子ちゃんだと思っていたし、目立つことを回避していたのでそうあるようにコントロールしてきたのだけど、最近はそれも制御できない。自分がどう思われても良いと思えることはある意味イマジナリー世間の目からの解放だけど、行き過ぎると秩序さえ壊しかねない。どうでもいいの領域を広くし過ぎだ。

 

なんか落ち着かないんだ。なんでだろう。こんなんじゃ嫌だ。落ち着きたい。もういい歳なんだからそろそろ感情の起伏も穏やかになってはくれまいか。

 

あ、漫画の選考は落ちました。残念。選考通過作品が0だったのがちょっと幸いだった。優劣見たくなかったから。さて次は何するか…。何の動きも得られなかったな。でも落ちた事で少し冷めた。プロ…だって全然熱い気持ちで目指してないもんな…。ただ体験したいだけなんだ…。

単行本化とか、すごい憧れるけどね。憧れだな。制作を考えると同人誌、コミティアってやっぱり私の身の丈に合う…って言ったらちょっと言葉良くないけど、丁度良いんだなと思う。

ただ最近の作品公開の場がSNS主流の流れで描くの死ぬほど遅い私は全く目立たず、アマチュアで人気の作家さんが増えたから居心地が良くない。全然作品売れなくても前は平気だったのにな。

平気なの。良いの、人気者になりたくないし自分が描く事自体に意味があるんだけど、評価数と自分の作品への満足度が合致していてつい人集めに目が泳ぐ。

描ければ良いけど、それだけで本当に良いんだろうか?疑問形って事は本当は良くないんだろうけど。自分の作品に満足出来れば全て良くなるんだけど。というか多分自分の作品を自分で評価する能力が育ってないから自然と他人の反応を見ながらの評価になる。無関心の方が多いに決まってるのにそれに引き摺られて結果自分の作品全部クソみたいになるのかな。

勿論未熟なんだよ。全てが未熟でそれが私にとってすごく恥ずかしい事。そして完熟する事は無い事。だから一生自分の作品の事恥ずかしいって思うんだろうな。なんか嫌だな。自分の作品超好きハッピーだったら絶対楽しくてしょうがなかったろうに。

自分の作品好きになりたい。でも無理。無理無理。あー無理。下手だもん。恥ずかしい。

 

もっと知見を増やしたいので色んな事がしたい。それもこれも全部表現の為。私の肉体も魂も人生も全部ただ取材の為にある。そんな人おる?怖~。それが空木です。

2020

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あけましておめでとうございます。

去年の総浚えもやらぬ内に年が明けてしまいました。という事でざっと去年を総括してみようかと思います。

 

全体的に情緒が大きく回復したと思います。久し振りに人間として生活できたと思っています。

ただ人間として生きると製作が疎かになりがちですね。この年製作した物の数が少ないです。というのも不慣れな長編・三部作などの続きもの漫画を一気に三つに増やしてしまったので、一本終わらせるのに三ヶ月くらい掛かってしまいました。

ていうか読み切り漫画はページ数足りないとまで言われたくらいなのに長編の1話になると3~40ページを超えるのなんなのでしょうね。

動画も2本くらいしか作ってないし。

インプットはまあ、映画はあまり観なかったけどアニメはそこそこ観たような気がします。空木は一週間待って1話ずつ観ると途中で飽きてきたり何も観たくない気分に差し掛かったりすると見逃して追い付けなくなったりしてアニメも観るの苦手なんですけど(クソ)去年は割と観られました。

小説や漫画は意識して読むようにしていたので平年以上読んだはず。好きな作家が増えたので良し。小説は数えたら17冊か。意外と少なかった。読書時間は移動中にしか取っていなかったからそうするとこのくらいが限界だろうな。

もう少し頑張れたろうなあ。製作自体もインプット作業も。

絵全然うまくなってないなあ。漫画は意識してコマ割りとか考えてはいる。でも独学になりがちだな…。

 

今年の目標は去年よりもっと勉強する事。ざっくり。

あと流石にいくら苦手とは言え映画は年最低でも10本は観ような。月一で映画観るデー作ったらええがな。

小説や漫画は引き続き継続して。

製作は、漫画は続き物の内のフェアレディ(三部作の方)を終わらせる。となるとコミティアには二回は出陣することになるかな。長編の去年ほったらかしてた方を4話まで更新する。もう一つの長編を出来れば2話分更新する。読み切り一本描く。かな。

