Hyper Carronade

灰色のはい

山羊座は大器晩成型なんだ!ちょっと待ってろ!

自分の周りには作品を作る人ばかりがいた。

だからかなあ、良い作品を作れないと見限られるっていうか、やっぱり同じ世界にはいられないんだよね。作品について話すことも許されないような気がするんだよね。

高校の美術部とか漫研とか、友達かなって思ってたけど、私はただの同じ空間にいた背景に過ぎなかったらしい。

良い作品が作れないでこの歳まで芽が出ない私なんて友達じゃないらしい。

は~~~、なんだったんだろう。友達ってなんだろう。まじで一人しかいない。

最近は良い物と良くない物の区別もつかなくなってきた。物を見る目がなくなってきた。それが事実かすらも判断付かない。

物も描けなくなってきた。もうそろそろ何も描けなくなるのかも。

こういう時にメンタルアタックやめてほしいよね。

だんだん私から人が離れていく。自分から離れた人もいるし、離れて行った人もいる。

私にはあまり人を惹きつける魅力が無いんだなあ。良い作品が作れない私なんてゴミ…。

なんかめっちゃイライラしてきたぞ。名を上げて私から離れた事後悔させてやろうか。

友達、自尊心、技術、プライド、衰え、疑心暗鬼、そんな物達が今の私を苛むのだった。

いやだいぶ前からもう見限られてたんだろうが。

は?見限るってなんだよ、結局人間なんて人生なんて、他人にとってエンタメの一種じゃないか。楽しむために利用されてきたんだろが。そこに友情とか絆とかそんな綺麗な言葉置きやがって、そんな虚無に心を捧げてバカみたいじゃないか。

あーあ、作品作りでさえこんな面倒くさい事が起きるんだ。

どうして自分の好きに物作って無条件に幸せになれないの?

正直プロを目指すとか言うのはその方が社会的に自分の存在に説得力が増すからで、プロになりたいとはそんなに強く思っていないんだ。

中途半端な気持ちでやるなって言われそうだけど策略の一つだから許してほしい。

でも可能ならば頭の中にあるすべての漫画を完結させるまで自分の創作サイトをひっそりと更新していたいだけなんだよ。

お金もそんなにいらないし人気になりたいとも思ってない。

ただ漫画描きたいだけなんだ…。

それじゃダメなのかな…。

うう、去る者追わずの精神でいれば良いんだろうが離れた人は私にとって特別意味を持つ人だったから、その離れられたという行為によって自分の希望や在り方を否定されたような心地になっているんだ。

私を肯定するのはなんなんだろうな。その人なのかな。違うよね。だって私の神様じゃないもん。

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今日は「デザインあ展」に行って来ました。

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NHKの教育番組の「デザインあ」と同じコンセプトで作られた、というか、同番組を展覧会という規模まで引き伸ばしたといった感じらしい。

楽しかった。

教育番組のものとあって子供向けの展示ではあったけど普通にいい年こいた大人でも楽しめました。

シンプルでいて子供に想像力を与えて考えさせて、創造させる。見事なものでした。

やっぱり夏休みだしかなり子供連れが多かったけど皆楽しそうだった。

一番印象に残ったのは映像作品で、色んな物を分解してしまう作品と、映像の動き(展開)に合わせてコーラスが変化する作品。紋の映像もかっこよかった。クールジャパン。紋って全部円で描けると噂に聞いていたけどああして動画にされると改めてすげえなって思います。鶴の紋だって無数の円からできてるんだって。すごい。外国のお客さんもいたけどきっとこれには大歓喜だったに違いない。

あとは回転寿司、分岐寿司、歯車寿司、偶然寿司。シュールで良い。

他に印象的なのはうめぼしの気持ちですかね。まさかの自分が弁当箱の下から顔を出して日の丸弁当の花、梅干しになるという体験型展示。知らずに並んで連れに写真を撮ってもらいましたが恥ずかしかった…。私が普通の女みたいなつまんねえリアクションしか起こせなかったのに連れは見事に梅干しの気持ちになりきって虚無の表情で写真に写ってくれました。これが私に足りないものか…。意外と顔をのぞかせる穴が小さくて窮屈でした。梅干しも窮屈なんでしょうかね。

上の写真の一反木綿専用の通り道めっちゃかわいいですよね。

一点だけ気になったのが、同じ読みの苗字を多い順に大きな文字で、少なければ少ないほどフォントの文字を小さくして並べた展示があったんだけど、それが透明なシートに文字が印刷されていてそれが上からライティングされてて、文字の影が絶妙に文字自体とズレてできていて読みづらかったんですね。

