Hyper Carronade

灰色のはい

春のぬるい泥のような日々を過ごしています。

好きに生きろと言われたら多分こんな日常を私は望むんだろうなあ。

ならば絵なんか描けなかった方が良かったんじゃないか。

でもだからこそ私がしっかり生きるには絵を描く必要があると思う。

何もしてなさすぎる。

今日はバイト先の先輩から借りっぱなしだった東村アキコ先生のエッセイ漫画を読みました。

エッセイ漫画と言えどパワーを感じる。この方の漫画作品読んだことないんだけど多分圧倒されるんだろうなあ。パワーで。

そして人生の濃い事よ。

色んな経験をして色とりどりの蓑を纏う事で筆に色が落ちて良い作品が作れるようになるのかもしれない。

経験は特別な事じゃなくても日々の食事や買い物からでも得るものがあるんだろう。

自分の経験値の少なさにまた気付いた。

食事とか空腹が収まれば極端にまずい物でなければ賞味期限切れてたってなんでも良いとか経験以前に生活力なさ過ぎてちょっと問題ですね。直していきたい。

とか言って今日もまたなんとか税のなんとかって封筒が来て国は私を殺す気かと思いましたけどね。

支払い支払い。何に対して生きる権利を買う為のお金を払ってるんだ?

それが老後の為、福祉の為、何かあった時の保険の為とはわかってるんだけど今の生活を圧迫する以上気持ちよく払う事は出来ないんよなあ…。

まあ毎月の貯金がかなり貯まったから何かあっても多分大丈夫。

今のバイトももうすぐ終わり。また次。

お金は必要だから働かなきゃ。

そうして漫画家…目指す。

でも最近絵を描いてるとあまりの描けなさに吐き気を催すようになってしまって、このままじゃ体からも絵が離れてしまうので気楽に、あくまでも気楽に。絵を描くことを苦痛にする必要は無いのだ。楽しくお仕事して何が悪い。楽しく切磋琢磨して何が悪い。苦しむ必要なんてないんだ。ただ私は約束を果たすだけだ。

ひとまず約束の為に生きて。あとはどうなっても構わないから。

爪を切った。そして磨いた。

足の爪はいつも縦に筋が入っててボロボロ。

あまり足を露出させる機会も無いからおろそかにしがちだ。冬なら尚更靴下履きっぱなしのときが多い。

足の爪の事まで考えて生きてる人ってどれほどいるんだろうか。

でも定期的に手入れしなきゃ私みたいにボロボロになってしまうものだから、たまに見るサンダルから見える足の爪が桜貝みたいできれいな人はちゃんと手入れしているんだろうなあ。

というかペディキュア塗る人は必然的に手入れするか…。

私はマニキュアもペディキュアも縁がないな…。バイトで派手にできないのもそうだし仕事中や絵描くときに傷付くしそもそも乾くまで待つ時間が苦手で、ほぼやったことが無い。

足の方はボロボロだけど手の爪はよくマニキュアが似合う爪の形だと言われる。

言われるたびにもしかしたら勿体ない事してるのかもしれないなあと思う。

一度ちゃんとやってみるのもいいかもしれない。乾くまでじっとしていようではないか。

それかお店とかでネイルやってもらうのもいいかも知れない。

よく見れば手も切り傷だらけだ。

傷も治りが遅くなって跡が残るようになった。

手って年齢が顕著に出る部位よなあ。

ちょっと前まではぷっくりしてて丸くてちょっと太ってるのかなって心配になるくらい肉っぽかったのに今じゃ骨が浮いて巣から落ちた鳥のヒナみたいな色してるもん。

いつの間に大人の手になっていた。

とりあえず磨いてピカピカになるのが楽しいから気が向いたらまた磨いておく。

やっとコミティアの原稿が終わりました。

まだ諸々のこまごまとした準備は残ってますが。

なんか今回かなり作画でも手続きでもミスを連発して、自分の脳そろそろガタがきてんなと思いました。

苦しい原稿だった…。自分がいかに適当に物描いてるかがよく分かった。こんなのも描けない私は生きてていいのかな。この前までいじってたのにもう羞恥で原稿読み返せない。

絵で仕事をしたいと思う。

けど色々と足りないものが多すぎる。ああすれば良かったこうすれば良かったって思う事ばかり。これが次に繋がる学習ならいいんだけど学習したことを正しくアウトプットできるのかって言ったらそこもまだ未熟。

