Hyper Carronade

灰色のはい

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谷川俊太郎展と上の階でやっていた収蔵品展と個展…かな?それから更に上の階でやっていたオープンスペース2017未来の再創造という展示を見に行ってきました。

漫画の作成が滞って自信喪失からくる鬱気分になっていたのでインプットしなきゃと思って。今日はよく歩ける日だった。

面白かったです。

谷川俊太郎さんの方は、この方の詩集を二冊持っていて、まあそれでなくても小中学校の音楽や国語の教科書で彼の詩には触れた事のあるほど有名な方ですが、一人のアーティストとして認識して作品を買ったのはつい最近で気になっていたしそもそも詩の展覧会ってどうなるんだろうという興味もあり前々からチェックしてた展覧会でした。

最初のインスタレーションがおおやるのおという感じでした。

詩の言葉の音のリズムが楽しい。にほんごであそぼを思い出しました。子供があの場にいたら喜んだかな。びっくりしちゃうかな。

キャプションよく読んでなかったからてっきりこのインスタレーションの展示も谷川さん本人が手掛けたのかと思ってやるのおと思ってたのですが帰った後図録を読んだら作ったのは音楽家の方と教育番組などを作る作家さんでした。教育番組っぽいと感じたのはそういう事だったんですね。

展示スペースは大きく分けて3つに分かれていました。まず一つがこのインスタレーション。次が恐らくメインの展示で、最後に年譜。

メインの展示では詩は柱や本を模したオブジェに印刷された状態で展示されていて、あとは谷川さんの生活の周りの物や、書籍、Tシャツ、携わった作品などがありました。柱の所にメモ書きみたいに谷川さんの一言程度の言葉が書かれた紙がテープで貼り付けられていたのが私は好きでした。

ミュージアムショップでは図録と詩集を買いました。

限定グッズが欲しかったのですが行く前にサイトを確認しても入荷のお知らせが入ってなくて、やっぱりショップにはそれらしいものは並んでいませんでした。

本当は入荷待ってから行こうかと思っていたのですが、お金のある内に早めに行きたいし、この展示もあと10日くらいで終わってしまうし、上の階のオープンスペースも今週で終わりという事なのでグッズは断念して今日行ったんです。

豆本のガチャガチャ欲しかったな…

 

上の階は谷川俊太郎展のチケットで入れる収蔵品展でした。

写真と、顔料って書いてあったから日本画かな?あと版画が展示されていました。

まず写真は昭和の、今はほとんど失われているであろう日本家屋を写したものでした。

日本家屋良いなあ…。あのシンプルな木の柵がずらっと窓や戸口の前を守るように張り付いてるのとか、台所。竈。囲炉裏。二階の部屋が後から付けた木の柵でびっしりの四角いブロックみたいに見えるのも良い。台所が特に目を引いた。今と昔で一番変わったのってもしかして台所なんじゃないかと思うほど創作上の物だと思うほどなじみの無いしかし懐かしいと分かる姿なのだと思った。ジブリの映画見てなきゃ知らなかったのでは。歴史の教科書に載ってたかな。なじみが無いっていうのはまったく初めて見るわけでは無く資料として知っててそういうものだと分かってるんだけど本当にあったんだなあって写真を見て納得できた安心感というか。不思議な気持ちになりました。

そして久し振りに大きい絵画を見た気がします。

日本画の事あまり知らなくて恐縮なんですが顔料がキラキラしてて色も相まって画面が温かく見えてモチーフも駅でふと目に留まる子供の仕草だったり田舎の風景だったりしてぬくもりの感じる絵だった。

そういえば一回だけ日本画を描いたことがあります。

高校の同級生のお母様が日本画を描いてて、良ければって誘ってもらったんだっけ。自分が高校生で絵をちゃんと描き始めたときだ。

手順とかも忘れてしまったな…。白いネットに入った桃を描いたんだ。今も父親がその絵を部屋に飾ってる。和室だから。

キラキラしてる顔料を置くのがとても楽しくて綺麗だったのを覚えてる。

あの絵は私もお気に入り。

日本画は形や線に対してシビアだと聞く。受験の時に聞いた話だけど。

やっぱり書き込みとか単純に技術が高かった。

あと版画も良かった。版画で描かれた建物の輪郭が好きなんですよ。漫画の背景に取り入れたいなと思った。勉強するぜ~~

水たまりの映り込みとか雪のなんか密度のある透明感とかよく版画で表現できるなあと思う。

絵をえがくって難しいな。

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こちらはオープンスペースの方の写真。

これは一見白い画面を映した、近づくと音が出るディスプレイだけど眼鏡で画面を見るとこのように白い粒とかで表された音の周波の変化が見えるっていう展示。

自分の写真技術はさておき面白い画面が撮れたと思う。

他にも色んな次世代へつなぐアイデアを盛り込んだ展示がたくさんあった。

すごい立体音響のヘッドフォンとか、触ると音がでる石とか、撫でると尻尾を振るクッションとか、文字をなぞると般若心経を読み上げるソフトとか、弾道学とか、アーティストの手の動きやその癖を学習して一緒に絵を描くロボットアームとか。

