Hyper Carronade

灰色のはい

カミーユ・アンロ~蛇を踏む~

初台まで行き、見てきました。


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また久し振りの展覧会で腰がなかなか上がらなかったのですが、楽しかったです。

初台か遠いな~と思ったけど東京オペラシティのアートギャラリーには前一度詩の展覧会の時に来たなあと会場来て思い出しました。

ギャラリーだしこういう現代のアーティストの作品を取り扱うからちょっと変わった、興味惹かれる展示が多いな。

入って一番最初に出迎えるは文学作品の引用と活け花の作品。

綺麗だった。

申し訳ない事に活け花の知識マジで0だから綺麗とか可愛いとか、ああここはこういうモチーフを再現してるのか~しか分からなくてね…。部屋に飾りたいね。

他にも好きな作品あったけどまだ作品にカメラ向けてパシャパシャ撮る事に抵抗があって控えめにしか撮れなかった。

写真撮影は映像以外全部OKな展示でしたよ。増えたねぇ。

抜き出された作品の文章もなかなかエモーショナルで、帰りがけに気になった小説を買ってしまいました。

カミーユアンロと言うくらいだから外国の方なんだろうけど日本の文学書もちらほらあった。日本での個展に合わせたのだろうか。

展覧会の副題である「蛇を踏む」も日本の小説から来ていました。なんと今通勤時間に読んでる本「大きな鳥にさらわれないよう」と同著者でした。タイトル買い、タイトル観覧しているのがここでミラクル一致起こすとは。

 

次にドローイングの間があった。

パンフによると服についてだった。

人が身体を通すと立体的になり、脱ぐと模様が平坦になる。着ることによって人の形に沿うように変化する。脱いだら普通のチェック模様。いわば個性の着脱衣みたいな感じ。


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次は「青い狐」という一室まるまる使ったインスタレーション作品。

壁4面にそれぞれ自然、矛盾、理、連続性と、人類史や人生、地球史宇宙史のモチーフを年代ごとに並べてある展示。哲学者のライプニッツの四つの原理が割り当てられているらしい。

そして空間の真ん中に蛇。

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一定の間隔でかさかさ動く。

本当に蛇を踏んでしまいそうだった。

蛇とはやっぱりアダムとイヴを唆した悪魔のイメージが強い。それから脱皮を繰り返すから進化や連続性も連想される。

日本だと蛇は神の使いだったりもするね。

「青い狐」も何かの小説のタイトルだったっぽい。

 

次は映像作品。「大いなる疲労」。

これはめっちゃ良かった。

先の「青い狐」と対をなす作品でテーマを同じくしている。

歌うように読み上げるように唱えるように人類史や天地創造の詩物語が奔流する。生と死の積み重ね、原子の移動、神話。

博物館に収容されている鳥や植物の剥製がよく出てくる。

いくつもの引き出しの中に並べられた鳥たちの剥製。初っ端から私の好きなオニオオハシの固くなった姿が仰山出てきてひぇっとなった。

映像の情報量が多くてそれらをきれいに繋げることが私には出来なかった。

パンフによれば、剥製とは生態の研究のため分類のため生命の起源を辿るためなどに収集される物で、飽くなき人類の知識への欲求の現れであり、そして言ってしまえば剥製とは死体であり、それを積み重ね集積した知識を地盤にして築き上げた我々の現代とは死と永続の拮抗であると。

私も大学在学中、卒業した後もこういう表現をしていたかったなあと思った。

でも出来ないだろうなあとも思った。

興味が浅いんだ。研究とか極めるということが苦手だから、こういう作品作れないんだよな。私は瞬間的な知的欲求の解消の快楽に溺れながら作品作ってる。

あーすごい、もう一回観たい。二周三周すれば良かった。

 

コミティアの原稿終わってからやっと初めて遊びに行けて良かった。ずっとこの展覧会は行こう行こうって思ってたので尚更。少し開放感に浸れました。

 

さて創作頑張らないとねえ。

原稿燃え尽き症候群では無いけど、今日を迎えて明日を迎えていく訳ですがそれぞれそれなりの成果を上げねばならないのが心底面倒くさいし生きるのつまらないシーズンに入りました。もう全てが面倒くさい。ずっと眠っていたい。何もかもが気に食わない。