あれは文字読ませる展示なのでもっと考えた方が良かったのではと思う点でした。

なんというか全体的に体験型の展示で言葉で表すのが難しいですが、とにかく楽しめた、よく考えられた上でのシンプルさが素晴らしい!ですね。時々シュールな作品もあって大人でもクスリとできる、親子で楽しめる展示でした。

勿論今回もお土産を買いました。「デザインあ」って書いてある丸いピンズです。写真は面倒くさかったので撮りませんでした…。

その後は常設展の方も周り、台場の方へ行きピッツァを食べて帰りました。

 

ゆりかもめ構内の広告にチームラボの展示?何かのアートギャラリー?のようなものがオープンしたとあって、これがまた気になるんですね。DMも貰いましたが、展覧会という訳ではなく何かがオープンしたという事しか分からないんですが、行ってみたいですね。涼しくなったら。

台風の影響で大変涼しくて快適でしたね。

上陸した日はともかく、その前の日だってあんなに涼しく感じたのに一応30度くらいには上がったらしく、いかに35度前後がデフォになった現代が暑いか思い知りました。

私が小学生の時は記憶によれば上がっても30度までで、それでもやっぱり暑いなと感じていたのに、今では30度が涼しい。

惑星にしては割と短いスパンで環境が変化しているのですね。

でも温暖化といいつつ氷河期とも言われているし、よく分かりませんね。

惑星について調べれば調べる程、この地球という星にいる生命体にここまでの文明が芽生えたのが本当に限りなく0に近い確率で起こった出来事のように感じます。

だからこの生命達の明日が一週間以内に崩れ去ってもなんらおかしくないような気もします。

とにかくきっと来年の夏も体温のような気温なんだろうな。

 

 コミティアの原稿が終わったのでなんだかしっかりした目標を失って中途半端にやる事に手を出したり出さなかったりしています。

やる事はたくさんあります。

まず投稿する漫画の作成、次のコミティアの原稿のネーム、動画の為の絵、名刺、お品書き…

この中でまずやらないといけないのは名刺かな…。次にお品書き。

やる事ばかりやっていてもしょうがないのでインプットの方もしたいと思っていますがやっぱり映画を見るのは苦手です。様々な分野においてセンスのある人って映画たくさん見ている人が多いので映画を見る事はかなり栄養になるんだろうなあとは思っています。でも苦手なんですよねえ。

 

おとといは本を読みました。

私は最果タヒさんという詩人が大好きなんですが、その人が書いた小説『星か獣になる季節』です。

この詩人は堅実な文学愛好家の方にはあまり歓迎されないだろうなという感じの、若者の美しい闇を言語化している作品を作る作家さんです。装丁やタイトルからしてもサブカル系、アングラ系に分類されがちだと思います。

でもただのサブカルと言うには惜しいし、ネットから出てきたと言えどちゃちで表だけの若者文学とかいうやつでも無いです。この方は詩人です。

『星か獣になる季節』は一人の地下アイドルが起こした殺人事件をきっかけに高校生二人の未来が変わっていく、っていうざっくりとしたあらすじです。

今年の二月に文庫版がでたので、気になる方はまだ書店にあるかも知れないので買って読んでみるといいと思います。

なんというか、何言ってもネタバレになってしまう気がして何も言えなくなりそうですが、とりあえずこの本を読んで最果タヒさんは詩人だと実感したというか、この皆がなんとなく感じているであろうなんとなくの感覚や違和感をしっかり捕まえて解体して言葉にして還す。これが最果さんの作品の持ち味だなと思いました。そしてそれこそが作品を作る、その行為の原点だなあと感じました。

ただお洒落な言葉を並べてできるのが詩ではなく、事象を言葉に変換した形が詩なのかもしれない。まだ金子みすゞさんと谷川俊太郎さんと最果さんの詩しかまともに読んだことないけど。詩は分解された図鑑って感じか。

最果さんの他の小説に『渦森今日子は宇宙に期待しない。』というのがあって、これも好きでした。ちょっと口語が多くて読みづらくはあったけど、本当に最果さんの描く青春が好き。『星か獣になる季節』より闇は軽めだけど学生時代ならではの選択への躊躇とか自己に対する解釈とか他人との距離の兼ね合いとか、そういう苦悩を詩のような表現で描写していて尚更苦いけどこれが青春…って感じでした。