他にも自分の学が無さ過ぎて表現できないような作品もあった。

ロボットアームすごい可愛かったなあ。なんか赤ちゃんをみている時と似たような気持ち。

 

今日はたくさんインプットできたと思う。

電車の中で恒例の読書もした。今話題の羊と鋼の森。まだ半分ちょっと読んだだけだけどもっと早く読めば良かったなあと後悔。美しい。勇気が出る。

書店のレジにいた時に店内で流しているおどろおどろしい感じの予告DVDをずっとこの作品の映画の予告だと勘違いしていて、タイトルも何を指しているのかピンと来なかった為にずっと死体とかいっぱい出てくる陰鬱なサスペンスだと思っててなかなか食指が動かなかったんですね。森=死ぬ場所還る場所、死体を隠す場所っていう連想が私の中にあるみたいです。

でもこの著者の北海道エッセイを読んだことがあって美しくて柔らかい雰囲気で良いなと思ったし話題書の勉強という事で一応買っておいたんです。

買っておいて多分裏に書いてあるあらすじも読んだはずなのに忘れちゃったのか読む前までサスペンスが始まる準備をしていたんですよ。

サスペンスは始まらなかったですね。ああ良かったです。

なんかもっと本読みたいなと思って二軒の本屋をはしごして気になってた小説と漫画を買いました。いいぞいいぞ。

ああ私の脳がところてん形式だったらインプットした分アウトプットできるのになあ。

ただただ手が遅い。諦めないで頑張ろう。

ただ生きていくだけの事にこれだけの負担がかかる。

人間って不完全だなあと思う。身体の機能とかもそうだけど下手に脳が発達してしまったが為に生活のクオリティだとか他人がどうだとか生き甲斐を求めたりだとか「余計」な事が多くて苦しむ事になる。そしてその「余計」を愛するべきだと苦しみながら言う。

余計な物を大切にしたいなら生活が作業になれば良い。

今日はとうとう彼に朝ご飯は自分で作ると言わせてしまった。

彼を仕事に見送った後気を使われたのがなんか悲しくなって思わず友人にヘルプのラインを送ってしまった。

多分私がちゃんと生活が出来て彼の言う事がちゃんと汲めて行動に移せる頭の良い人間だったらこんな事は言わなかったんだろう。気なんか使わせなかったはずだ。

今までいかに自分の事だけ考えて作品を作る事だけ考えて生活を捨て去って忘れたのかがこの歳になってようやく分かった。

私はこの5年間「余計」を愛して生活を捨てたのだ。

勿論相手は私に完璧な家事を求めてないと思うし期待してないと思うし。私としても家事の奴隷をするつもりでは無い。

ただ私は養われるだけのヒモになりたくないだけで。多分今仕事してないから家にいて絵を描くことが彼に対して後ろめたいのだろう。

って相手に直接伝えられたらいいのに、うまく喋れない。

気使ってるのは私も同じだな。

とりあえず朝ご飯は作るように生活リズムを調整するという強い意志を見せつける為にリゾットを作った。味見したらめっちゃおいしかったので満足です。

生活について

新生活が始まりようやっとインターネットにも繋がり、落ち着いたかのように思われる今日この頃です。

荷物はまだまだ散らかっています。足りないもの、特に収納ケース類が全くありません。

様子を見ながらゆっくり片づけて行こうと思う。

 

今本屋の仕事を辞めてからまだ新しい仕事をしていないので時間がたくさんあって持て余してしまっています。

ずっと机の上でお話を考えていてもそれでも時間が余るんです。

食事の準備をしたって洗濯物したって時間が余るんです。

じっとしていられなくて外に出なきゃと思ってふらふら散歩をするのが最近の自分の動きです。

散歩をすると不思議と物事の答えが出たり深まったり生まれたりするんです。完全に一人の世界だからだろうか。

ブログに書こうと思ってた事も散歩中に出てきたのに机に座った途端に陳腐になってしまう。

 