バイトも面倒になってきた。人間関係があるから面倒。接客が嫌い。

これでも心のボリュームが上がってきた方だ。

心の貧困的鬱で死にそうになった時は欲求を断つ。地獄大学在学中はとにかく自分が衝動的に人を殺さないように、そして少しでも苦しみを和らげる為に、欲しい物があっても心の中で要らない欲しくないどうでもいいと唱えるようにした。結果心のボリュームが下がりある程度鬱を乗り切れた。欲求を黙殺する事は手っ取り早い鬱の治し方かもしれない。(劣等感と自己否定からくる鬱にはこれ)

しかしこれには問題があって、鬱から脱却できた後、全然やりたい事が見つからないのだ。心のボリュームのつまみが極端に抑えられている。虚無になる。パトス的な物が自分から無くなって全部どうでもよくて何にも欲しくない。多分快方に向かってはいるだろうけど完治してない状態で、自分の心の音に注意を向けて出来る限り拾ってやってるリハビリ状態。これは作家志望として致命的では無いか。知識への欲求までも死んでしまっている。

どうでもいいことやってるとだるいんだよな。

全部無駄に思えてくる。

色んな事に価値が見いだせる程まだ余裕が無いのかもしれない。

やっぱりダブルワークして資金増やしてもっと経験を積み人生を彩る事に費やそうか…。少し創作の歩みを緩めて。

でも鬱じゃなくすべてに満足している完璧な自分に、作品を作る選択肢が必要だろうか…?どこか欠けているから、遠いところへ逃げたいから私は創作をしているのでは…?

また作品が生まれてくる場所が変わるのだろうか。

未来の事何もかも分からぬ。

コミティア反省会

 

コミティア無事終了しました。お疲れ様でした!

早速反省会と洒落込みたいところですが、イベント後の現在お腹空きすぎて入ったコメダ珈琲味噌かつパンの常識の範囲外のデカさにおののいております。何も知らずにミニシロノワールまで一緒に頼んでしまった空木の運命や如何に。

 

新刊ですが
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装丁がなかなかうまく思い通りにいったので満足です。いやこんなにメタルメタルしいのは想定外でしたが。ケチらず追加料金払ってマットPPにして良かったです。

それから遊び紙も短編集の漫画達全部舞台が冬なので雪っぽくできて良かった。この遊び紙すごく綺麗でいいなあ。気に入った。

買いに来てくれた同級生にいつも装丁綺麗って言われたのが嬉しかった。ちょっと印刷代高くついても装丁拘りたいね。

 

イベント自体はなんか濃かったです。

と言っても空木は今回席外す時間が長かったのでその分スペースで暇してる時間が少なかったから余計濃く感じたんでしょうね。

実は隣のスペースの方がプロの方で、めっちゃ売れる横で誰にも見向きもされない状態が精神衛生上良くなかったのでゆっくりめに差し入れ配りをして雑談もたくさんしました。自由に使えるお金が増えたから差し入れもバンバン渡せるようになったのが嬉しいところ。

差し入れ配りだけでなく四階にある西3・4ホールとの行き来が大変でそこでも時間かかりましたが…。

差し入れもたくさん頂いたな…。なぜか差し入れ渡しに行ったのに逆に貰うこともあったな…。キャスト(オリキャラ)っぽい紅茶を貰ったので帰ったら飲みたいけれどコメダパンチの後遺症で明日になるかな…。

漫画自体はいつも通りの売れ行きでした。全然売れてないと思ってたけどいつも通りだった。大体フォロワーさんのおかげだ…。ありがたい。

久し振りに会う同級生や先輩達と喋れたのが楽しかったな。高校卒業以来全く会ってなかった子も来てくれた。他の友人の売り子をしていたらしい。イベントが濃いなと感じたのは50%くらいこの子のせい。いやあこの子はよう喋る。こんな密度の高い会話を毎日しているだろうからすごい頭が良い。変わってない。久し振り過ぎるのに挨拶みたいなのもそこそこに 最近の悩み事を話し出したのには笑ってしまったし嬉しかった。お互い高校卒業から色んなことを経て数年過ごしたはずなのに、私との会話は高校生の続きみたいな感じだった。

 でも最近の私は自分の一貫性っていうかそういう確固たる芯みたいな物が弱っている気がしている。明日の自分はまた違う自分になってしまう。毎日別人みたいになって自分がどういう人物なのか分からなくなる。

