Hyper Carronade

灰色のはい

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活撃5話が心臓に悪かった。

でもかっこいいなあ戦闘シーン。蜻蛉さん…

物語におけるキャラクターの死は単なるエフェクトだ。

現実の私たちの死はただただ生命の停止という意味がある。

誰かの為の死、世界を救う死は誰しもがそれを迎えられるわけではない。

その点キャラクターの死には殊勝な意味を持たせやすい。結果物語に大きな変化をもたらす、印象付けることができる。死のエフェクトの効果はそれだ。

効果が大きい分うまく使わないといけない扱いづらいエフェクトだと思う。

ダークファンタジーにありがちな仲間の死からの主人公の発狂はあまり好きじゃなかったりする。台詞とかもそうだけど。

単にどこかで見た展開だな…と思ってしまい冷めちゃうだけかも知れないけど、なんだろうね。うまいキャラの死の使い方をした漫画ってどれだろう。

別にリアルに寄せる必要は無い。綺麗な死、残酷な死、無意味な死、物語の犠牲の為の死、なんでもござれだ。

ただ、扱い辛いエフェクトなんだ。読む人間は現実に生きてて、現実でいう死は人々にとって大きなもので畏怖の対象だから、やっぱりお涙頂戴で良いキャラを殺すのは思う所あるよね。死を軽んじる描写は総じて良くないんだろう。

活撃はまだ折れてるか折れてないか分からないけど、どんな描き方をするのか…。

 

死をあんまり経験したことがないから分からない。

お葬式もひいばあちゃんと母方の祖母の妹のものを小学生の時にしたきりだ。ひいばあちゃんが死んだ翌年に追うように祖母の妹みっちゃんも死んだ。みっちゃんは母の実家のお化け屋敷の隣の家でひいばあちゃんの世話をしてた。隣接する窓から窓へ渡って行き来していた。葬式の時何回もひいばあちゃんの顔を撫でて泣いているみっちゃんがずっと記憶に残ってる。

最近になって、十何年前に父方の祖母の姉が少年に殺されていたのを聞いた。

その人とは会った事がないが祖母にはよくお世話になっていて、その祖母の姉がそんなことになっていたなんてなんだか遠い事のようなでも決して遠くないような出来事で、心の奥でひやりとするものがあった。この殺人事件はウィキにもなってるらしい。

あとは予備校の最寄り駅で帰り際人身事故が発生して騒然としているところに立ち合わせたくらいか。ブルーシートを数人の駅員さんが持って隠していて、ああ、あそこで人がマグロになってるのか、と生々しさを感じながら思った。噂によるとまだ人体の一部が発見されていないらしい。よく使う駅だったから怖くて線路の方あまり見たくなかったな。

いずれにしてもなんだか心の奥がひゅっとする出来事だった。

死は怖い。

一日に一回は必ず自分はどんな死に方をするのか、いつ死ぬのか、死んだ後のことを考える。

まだ死にたくないけど体調の悪さと生活リズムの乱れからきっとそう遠くないんじゃないかと思う。

死んでみないとどんなもんか分からないもんね。でも死んだら終わりだもんね。

怖くも尊いものだ。

今日は涼しいね。風もあって良い。

これ以上熱くなられると流石に怒る。どうにもならないけど怒るよ。

原稿は多分余裕をもって進められていると思う。もっと涼しければ、もとい、部屋にエアコンがあればもっと集中できるんじゃないかな…。熱中症やむなし、今夏の目標は生き残る事。

 

今日は特に虚しい気持ちだった。普通に早番でお仕事して帰って寝て起きて今なんだけど、本当にこれだけ。

退屈ってつまり平和なんだわ。私は平和を望んでいたはずなのに退屈で死にそうだ。

 

レジ入りながらふと逃げちゃおうかなと思った。

日曜なんかあんまりお客さん来ないし仕事も無いし暇すぎるんだ。店内のDVDから流れてくる君の名はの宣伝の音も耳障りだ。

カバー折りながら逃げる自分の事を想像していた。

 

東京に住みたい。今のパートナーが県内の小さな町の郵便局でもう働いていて、そのパートナーともし結婚などするのであれば私もその町に越して一緒に暮らして、添い遂げるならきっと東京に住むことは一生無いんだろう。

この一生で出来る事っていくつも無くなってしまったんだなあ。

パートナーを裏切って、仕事場を裏切って、家族も裏切って、誰にも何も言わずに必要な物だけ持って東京のどこか安いアパートに越してしまおうか。

今の所お金はある。これは出来ない事ではない。ちょっとわくわくするね。

パートナーも仕事場も好きだよ。

東京に固執する理由は特にない。強いて言うならあちらは文化的だからだ。

ああ、職場もすごい良いところなのに、それでも駄目なんだな。つくづく人間生活に向いてないや。どうしたらいいんだろう。

作家になりたい。それだけの為だけに生きたい。

なんとなく物が作りたいなあと思う。

 