パートナーと2人暮らしなんですがなんだかやっぱり慣れないのか、難しいです。

まず生活リズムを相手の生活に合わせなければいけないのが結構きつい。

パートナーはお仕事する偉い人だからそちらを優先するのは当然っちゃ当然。私なんて机で音楽聞きながら時々ゲームしながら絵描いてるだけだから。そんな私の姿を遊んでいるなんて言わず時々進捗を聞いてくれる理解してくれる人だからそれが救いだ。

ずっと家にいるのが今の所私だから家事はほとんど私がやる。

それもまあ慣れてないから辛いかな。今は時間持て余してるから良いけどこの先私が仕事をし始めたらどうなる事やら。このままだったら爆発する予感がする。

今日はパートナーに生活を注意された。

悲しかったのでお昼ご飯のキャベツとジャガイモのトマト煮が失敗した。

思うのは二人とも一人暮らしの経験もあって、彼の方は私が引っ越してくるまで数か月は今の家で一人で生活はできていたのだから、私が来ることによって発生する諸々は全て余計な事なんだという事。

2人で暮らすメリットってなんだ?

私は絵を描く一人の時間を優先して生活をしていたから正直今の生活が息苦しいのだ。

部屋に自分以外の人間がいるのも慣れない。彼が寝るから私が起きなきゃいけないのも、人の為に料理を作るのも、気温が上がらない早朝に濡れた洗濯物をベランダに干すのも、私が寝る時に彼が通話しながらゲームしてるのも。

金銭的なメリットを期待されているのであれば安いアパートで一人暮らしをしていた方が安く済む気がするよ。

それでも好きな人と一緒に暮らしたい、だなんて頭ハッピーな事言うの?

私は一人の時間を優先するのに。

この生活が何年も続くの?本当に?

 

様子見ながらゆっくり荷解きをする。

 

今日はバイト最終日でした。

最終日って言っても永遠の別れでも無し、普通に働くのをやめるってだけなんですけどね。普通にいつも通り仕事して普通に最後の挨拶して外出て帰路を歩きながら最後の挨拶の場面を反芻していたらなんだかしんみりしてしまいました。

前にいたバイト先の方が長く勤めていたのですがね。本屋さんは大分世話になったというか、年齢層が自分よりも上の方が多かったから大分甘えていたと思う。

たくさん本読んでねって好きな社員さんに言われた。読みますたくさん。

 

これで一つ終わった。

また始まる。

これからどうなるんだろう。

しばらく無職です。漫画描かなきゃ。でも漫画で食っていけるかっていったら可能性は薄いから、生活の為、ひいては漫画描くためにまた働かなければいけない。

不安、だなあ。

生命の維持だけでも不安なのに、ましてや人生を豊かにする事なんて遠い理想のように思われる。でも生きねば…。大丈夫。生きねば。

この間コミティア終わりました。無事。

コミティアに関する反省会は作業進捗用のブログにあります。

capacityover-city.hateblo.jp

こっちでは紹介していなかったと思いますが作業の進捗記録をちょこちょこあげるブログを開設しておりました。こっちは明るいです。

 

あっという間にスケジュールの中の大きいイベントが終わって、そろそろバイトも最後の日が近く、本当にあっという間です。

このままだらっとしてちゃいけない。立ち止まらずに。大丈夫私はまだやれる。

立ち止まらずと言いつつ今日は投稿用の漫画のプロットを組み立てる作業の途中ふと主人公とキーパーソンが宝石の国のフォスとシンシャに見えてしまい確認の為漫画を読み直したら全巻通して読んでしまいました。その勢いで借りていた漫画の最終巻も読みました。

まあこれは勉強の内に入るから立ち止まっているわけではないのだけど…。

フォス最初の方は仲間に散々な言われようで、ボロボロになった今のその成長が純粋に喜べないんですよね。多分それが重要というかそれこそなのかな。単行本派なので今どうなってるか分からないのですがこれからどうなるんだろう。あとセリフの入れ方や言葉の選び方がかっこいい…。あとちょくちょく出る変な生き物や最新刊のドレスみたいになって手を引かれてフォスが階段上ってるところにすごい25時のバカンスみを感じた。

あの作品が一番市川先生の持つ世界観が濃いのかも知れないなあ。

借りてきた漫画はエッセイなので怒涛の切り返しやかっこいいセリフとかそういう都合良いのは無いんですが印象深いシーンを描くのがうまくて、それが始めの巻から伏線というか散りばめられていたものをここで持ってくる、というかこういう展開だからこのセリフをずっと強調してたのかーというような、お話の構成に感嘆しました。