まだ未熟って、なんでこんな歳になって未熟とか言ってんだろう。

ひとえに私が怠った事だ。

 

最近そういえば展覧会に行ってない。まともに外出してない。

新しい物を定期的に吸い込んでは吐き出してって生活が理想なのに全然できてないな…。そんな年にしたかったんじゃないか。漫画もなかなか読めない。怖い。人を見て自分を知る。自分がいかにできないのかを知る。それが怖い。

展覧会じゃなくてもなんか楽しいところ行かなきゃな。気分転換。ビレバン行きたい。

借りた漫画も買った漫画もまだ読んでない。コミティアで忙しかったなんて言い訳であんまり読みたい気分じゃなかったからだ。

そのくせ購買欲だけはあって本が溜まる溜まる。

話題書も読んでない。

 

自分の未来がだんだん次の世代へ交代するための手続きみたくなってきて悲しい。

生活をして結婚して家庭を持って子供産んで一から育てて大人にしてあとは?

人生の本番は中高生の時と老後なのかな。

20代30代は世代交代の為に存在するのかな。

結婚なんてそんな仰々しいことしなくていいじゃん。気の合う二人が一緒にいようねって適当な口約束でいいじゃん。だめ?男女ってなんで一緒にいると結婚しなきゃいけないの?ただ帰る場所が二人一緒なだけ。それでいいじゃんって思う。

子どもなんか欲しくない。

ずっと清らかな孤独の中で漫画を描いていたい。

分かってくれる人がいるんだろうか。

それは子供じみたわがままだって言われるだろうか。

こうして私は普通になっていく。魔法が解けていく。

 

とりあえず今は絵の練習をしなくちゃ。それから色々漫画読んで勉強しなきゃ。面白い漫画ってなんだろうって考えよう。自分の描きたいものと面白いとされるものがうまく共存できるように実験だ。

大変遅くなりましたがあけましておめでとうございます。

平成も残り僅か。平成らしさ。とは。過ぎ去ってこそその色が統計的に出てくるのか。

少しずつ世界が自分の知っている世界からズレていく。

表現者になるにはそのズレを追いかけていかなければならない。

自分の中に生まれる違和感や許諾しかねる何かをあやしていかねばならない。

もちろん変わっていくこと自体が悪い事という訳ではない。良いも悪いもすべて変化しながら移り行くんだろう。私は果たして置いて行かれずについていけるだろうか。

だんだん魔法が解けていくような興醒めする時みたいな気持ちになる。

小さい頃からずっと私には魔法がかかっていて、どんな事もきっと成し遂げられると思ってた。自分の事全然好きじゃなかったけど未来にだけは自信があった。

でも思い描いていたほど自分には力が無いと未来の私は思い知り、このまま周りのお決まりの型に流し込まれてフツーの人間になっていくんじゃないかと、今まさになり始めているんじゃないかと思っている。魔法はその普通の型から私を守ってくれると思ってた。

魔法は最初からかかってなかったんだけどね。

嫌だな普通は。友達無くしてもいいから普通の女には絶対なりたくない。

新年と同時に23になった。とんでもねえ数字だ。

ちょっと踏ん張らないと私は普通になる。

自分が生まれてきたことがちょっと悲しい。

家具について

炊飯器と給水ポットが新品になった。

古くなって役目を終えたものは冷たい廊下に置き去りにされていた。

この二つがキッチンではなく廊下にあるのにひどく哀愁を感じた。

かなり長く使っていたように思う。給水ポットなんかは前の団地の時からずっと使っていたのでは。

私たちの食卓を彩っていた彼らがとうとう世代交代か……。

なんか、電気が通っている以上古くなって使い勝手が悪くなるのは仕方ない事とは言え、寂しいね。

かなりお世話になって、最後がこんな廊下に並べられてぽつんとさせているのもなんだか悲しくて不憫で申し訳なくて小声でありがとうございましたとお礼を言っておいた。それだけでいくらか許してもらえるような気がして。本当はお焚き上げみたくしてあげた方がいいんだろうな…。どれも人間の気休めの儀式でしかないけど。

道具には感謝しないといけないと思うんですわ。

道具も大事にしていけば道具も私たちの手の延長としてしっかり役目を果たしてくれると思うんですわ。

使わない家具の時間が止まるのと同じように、使って大事にしたら、道具はまた違う顔をするんじゃないかなあ。

と思ったのでした。

もう今年も秒読みといったところですね。

なんだか疲れがとれず休みの日も外に出るのが億劫でずっと家にいて湿った気持ちも晴れずもやもやと過ごしています。そもそもロングスリーパーで12時間とか余裕で寝てるので一日の時間が少ない。そろそろ気分転換に展覧会とか遊びに行くとかしないと病気がぶり返しそうです。なぜこんなに生きる気力が殺がれるのか、誰に自分を尊重する権利を剥奪されたのか。暗い事ばっかりが言葉になってしまって良くないと思う。