でもどうせ私は逃げることもできないんだろうなあ。一人暮らしとなるとネックなのが金銭面だ。アルバイトじゃ暮らせないなんて設計ミスだと思う。あーしんどい。甘んじてこの退屈な日々を受け入れて細々勉強していくしかないんだ。

 

しんどいな。退屈だな。でもまだ私に出来る事はあるよ。もっと苦しまなきゃな。

 

少年は荒野を目指すを読破しました。

大人と子供、男と女の間で揺れ動く迷子の女の子のお話でした。とっても繊細で、文学的でセリフ回しも良かった。

青春を謳歌する年齢の子供らのお話にしてはほの暗く、それもまた子供の抱える闇で。

子供はまったく無邪気ではないんだ。子供だってペットじゃない。大人と子供の違いなんて体の大きさくらいだ。

迷子みたいな表情をする狩野がすごく印象的だった。

陸と離れて、よく似た二人が別人になって初めてあの二人は恋ができるんだろうなあ。

いやー、完成度高い漫画だ…。これを青春時代に読めた世代が羨ましくある。

相変わらず作品の感想を述べられるほど語彙が無いけれど、読んで良かった作品でした。

 

人間の出来を決めるのは経験と知識かなあ。

人間の出来に年齢なんか本当に関係なくて、大人が全員「大人」では無く、子供が無条件に「大人じゃない」訳ではない。

ただ長い時間を生きた人はその分その時間の中に詰まる物があるはずで、必然的に「大人」になりやすいんだと思う。

平たく言えば人生の時間を無駄にした奴は体がでかくなっただけでも大人と認められるんだ。んー平等ではない。でも見た目でカテゴリ分けができるならそれが手間が省けていいよね。

もちろん人間の出来ばかりがすべてでは無いけど、あまりにも出来の悪い人を見ると見てるだけで気分を害するよね。やっぱり景観的にも良いに越したことはない。

ネットのスレとか学級会を見てると気分こそ悪くなるけど人間を俯瞰してみてみるのには手軽で丁度いいツールだなと思った。

経験かあ。

波乱の無い穏やかな人生は堕落の道なのかもしれないなあ。この説で言うと。

人間なんて所詮地球の垢みたいなもので、子孫繁栄さえできれば動物として花丸合格なのだから、本当は深く考えなくてもいいのかもしれないな。

でも考えなきゃって思うんだよな。人間だからなあ。

 

眠すぎて言いたい事を言葉に変換するのが難しい。

でも子供は子供で気苦労が多い事、大人は20歳以上であってもそれだけで偉い訳じゃないって事はしっかり判断付く。

 

今日は特に何もない日だよ。

昨日も特に何もない日だったよ。

一昨日も特に何もない日だったよ。

何もない日って言うのはいわゆるSNS映えしない日ってわけで色々細かい事はあった。

けど忘れてしまった。

恐ろしいね。大きい物に目を取られて日常がどんどん指の隙間からぼろぼろと零れ落ちてしまうや。

細かい日常を掬う作品が作りたいんじゃないのか。

何気ないプロセスを経て最後に放つ単純な言葉が重みを帯びるような、そんな作品が作りたいんじゃないのか。

うえええツイッターでもなんか特に呟くことなくてお留守にしてるし、

日常をもっと集中して見つめないと。

しかし本当に働いて帰ったら飯食って作業。っていうマンネリ化した日常しか送ってなくて、本当にこれでいいのか、今に置いてきぼりにされるぞと焦ってばかり。

散歩に出かけようかな。

ふらっと歩いてなんの刺激的なものに出会えずに帰ろう。

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ジャコメッティ展行ってまいりました。上は写真撮影可の区域で撮った写真。

 

良かった…。

ジャコメッティはとても思い入れのある芸術家なので始終どきどきしてました。

『やべえ、とり憑かれた!』っていう、芸術家にとり憑かれた体で作品を作るという課題が学校であって、それで私はジャコメッティに憑依された設定になったんですね。

結局その課題全然うまくいかなかったし課題の意図も汲めてなかったんですが、彼に関して図書館やネットで調べたので他の芸術家と比べると彼の事はよく知っています。

あの画集で見た作品が二年越しに現物で見れるなんて…

今思うと感慨深い。

課題で思い入れがある事を差し引いてもこの芸術家の事好きだなって思いました。

なんか彼の映画もやるみたいなので気になってます。

そうそう、展示の中にドキュメンタリー映像があって、在りし日のジャコメッティが作品を作ってて、カフェでクロッキーしてて、四角くて灰色のおじいちゃんですごいなんかこの気持ちはなんだろう。すごいどきどきした…。