号泣しました。感動する展開だからとかそういうんじゃないんですよ、人の死に感動もクソも無いし人が死んだから涙を流したわけではなく、なんか、表現にやられたんだと思う。って言っても全然しっくりこないけど。丁度いい言葉がないんですけど。この感覚はちゃんと掴んでいないと風船みたいに手からふわっと離れてしまうタイプの感覚だ。言葉にしてちゃんと繋ぎ止めていたいのにしっくりくる言葉が無い。

 

今日はそんな感じで終わりそうです。

コミティア道中ではそういえば星を創るものという学術文庫のコーナーにあった小説を読み進めてました。結構長い期間を掛けて読んでいたのですがもう少しで読み終わりそうです。

物理学というかそういう系の大学を出ている方(うろ覚え)の著作で本編中は太陽系の惑星の開発工事などの途中で賢明な技術者達が災害に巻き込まれ問題の原因と解決法を調査と資料によって導き出し危機を脱出するその過程を描いたものなんですがかなり専門的な用語とか美術系の人間にはなじみの無い描写が出てくるので何度も読み直したりオムニバス形式なので前の登場人物が他のお話で出てくるとそこまで遡ったりと結構苦戦しました。がこの著者さん親切でちゃんと噛み砕いて説明して下さるので読み進めお話も理解でき楽しむことができました…。

宇宙という未知の部分が多くしかも地球人にとって過酷な環境で人も設備も不足している中災害に巻き込まれるのは孤独感も相まってすごく絶望を感じました。月の洞窟にある施設が砂で埋もれる話と火星だかの調査中に砂に埋もれた話が怖かった。砂怖い。

そしてこの小説はかなり為になった。

今惑星が舞台の漫画を描いているから世界観練る参考になります。

 

ばかすか小説買ってしまったのでまだまだ読むものはあります。

しかもこの間羊と鋼の森文庫化して発売になってたし買わねば…

現在深夜三時ちょっと前です。

今日はコミティアの日ですが早く寝すぎてこんな時間に起きてしまいました。

髪を切ったのですがなんか昭和のアイドルみたいな髪型になりました。ワックスを買ったのでそれでうまく良い感じに誤魔化せたらいいなと思います。

雨が降ると天気予報では言っていたのですがさて今の時間では雨は降っていないようです。移動中に降られるのは勘弁してほしいのですが。

コミティアの次は5月の閃華…だと思っていましたが投稿する漫画を描こうと思います。候補の編集部の漫画賞の締め切りが3月の終わりで、丁度いいような間に合わないような感じなのでちょっと頑張ろうと思います。

なんかもう自分の漫画を客観視できてなくて、これは早急に人の目が必要だと思いとっとと編集部持って行って評価を頂こうと思った次第です。

客観視っていうか、ピクシブとかツイッターに漫画を上げた時にもらういいねの数とかでもう実力の高が知れてるんですけど、実力の程度が分かってその次の改善のステップが独学になってしまって、生来の器量の無さ故なかなかステップアップが出来てなくてですね。ヒント欲しいなーって。

それかもう私には可能性は無いのかも知れないけどね。駄目そうだったらもう働きながら同人でわほわほするよ。約束果たすために頑張れって先生は多分そう言いたかったんだろうけどな。

しっかりしなきゃな…。

と言うわけで本の姿になった新刊を迎えに行きます。楽しみだけど悲しいです。

割と外では明るく、接客業なので明るく同僚にも客にも接する事が出来てると思うしそれにつられてというかそのままの明るい気分でいられているような気がするんですけど、それと同じところでずっと神羅万象全てに自分の存在を否定されていると感じてもいるんですね。明るいのに早く死にたいなーと思うんです。お天気雨的な気分です。

何気ない一言とか事象であっさり自分の存在は否定される。否定までいかなくても自分の存在が汚いものだ悪いものだと言われる。やっぱり私は生きてちゃいけないと思う。

もう少しだけ許されたいね。

鬱か?

多分どっか病院とか行けばこの気分にも何かしらの病気の名前を付けてもらえるんだろうなあ。

自分の精神状態がどんな状態なのかよく分からない。明るいから。

弱弱しくて自分の事ばかりだ。

ああ、こういうところも親に似てしまった。親の嫌いな所が自分にも内包されていると気づく瞬間絶望するよね。遺伝子には逆らえない。

自分の事も満足に認められないならさっさと名声でも実績でも纏えばいい。

そうしたらその名声とか実績の事を自分自身と勘違いしてきっと好きになれるよ。