 

私の高校時代の青春は金欠に喘いで周囲を恨み羨みやがて不登校。私のような陰キャが先生の気を惹けるのは悪い事をした時だと気づいた。本当に出席日数足りなくて卒業できないところだったのだ…。私より絵の事好きな子がたくさんいて、私はちっとも特別でもなく、自分が大衆と埋もれていくの感じそれに絶望し個性に執着し制服に安全ピンをたくさん刺し、なんてかわいそうな青春時代だったろうか。

第二の青春は大学生の時、またも生活費に苦しみ食べるものに困りバイト先のコンビニの廃棄で食いつなぎ正直学業どころじゃなかった。でもバイト先の先輩と仲良くなり家に泊まったり作品について話したり相談し合ったり、その人にとって私は友人の中の一人に過ぎないけど私にとって生きてきた中で一番心を許せる友人だ。でも私の作家としての力が弱すぎてこの友人と共に芸術の世界で肩を並べる事はできないのだ…。そのまま気持ちも生活も苦しく胸に包丁を向けてみたけど私は生きる事に必死だと気づいて学校を辞めたんだ。

私は落ちぶれている。正直もうどんな称賛の言葉を貰っても私の心に届くことはないんだろう。いっそ言葉を使って私を貶してくれれば世界の事人の事疑いながら嫌いになれるのにそれすら無いから私は自分で自分を否定しながら生きるんだ。自分を肯定したら私は人として終わる。

うわー暗い。

ともかく教室の中では隅っこにいていつもクラスメイトの動きを見ていたから最果さんの描く青春も情報として共感できるんだろうし個性という面では自分も苦悩をしたから経験的にも共感できるんだろう。

逆にキラキラした子達に最果さんの作品はどう映るんだろう。よく分からないと言っておしまいだろうか。そもそもキラキラした子は本なんて必要ないのかも知れないね。

 

 

昨日は激しい頭痛と吐き気に見舞われて寝たきりでした。

本当に今までで一番痛くて気持ち悪くてこのまま死ぬか後遺症が残るんだろうなって思った。

熱中症なのか偏頭痛なのか…。

頭痛薬が無かったから冷房効かして布団にくるまって汗をかいたら水を飲み脳に文字を羅列させながらかたく目を閉じて耐えました。

あの頭痛で多分脳細胞一帯が死滅したと思う。

考える力が弱まってしまったかも。今後の私の作品に影響したらどうしよう。まあもともと大した作品作れないんだけどね。

自分は喫煙者で煙草が好きです。

吸っている時なんとなく気持ちがすとんと落ち着くし、予備校のミステリアスな先生が暗い個室でひっそりと煙草を燻らせる姿に憧れていたし、コンビニ夜勤終了後にそのまま従業員が深夜勤務の人と一緒に煙草吸いながらバックヤードに引き籠ってひたすら駄弁っている時間が私の青春でした。

自分が小さい頃に父親が吸っていたけど、不思議と嫌悪感はなかったんですよねえ。これは遺伝ですか。母は嫌煙派で父に臭いと怒っていたけど。

最近どんどん煙草の規制が厳しくなってきていて、オリンピックの事も考えての事なんかな、世界水準的な何かに近づいていってるらしくて、この流れを見て愛煙者である私はすごいもやもやしながら過ごしてます。確かに他人の健康を損なうものだから規制自体はいい流れだとは思うんですが…。

最近のネットの声の大きさから極端な意見がまかり通るように、このまま煙草販売禁止、果ては喫煙表現すら禁止なんて事になったら…という懸念があります。そんなクソつまんねー世界……………。杞憂だったら良い。

嫌煙家の方の厳しい意見が心に辛いですね。煙草、好きなんですよ、私は。

いやでも正直喫煙者の中でもマナーの悪い奴、ポイ捨て歩き煙草等する奴さえいなければ、喫煙所があるだけで完璧に棲み分けができたならこんな嫌な気持ちになるような事無いと思う。嫌煙家だって煙草を悪だと言うのはそのマナー悪い奴の所業を見てそうだと言ってるんじゃん?純粋に煙草を常識の範囲で楽しんでいる喫煙者にしわ寄せが来てんだが?!悪いのはマナー守らない奴の業です。煙草は悪くない!!!