ああ、課題うまくいかなかったのすごい悔やまれる。

こんなに好きになったのに…。

この課題で結構心が折れて、あれよあれよと退学決意に至ったからなんか、なんとも。

 

で展覧会で気付いたのが彼は家族に支えられていた事ですね。

芸術家の家族ってあんまりこう表面に出てこないイメージがあったけど今回の展示を見て、かなりジャコメッティは家族に支えられて、家族を大事にしていたんだなあ。と思った。

そういうところ含めてなんか、好きだなあって思った。

語彙力など無い。

まだまだ勉強不足だ。

 

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恒例のおみやだぞ。

しおりと缶バッジ二個といつものマグネット。

真ん中のサンシャワーも行ったんですがこのさわやかなチケットとは裏腹にすごいねどねどしい背景の作品がありまして精神的につらかった。

かわいい作品もあったけど、平和ボケした私からするとこの東南アジアの情勢とか内紛とかそういう作品はやっぱり引き千切れるような悲鳴が聞こえてくるようで見ていて痛みを感じる。それは作品のある一つの成功だと思う。素晴らしい。

圧倒的な量で途中で濃くて息苦しかったけど見て良かった展覧会でした。

なんだろ、私は戦争を知らない。

割と平和。自分の命の価値さえ分からない。

でも日本はかつて何回か外国と戦争をしているし、戦国の世だって戦いばかりだった。

戦は私にとって無縁ではないはずだ。

ただ私の勉強不足で遠い存在に感じているだけだ。

戦争が絶対的教科書では無いのは分かるがそれでもなかったことにするべきことではないんだ、何かを作る立場に身を置きたいのならば、神羅万象全てに無知無縁ではいられないんだな。

太平洋戦争については高校生の時にちょこちょこ調べていたけど、もっと知るべき根本的な部分があるはずだよなあ。

知識が足りない。

知識が欲しい。

 

勉強しに行って己の勉強不足を知る、そんな一日でした。

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ポップ作るのに失敗したのだ…

これは修正後のでーた。

修正前はもっと白抜きだった。

死にたい。

色々デザインの書籍読んでる割にはこの出来だぞ。死にたい以外の感情が湧かない。

思ったより印刷薄く出たしやり直せるならやり直したい。

うううう胃が痛い。

頭も痛い。

熱中症で死ぬなんて嫌だ。

あああ

こんな失敗一つでこんなに傷つくなら最初っからしっかり取り組めばよかったのに。

自分のやりたい事だけやっていれば良いわけじゃないんだよ。

あああああ

お腹痛い

提出したくない

ああああああ

誰も私に期待しないで、勝手にがっかりしないで生きててごめんなさい

あああああああああ

 

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今日。

 

買い物をたくさんした。

田舎に住んでいると遠出をしないと質の良い物にありつけない気がする。

田舎にはそもそもお店があまりない。最低限の衣食住を満たすのに必要な物しかない。

もちろん田舎にもいい所はある。田舎の暖かさってやつもあるにはあるが、今住んでる場所は5、6年前に引っ越してきて、内3年間は別の土地で一人暮らしをしていて、まだ帰ってくる場所としての田舎ではないというか、なんだか既に出来上がってしまったコミュニティに入っていけてないからいつもどこか知らんぷりされているような感じ。

昔なじみの友人もいない。幼い頃を知る近所の人もいない。

こうなると本当にこの小さい町はなんにもない。世界から病人を療養の為にと隔離する施設のように思う。それが私に焦燥感を与えている。私は狂うこともできないから正気のままこの施設の中で死んでいくのかな。いっそ狂ってしまえれば居つけるのかな。でも狂えない私は正気のまま檻の中で。

退屈だ。

東京の人には敵わないのだ。

お金持ちの人には敵わないのだ。

 

ああ、でも今日行ったところは東京ですらないんだわ。

東京を模倣した、でも下品な町だ。

欲しい物は買ったし面白い物も見つけられたから満足だけど東京ですらないところで満足してしまう田舎精神がなんだか嫌だ。って思う自分の卑しさも嫌だ。

 

でも今日帰り道、近くの団地に住んでる知らないおばさんが私に、

「公園通るの?あそこに今男の人が寝ているから気を付けて」

と声かけてくれたんだ。

なんだかそれが、自分を被保護者の気分にさせて嬉しかった。

私はまだ子供の気分でいる。守られていると感じるととても安心して心地よくなる。

バイトもして少しずつこの町は私の帰る場所になりつつある。

でも一年もしない内にまたここを離れることになるだろう。

そろそろ帰る場所が欲しい。