幸せになりたい。寝る為に布団に入って寝付くまでが一番幸せだ。誰にも脅かされない唯一の時間。

気に食わないと思う事も増えた。

綺麗なままでいたい。何に対しても寛容でいたい。寛容になれば脅かされることも少なくなる。

ていうかツイッターのワードミュート、機能してます?

ツイッター少し離れようと思う。今度こそ。

日常のこととかは140字じゃ書ききれないしブログの方がそういうのに向いてるから、ツイッターは宣伝と絵を上げるときに活用しようと思う。ブログは誰が見ているのかリアルタイムに分からないところが良い。ツイッターは相互監視システムに似ている。というかそういう意識にさせられる。誰も自分の事は見ていないはずなのに、見られている気がする。それから結構嫌な話題とか流れてくるしなあ。少し離れなきゃ。

 

最近はあんまり小説読んでません。買ってはいるんですが。

書店で働いて分かったことは、発売日に入荷した後はベストセラーのものや著者がなんとか賞をとったとか新聞の広告に載ったとかそういう事が無い限り、客注品を除いて再度入荷することはほぼないという事。つまり書店で見かけたら完売しない内に早めに買うべきだという事ですね。バカ売れ商品じゃないなら尚更。

それから毎日毎日新しい書籍が入荷するから古い物や売れない物や完結した漫画は結構速やかに下げちゃうんでやっぱり早めの購入が吉だと思う。

返品した直後にその商品の客注が入るのは書店あるあるみたいですね。

まあそういう事もあり、気になる本を見かけたらすぐ買うようにしています。しかし買ったは良いがまだ読んでないっていう本がたくさんあります。

 新居に棲み始めたら本棚をどーんと構えたいね。

アプリのポケ森を今やってるんですけど部屋の模様替えが楽しくて現実の自分の部屋にも模様替え欲が高まっています。とりあえず実家の部屋は物置状態でいいかなと思うんですが新居はポケ森のごとくお洒落に家具とか置きたいです。同居なんで自分の部屋っていうのがあるのかどうか知らんけどね。

 そろそろ荷物もまとめ始めなきゃ。また新しい生活が始まる。バイトもどうしよう。今はちょっと葬儀屋のアルバイトに興味がある。あとはゲームセンター、CDショップ。接客業は嫌だけど働き口があるのはそこが多いよな。一応貯金してるからしばらくゆっくりニートしながらバイト探そうかな。

 それで漫画家を目指す。来年は漫画家デビューが目標だ。とりあえず描いてどこかに投稿せねば。あー正直印税生活してえ。

クリスマス前と年末年始は忙しいみたいです。

今は次なるコミティアに向けて大人しく原稿を進めています。

続きものの漫画を描こうと思って。

でもなんていうか、設定とか大まかなお話考えてる時って無敵時間でめっちゃ楽しいし絶対面白い漫画になるぞ~~って思うんだけど作画の段階になると途端に冷静になって設定の綻びが気になったりお話そのものもこんなん面白い訳ないだろ誰が読むんだみたいなネガティブな気持ちばかり出てきて駄目です。

お話を漫画として表現するのは本当に難しいな…と実感してます。毎度。

色々な物が自分に足りてないと毎日思うのです。思わない日もあるけど。

やっぱり知識が足りない。経験が足りない。センスが足りない。

でもそれでも、書店のレジで漫画のシュリンクバリバリ剥がしてると私やっぱり作家になりてえなあと思うから勉強しなくちゃいけない。大変だ。

アウトプットは正直かなりたくさんしてると思う。

もちろん私より上回る数描いてる人なんていくらでもいるけど、数は描いてる方だとは思う…。

でも上達してるっちゃしてるけど未だ高みへ行けてないのはインプットが圧倒的に足りないからな気がする。

人の作品見るの苦手だからインプットは意識してやらないと本当にしないからそれはいけないなと思う。

あ~

時間はあるにはある。

ただ早く結果を出さなきゃって焦ってるから時間が無いように感じるだけだ。

でも早く結果が出れば安心できるよね。多分ね。生きるのしんどいね。