その子から見た高校時代の私は強い人間だったらしい。絶対に曲げない譲れない物があるように見えていたらしい。もう自分ではあまり思い出せないけどやたら個性にこだわっていたよ。制服に帽子にブーツにカラータイツのファッション、油絵の具で汚れたスカートを頑なに買い替えなかったり(注意された)ルーズソックス履いて来たり(怒られた)制服は安全ピンだらけ。漫画もなんかやたらアメコミっぽくしてみたり謎にテンション高いし漫研でも絶対上限20ページくらいまで描いていたし、確かにこうやって列挙していくとなんか強い。目立ちたくは無かったけど自分という存在が埋もれるのが許せなかったし、同じクラスの”普通の”高校生たちに、合わせたいような魅力は無かった。

それから美術部や漫研には天才がたくさんいた(今日来た子もその一人)から、ライバル心を勝手に燃やしていた。負けたくなかった。何の勝負?

絵とか漫画描いてないと死ぬ人種だから命かけてたな。いつから腑抜けたんだろう私は。

 

絶対に美術予備校のせいだと思ってる。

 

そうそう、今日が濃い理由のもう一つはその子に発破掛けられてというかパワー貰って閉会30分前に急遽出張編集部へ新刊を持って行ったんです。 

一応本命としている編集部は無かったけど、比較的近しい雰囲気のところに行った。

初めてだったんだけど、あんな紙切れ一枚ちょこっと描くだけで作品を編集者に見てもらえるってすごいや…。もっと事前にはがきとか送って予約しないと駄目だと思ってた。調べすらしなかったのは作品が講評されることがトラウマと化していて怖いからそもそも行くつもりなんて微塵も無かったんだ。

結果としては、怖いくらい優しかった。

勿論褒めっぱなしって訳じゃなく褒めつつアドバイスをくれた。なのに全然傷付かなかった。なんで?穏やかな喋り方だったからかなあ。優しすぎる…。

終わりの方に行ったから編集者さん疲れてるだろうし緩くなっている可能性も否めないけど本当に良いの??貶さないの??って心配になるくらい、優しかった…。昨今の流れ的にもそうなのかもしれないね。優しく否定せず自己肯定感を育てる感じ。

講評の正しい在り方がどれかは分からないけど、通ってた美術予備校の大人数の中で作品の良し悪しを上中下に分けられて大人数の前で貶されたり無視されたりした講評よりこっちが良い。

予備校で大分心が折れたな…。大学でも折れたけど予備校で念入りに折られたせいだ。何度涙を流し総武線に飛び込もうと思ったのか。予備校が編集者さんみたいに優しさで包まれつつ良くなるようにアドバイスをしてくれて自己肯定感くれる感じだったら大学も卒業まで頑張れたかも知れない。いやそんなぬるま湯じゃそもそも美大には受からないのかな。分からないけど。

話が逸れたけど、作品の評価として、背景良く描けてる、資料たくさん見たのが分かる、余韻を残す情緒的な描写〇、一番最初の漫画の人物が一番いい、絵も良い、トミタさんみたいな人いるよねキツイけど悪い人って訳じゃない人、物語の種は良い、物語の終わりを区切るのが早い、もう少し物語の顛末が見たいってなっちゃうからもう少しページ数あっても良い、物語を経て主人公がどんな心境になったかが読みたい、キャラクターが背景に溶け込むタイプの絵だから微妙な匙加減になるけどモブと主人公格で差をつける、資料をたくさん見て背景を描いているから物語も資料をたくさん見て作っていくってのも良い。

ね、優しいでしょう。

意訳やうろ覚えの箇所もあるけど、概ねこのような事を言われた。

更にはもし商業で漫画描きたいと思う時が来たら連絡下さい、作品すごく良かったですとまで言われた。優しい…。

でもまだ私自分の為にしか漫画を描けない。他の人に娯楽を提供するための漫画、正直一生描ける気がしないんだよ。同人みたいに自分の為に描いた漫画を読んで好きって言って下さる方が徐々に集まる感じで割と満足している自分がいる。

まあでもプロでもアマでも本質的には良い作品を作る事を目指すという根元が一緒だから、案外心持ちはそんな変わらないのかな。それも雑誌の色によるか。

 

色んな事を考えた今日のイベント。もっと頭働かせて、また1からでも自分の確固たる譲れないこだわりを思い出さなきゃ。そしてやっぱり私は作品作らないと死ぬ勢であると実感した。

 