勿論喫煙者なんて煙草が健康に良くない事くらいパッケージにも書いてあるしそれを承知の上で吸っている死に急ぎなんだから、受動喫煙さえ防ぐことが出来れば両者共に多分平和なのだ。

とりあえず煙草悪い駄目じゃなくて、マナーの悪い奴をこらしめてやってくださいよ。法律とか条例で…。

受動喫煙法がそういう機能の仕方をしてくれればよい…。

 

以上、受動喫煙法が可決されたことによる嫌煙家の便乗煙草disに対する怒りと嘆きと悲しみの記事でした。

大雨について

九州とか中国地方の大雨やばくないですか…。

本当に自然災害って突然起きるんだな。この間まで普通に生活していたのに今遠くの地方で何十人も亡くなるような災害が起きて、なんというか遠い土地でこちらは無事だからフィクションのように思えてしまう。あまりにも突然すぎて。

でもネットではリアルタイムで色んな情報が回ってきてSNSなんか被災者からの直接的なSOSや現状とかが写真付きで知ることが出来るから、テレビで知るよりずっと鮮明に生々しく体感できる。

こちらでも先ほどちょっと大きな地震があって地震速報の音で死ぬほどビビったのですがこの国は本当に災害の多い国だな…。最近近辺が震源地の地震が相次いでいるから怖いです。今の内に防災グッズ揃えておいてもいいのかもしれない。

 

ネットニュース見てると東京のテレビではあまり災害のニュースをやらないという批判が寄せられている。確かに私のさっき見た番組も一応やってはいたがこの規模の災害のニュースにしては枠が短かったなと思った。

でもどうなんだろう。土地が離れているから確固とした情報が入ってき辛いんじゃないかなーとも思う。被害の数や気象情報で間を持たせるしか今現状はできないんじゃないかな…。こんな状態の場所にリポーターばかすか送るわけにもいかんだろう。

後々特番も組まれるだろうし。

この後強力な台風も近づくわけでしょ?被害がこれ以上増えると復興までの道のり考えると気が遠くなりそうだ…。

今現状で支援物資などを送ったらどこに届くんだろう。未だ救出の最中で混乱しているだろうし雨もまだ降り続いているし。お金はどこに寄付したら確実に被災地に届くんだろう。正直東日本大震災の時は被災者寄りだったし高校生だったから支援とか考えてなかった。

今回はいい歳になったから何かしたいな。

とりあえず清潔なタオル、服、下着、女性には生理用品もあげたい、飲み水、食べ物…食べ物は何がありがたいんだろう。缶詰だけじゃ腹にたまらないけど生ものは送れないし。あったかいご飯食べたいよなあ。電気とかも無い所もありそうだから電池とか懐中電灯とかいるかなあ。他に必要なのはなんだろう。経験が無い立場からすると必要な物ってなかなか思い付かないな…。

あっという間に七月になりました。蒸し暑くて汗がべったりして気持ち悪いです。心なしか息苦しくさえ感じます。

 

幸福そうな人みたいに無思考で明日を享受しているとあんな惨めな思いした日の事とか決意とか全部すっかり忘れて平気で怠惰に飲まれることができるね。

これが今を生きるということなんですかね。

過去の為に生きるのは苦しみを伴う事だ。

そして私は苦しんでいないと自分という存在に正しさを感じられないから、私は不幸で丁度いいのかも知れません。

不幸なのは良いが、それにしてもやっぱり自分は社会的な能力が低くて人間社会で正常な人というカテゴリの中で生きられないなと思います。辛いなー

本当に何か精神疾患を患っているんじゃないかな。そうだったらもういっそのこと病人というカテゴリに分類してもらって人間社会から隔絶された場所で暮らしたいよ。

なんで私なんかが普通の正常な人と一緒に仕事しているんだ。

今のバイト先、前の記事で愚痴を書いたかと思いますが先輩と折り合いが悪くて毎朝ファッキンなんですけどだんだん自分が悪いような気がしてきちゃっています。いや、先輩の言い方が嫌味ったらしいし、いちいち機嫌悪そうなのは被害妄想じゃなく確かなんですけど、私が仕事をまだ完璧にこなせないのも確かだし人の言葉を理解する能力に乏しいので苛立たせている部分もあるんだろうなと思う。

どちらにせよ先輩は恐らく悪意でやっているのではなく素がああいう人なんだと思うし、私も仕事の出来なさは無意識のうちにあるから、もう歩み寄る必要もないし無理する必要も無いんだなって思う。早く退職を願い出なければ。