動画は今やっている刀剣coc動画シリーズを終わらせたい…けどちょっと絶望的。版権動画の更新はこれで終わりにしようかなあと思っている。中途半端になってしまう。本当はキャラクターが一人でもロストor引退するまでやりたいけども。待たせているという罪悪感がすごいけど漫画が描きたいから動画製作疎かにしがちなのはなんだかだらしないなと感じるから区切りたい。でも作りたい動画を作らないままだとスッキリしないしう~ん…。

動画製作の終え処はまだ思案中。

あといい加減小型二輪免許を取りたい。旅行も二~三回行きたい。月一で展覧会に行くのも目標。

それから漫画描いて出版社に送っていこう。何かアクション起こしてちゃんとやっているという感覚を持とう。自分の為にしか漫画描けないから漫画家なれない~とかそういうのは今は後にして、やってみて分かってくる事絶対あるからやってみる。アクションの年にするぞ。

ブログも去年はあんまり更新しなかったのでもう少し頻度上げたいね。書く内容はいつも通り自分の思考整理です。

なにはともあれ今年もよろしくお願いします。

一昨日は高校の同級生と、自分の働く喫茶店でコーヒー飲みながら喋りました。

先日のコミティアのスペースに来てくれたパッション溢れる子です。面白い話たくさん聞けて楽しかったです。

彼女と喋ると、楽しい反面自分って本当になんとなくで生きてんなあ駄目だなあと思います。

きちんと真っ直ぐ創作に向かい合っている。愚直なくらい自分の気持ちに正直、真っ直ぐだから不器用なんだろうなと思うけど柔軟性があるから空木みたいに壁ぶち当たったくらいで鬱にならないだろう。まあ彼女の事なんも知らないからすごい適当な事言ってると思うけども。

深いところまでの思考。もっと考える時間が欲しいなあ。一人の時間が少なくなった。脳死している時間が多くなった。

私なんも考えてない。やっと賢くなってきたと思ってたけどまだまだ全然レベルが低いな…。

ていうか前々から思ってたけど空木、人と会話するとき会話の流れ、落としどころとか緩急とか色合いをデザインしがち。ここはこういう属性の言葉を言って、ここできゅっと締めて、こういう顔で終わりにする、みたいな。だから自分の本心とか意見より先にこの場に欲しい言葉を探しがち。なんかどこか外側にいる。

 ていうか私の思考は言語じゃなくて抽象的な聴覚なんだよな。

 小さい頃に少し音楽をやっていたから基盤というか、絵が生活の根底にあってそのスペアパーツが音楽だった。とか言って聴覚思考はそれとはまた違う音(音っていうのもまた違う気がするけど)なんだけど。声?頭の中で会話する。相手が自分だったり、現実で会話し終わった後の続きを頭の中でしたり、自分の中の形になってない感情を調べる為に架空の相談役を作ってただひたすらまとまるまで聞いてもらったり、適当に歩いてたらばったり誰かに会ったという架空の状況設定をして会話をしたりする。どれも現実に会話する時と同じようにしっかり流れを組んで綺麗に聞き心地が良いように調節する。

会話は私にとって音、音楽、物語、作品だな。

音による会話って抽象的だよな。残らないし。だから些細な会話は覚えてないのかな。

 

茶店で絵描きながら話した後、千葉市美術館でやっていた「目 非常にはっきりとわからない」展に行きました。

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 昨日が最終日でした。

同級生が前情報として、ツイッターで呟かれてる本展示の感想を教えてくれたんだけど「ぞっとした」とか「不安になった」とか「気づいたら二時間くらいいた」とかそういう感想ばかりで、一体どんな展示が待ち受けているのか?と思っていました。

けれどなんだろ、私は別にぞっともしなかったし不安にもならなかったな。「おお、なるほどすごい」とは思ったけど。どっちかと言うと迷路とか間違い探しみたいで楽しかったんだよな。

 なんか全て未完成で工事中で絶対に完成しない物で出来た空間で、入場する時に「audience」と印字されているシールを配られたけど、本当の意味でオーディエンス、ただの客、聴衆ではなく、そういうモチーフの一つとして扱われていて作品に組み込まれて、私達入場者含めて"展覧会"って感じだった。見る人と作品があって初めて展示って成り立つものな。

これはツイッター感想の中で腑に落ちた意見なんだけど大体他の展覧会で展示されている物は作品として完成させられたもので、その作品 対 見る側というはっきりした関係があるんだけど、この展示は見るべき作品がどれか分からないからこの関係が成り立たないんだと。そこに気持ち悪さが生まれていると。