ああ、設営の反省点が少しある。

クリップをちゃんと持ってくること。メニュー表もう1サイズ大きい方が見やすいかもしれない。それかもう少し上の方、かがまなくても読める程度の高さに。見本の周りにごちゃごちゃ物置かない。見本は取りやすい位置に置く。いい加減イベント用のテーブルクロスを買うか作るか。あとPN変えすぎて名刺が無いから作る。漫画の本文ページを印刷して貼っておく。かな。

 

いやあイベント本当にお疲れさまでした。

 

結局味噌かつパンは1/3残してテイクアウトにしました。

 

猫とさよなら

実家の猫が死んでしまった。

悲しみたくない。ただ在り方が変わるだけだもん。肉体を脱いで毛玉を脱ぐだけ。形が無くなるだけ。

よく生きた。生きたことを讃え認めるのに悲しい涙ばかりでは華やかでは無い。

あまり亡骸には触らないようにした。触りすぎるとこの肉体だけが猫なのだと勘違いしてしまいそうなる。私は違うと思っている。思いたい。

死ぬって何なんだろうと思う。本当は消失するわけじゃ無くて一種の変化なんじゃ無いかと思う。

でも母と妹は亡骸を撫でながら話し掛けている。やめて欲しい。もうやめてくれ。悲しみたくない。

亡骸を家から運ぶとき、そして箱に入れるときに抱っこした。めちゃくそ重かった。けどぐにゃんぐにゃんして今にも零れ落ちそうだった。鼻から汁が垂れていた。制御のきかなくなった猫の肉体はただ早く焼きたかった。

けれどなんで骨壺に入った姿だけでこんなに悲しいんだろう。生命が止まってから正しい形に移ったのに、良いことなのに、なんて悲しいんだろう。改めて感情は善悪とは違うところにあると思った。

分骨したので手元に少し小さめの骨の集まりがカプセルの中に入ってる。

猫が生きた時間と真っ正面から向き合えるだろうか。

具合が悪いって聞いて、今月は無理そうだから来月実家に帰って顔を見ようと思っていた。普通に会えると思ってたんだけど、生きている内に会えなかった。それがすごく心残りだ。

母が心配だ。色々あったし猫と一緒にいた時間が長いから依存しているって本人も言ってたし、本当に一人になってしまう。

これから見送るという機会が増える。

嫌だな。誰も見送ること無く私が先に死にたいよ。

原稿の修羅場、バイト連勤、モンエナとカフェオレを交互に飲みながら血祭りにぶち当たり風邪を引き死にそうになっている空木です。

いやあ、こんなに締め切りに追い込まれる事なんて初めてじゃないか?ていうか同人誌即売会出るの一年ぶりだからな…しかもその1年前の時バイト勤務時間めっちゃ短かったから原稿やる時間たっぷりあったもんな…。

社会人として立派に働きながらコンスタントにイベントで新刊出してる人達すげえな…。

あと背景だけのコマを倒して、全ページ仕上げをして、スキャンして写植とトーン。それから表紙。それをあと一週間で終わらせなければならない。関節を襲う悪寒を宥めながら…

もっと効率の良い原稿の書き方をすれば良いんだけどね。背景とかごちゃごちゃ描いても正直無駄なんだろうけど背景描くのはわりと好きだしそもそも手の抜き方が分からないから全部描き込んでしまう。

でも大丈夫。辛いのはあと4ページ分だけ。その他はまあ手動かしてれば出来上がる。

 

というわけで進捗でした。やっぱり睡眠は大事だ。今日は寝ます。

芸術についてちょっと思った事をメモ程度に。

 

今はインスタグラマーとかツイッター漫画家とかユーチューバーなどが代表的なようにSNSなどによって誰もが創作者になれる。

芸術を楽しむ心も育まれていないのに。

私はこの国の芸術に対する意識は段々レベルが下がっているように思う。

なんでも規制、不愉快だから規制。不謹慎だから規制。炎上。見る側も作る側でさえもやっちゃあかん事をやってしまう。単に楽しみ方の知識、「楽しい」への理解、センスが足りないんだと思う。

人の事を言える立場では無いけど、創作者の母数の中にそういう芸術齧ったことの無い人が爆発的に増えて、一気にただの学校会社みたいな人間構成になってしまっているのかな。それで学級委員長みたいな人達が現れてしまって「皆気持ちよく仲良く楽しくやりましょう」とか言い出すから個人レベルの気に食わない物がどんどん追いやられてしまうような。「嫌い」と「悪」は違う所にあるものなのにそれすら分からない人達が大きい声を上げる。それはやめてほしいよな。