 

本当はアルバイトじゃなくて絵の仕事がしたいのかもしれません。

技術を少なからず持っている人間としてプロフェッショナルを目指すのはおかしな事では無いし、自分に価値が欲しいと思った。価値は他の人がつけてくれるものだ。私に価値を付けてほしい。

でも正直プロとして仕事としてやれる技術が自分にあるとは思えない。自信がない。

自尊心が地の底だ。

でもサボってないで、やらねばね。

やってみて、運が良ければここから育ててもらえるだろうし。

何か成し遂げないと。何者かにならないと。

もし駄目そうだったらもう自分の為にも誰の為にも生きられないから死ぬね。

 

とりあえずコミティアのとっとと原稿終わらせなきゃ。

背景を描いていますがようやっと半分です。

現実に生きている感覚がありません。

コミティアの原稿が唯一の人生のオアシスと化しているような気がします。やっぱり現実逃避には絵を描く事が自分には一番良いみたいです。

現実世界の自分は思考が死んでいるのでほぼ脊髄で人とコミュニケーションを取っているので反応が遅れたりテンションが調節できなかったり芳しい態度をとることができずにいます。多分今の自分よりロボットの方が数倍生きるのが上手だと思います。

 

ちょっと愚痴をこぼします。

バイト先の先輩の人と反りが絶望的に合わなくてたった三時間のバイトが嫌です。業務内容も全然辛くないのに、その人たった一人のせいでバイトが嫌です。

ファーストコンタクトでこの人と合うな、合わないなって分かるじゃないですか、もう最初からその人と合わない事知ってたんですよね。案の定合わなくて数か月しか働いていないのにもう辞める事を考えています。

その人の言葉がすべて嫌いです。悪意があるのかそういう言語体系の人なのかちょっと判断付かないし判断材料が揃う程会話もしたくないのでもう本能的に嫌いとしか言いようが無いのですが。

でも最初にその人を紹介されたときに他の人はその人の事を良い人だと評していたので、恐らく私の受け取り方の問題なんだろうなと思います。でも受け取り方の問題といっても直せるものでもないしその人の為にコロコロ直すようなものでもないし、二十年近くかけて作った器ですし、相容れない。そういう人もいる。私はこっちで、あなたはあっちの森で暮らすのよって感じですかね…。

嫌いな人たった一人、しかも大して長い勤務時間ではない。それでこんな弱音を吐いて辞めるとか言って甘い情けないこれだからゆとりはとか言われるかも知れませんね。他の社会人たちは毎日クソ上司に耐え忍びながら仕事をしているらしくて、本当によくやっていると思う。私は我慢できないもん。普通は我慢できるのかな。その辺の忍耐が精神の大人と子供を分けるのだろうか。

でも嫌いな人の為に擦り減らすほど私の心に余裕は無い。心は無料配布じゃねえんだぞ。

それに割と長い期間この地に留まるだろうから、仕事選びにおいて働きやすさは大事だと思う。仕事って場合によっては人生そのものになり得る程大きなものだ。

問題はどうやって退職を切り出すのか、退職を願い出てから退職する日までの気まずさを乗り越えられるのかだ。なるべく角の立たないようにぬるっと辞めたいのだ。直球に人間関係がうまくいかないから辞めるって伝えたら気まずさMaxだし嫌味言われ放題だろうし、その人の事は嫌いこそすれ恨んでいるわけではないから無意味に傷つけたくもない。別に仕返ししたい訳じゃない。棲み分けがしたいだけだ。

うーん。面倒で憂鬱だなあ。色々と。

その人の事めっちゃ悪そうに書いたけど私も仕事のミスとかあるしトロいし愛想良くできてないから、多分その人も同じように私の事を嫌っているかもしれない。嫌っているから私に対してだけそういう嫌味ったらしい感じなのかもしれない。そう考えると私が居なくなることは良い事なのかもしれない。バイト先にとって良いことしてる!そういうポジ思考でいこう。図太く賢く生きるのよ。

 

嫌いなものや愚痴を言うのは悪いものを呼び寄せるというからここまでにする。

なにせ話せる同年代の仲の良い人がいないから、一人でモヤるよりどこかで文章にしないと感情的になりすぎるなと思ってこうして書いた次第。

 

現実生きたくないなー。

現実に私のような出来損ないの居場所はない。人並に出来る事と言えばやはり作品を作る事だから私は紙の上でしか存在する事を許されないらしい。