確かに会場出た後本当に何でもない普通の工事現場のおじさんの荷物とか資材とか足場とかそういう物がさっきの展示みたいに見えたんですよね。それふと思った事だったんだけど結構この展示の核なのでは。作品と自分たちとそれ以外の境界を曖昧にする作品だ。

この展示の大まかな趣旨としては、今現在工事中の千葉美術館を利用したインスタレーション作品で、会場内はアトリエっぽくもあったし展覧会開催前の準備期間中みたいだったし改装工事中にも見えた。そしてこの空間がまた美術館の外観にマッチしていた。インスタレーション作品ってこうだよなと思った。

そして恐らくだけど、一日単位か開催期間内でか分からないけど展示の様相が変わってくるっぽいのね。私が入場した時ビニールシートで遮られていたところがあったんだけどしばらく見てたらアーティストっぽい人たちが動いていてやがてシートが外され違う空間が現れた。他にも時間で変わってそうな箇所があった。今回の展示、期間中再入場が本人確認さえできればタダだったんですよね。だからこれ繰り返し入場でもっと楽しめる展示なのかもしれない。二時間三時間滞在したっていうのもそういう意味なのかな。わたしゃ探偵か。本当に現代アートって意地悪ななぞなぞにしか思えないや。

同級生の見解は神視点の作品でお前らこんな不安定で未完成な世界で生きてるんだぞって突きつけている作品という事らしい(ざっくり)。工場現場の足場=不安を煽るという、モチーフの表す記号が私の中には無く工場現場の足場について感情を思い起こした事が無かったから観てすぐそういう風に言語で表せるからすげーって思った。彼女は多分言語論理思考の人かな。

私は観て、なんか団子が脳内に出来はするけどすぐには正体暴けなくて、こうして一人で椅子座ってブログ書く事で向き合ってやっと言語になるんだけど、前述した通り芸術とそれ以外の境界を曖昧にして芸術とは?と分からなくして今一度芸術を芸術たらしめる要素を考え直す事を提起する展示だと感じた。

多分この展示見た人によって見え方違うだろうな。

美術館が工事中の今だからできる展示で二度と同じ空間に行くことが出来ない。千葉美術館のあの武骨で立派な外観だから出来た空間。他の美術館じゃ出来ないな。

とても貴重な空間だった。

好きか嫌いかで言えばどっちでも無いけどじわじわ面白かった。言語化した今すごい面白い展示だったなーと思えてる。

 

芸術を芸術たらしめるもの…。見た人の脳に何某かをもたらす意図が感じられるか否か、かなあ。

この展示も会場内にあったものはありふれているし未完成だから何一つ芸術が無いように見えるけど少し引いてこの展示全体が、この未完成な物達ありきで成り立っていて思考促進機関みたいになってたから芸術と言える。でも道端の工事現場の足場なんかは誰かが必要でそこに置いていた仕事道具で、展示会場にさえ置いていなければ見ても何の感情も呼び起こさない物だった。これは芸術では無い。かなあ。

 

同級生は漫画を描く人で何本か商業漫画描いててそれについて主にお話をしていた。

漫画は商業。何回も言われてきた事だけど、結局好きな物を描いて認められるかは力-power-が全て解決しそうだよ。譲歩とか我慢とか要らないと思う。

私とその同級生は同じでは無いけど多分、アート寄りなのだろう。なんていうんだろう。表現をしようとしているんだよな。皆の為に楽しい漫画を描こうとしている訳じゃなくて自分の中の何かを漫画の形にする事自体に意味があるんだ。描きたい>読みたいなのかな。

私もコミティアの新刊をこの間編集部に送りました。結果待ちだけど、正直商業漫画を描ける気しないよな。自分の為の、漫画を描く行為。同人できっと充分…。

やるなら迷うなよな。まあそれは結果出てから。

でもなんか、続けたなあ。ここまで。

美大の教授との漫画家になる約束、絵を描くのを表現をする事を辞めないで欲しいっていう願いだったと思う。

同級生の同じ大学の人達の中で絵を描かなくなった人の話が出てきた。

やっぱり辞めちゃう人っているんだと思った。他人事だけど。私は続けたなあ。じんわりと安心した。

辛い事とかしんどい事とか勿論あるけど表現を辞める事だけはしない。表現の世界にずっといたい。商業でも表現の世界で色んな刺激や情報があるはず。私はそれが欲しい。

 

また長々と書いてしまった。