私は芸術はどこまで自由なのか分からないけど、特定の個人への攻撃に使ったり単なる犯罪行為は駄目だと思っている。一応人間だし。芸術家は人間を超越するのかっていったらそんな傲慢な事あるか、とも思う。作品はともかく作家は人間だし。

善は線引きが無い曖昧な物だけど、悪は存在すると思っている。

よく炎上してるユーチューバーの過激な動画とかいじめ動画は、容疑者が「面白いかなと思った」とか証言している事多いけどあれは悪なのはそうだけどそもそも面白いのセンスが無いなーと感じる。

芸術が大衆の物になる。手軽になる。

良い面もあるんだろうが、いかんせん我が国は芸術の教育が足りない。全体的に感性を磨く教育が足りてない。そうなると結局せっかく与えられた芸術も適当な玩具にされて汚されて捨てられるだけだ。なんとかできないものか。

こんな事、美大在学中は一応思い馳せたりもしたけどどこかで自分と関係ない所で偉い人が解決してくれる事だと思ってたな。それより自分の事に精一杯過ぎて。

そもそも私の立場はアーティストとは名乗れないただの素人で自分本位に漫画ばっか作ってるだけだからあまりこういう事には関われないかな。

でももう少し勉強したいから海外に行きたいな。

台風も過ぎ去り、こちらは奇跡的に特に被害も無くいつも通りの日常が始まりました。

東北の方結構被害が大きくて、今私がのんびり我がまま平和に過ごしているのが申し訳ない。募金ぐらいしかできない。

 

いやあ、週末は台風はさておきなかなかどうして自分の日では無かったですね。

週末にライブ鑑賞の予定があったのですが、最終的な発表では公演を予定通り開催するとの事で電車が動くのを待って品川まで行ったのですよ。

本当は同居人と行くはずだったのですが、同居人はどうせこのライブも中止になるだろうと踏んで他の予定を入れていやがったのです、私に何も言わずに。ライブ開催するよと言ったけどその他の予定を撤回するわけでも無く。数か月前から行こうね行こうねって言ってた私との約束<当日入れた予定。割と傷付きました。軽んじられてるな~…。

意地でも一人で行って楽しんできてやると思ったのですが会場に着いたらバンドメンバー本人たちが今日のライブはやっぱり中止だと、来た人たちに言っていた。バンドのホームページやツイッターを見たら午前中にそういうアナウンスがあった。

中止はまあ楽しみにしていただけに残念だけどこの台風だからしょうがないし、バンドメンバーも大変だろうにこんな情弱の為にお疲れ様ですとしか言えない。でも結果的に私の気持ちを軽んじ裏切った同居人の判断が正解だった事が気に食わな過ぎて再びメンタルがブレイクしました。

せっかくここまで来たし遅くまでぶらぶらしようと思い六本木の森美術館でやってる展覧会を観に行こうと思ったらこれも80分待ち。80分も一人であんな行列に並ぶ体力は無かった。映画も観たいやつは3時間後のレイトショー。終電に間に合わないので諦めた。世界に拒否されている…。

森美の近くにある喫煙所で一服しようとした。そこからは夜景に映える東京タワーと、その横に満月とまではいかないけど丸い月が浮かんでいるのが見えた。なかなかいい眺めだった。たくさんの人が写真を撮っていた。悠々と煙草吸いながら眺めていると少し機嫌が直った。

麻布通りらへんをぶらぶらするかと思い歩いていた。なかなかよさげな喫茶店を見つけたので入ってみた。トアルコ トラジャを飲みながら左手に煙草、右手に小説をもってゆっくり過ごした。トラジャは浅煎りめの方が香りがあって飲みやすくておいしい。というか深煎りの豆だと皆同じような風味に感じてしまう。コーヒーの味の7~8割は香りだと聞いた。香り命。単に私は苦いコーヒー苦手なだけだけど。でもうちの店で扱っているマンデリントバコは好きだ。

結局20時くらいに東京を離れた。のんびりするのも疲れた。

久し振りに適当にぶらぶらして楽しかった。大学の時を思い出した。いつもこんな感じだった気がする。でもお金が無かったからお店に入らずに本当にぶらぶらするだけだったな。

この家を出たいと思う。

価値観の合わない人とこれから先一緒にはいられない。というか私は人の為に生きられない。

でも言い出すのに勇気がいるなあ。向こうも同じような事思っていてくれればいいのに。

久し振りに風呂で泣いた。

何もかも振り切って捨ててきてそんな人生で良いんだろうか。