Hyper Carronade

灰色のはい

共感について

モディリアーニにお願いを読んでからすごい心が軽くて柔らかいです。

なんでだろ。退学せずに済んだかもしれないルートを見つけられたから?絵を描く事が嫌いになったんだと気付いた悲しさよりも、もう一度絵を好きになりたい、楽しく絵が描きたい、取り戻したいって気持ちの方が勝った。そしてその事に安心した。

でもこれもしかしたら先生を悪者にしてしまったのかもしれないな。いや、全然憎んでないし、そういう学校だし、先生たちもそれぞれモノづくりに本気で愛を持ってやっているのは分かってる。そして私がそこまで絵に対して本気になれなかったから作品で応える事も出来なかったわけだし、全部自業自得。でも、絵を好きでいたい。っていうのはずるいだろうか。

自分の絵に対する気持ちはまだ整理できてないし、まだ嫌いから立ち直れていないのも事実だし、その辺はゆっくり噛み砕きながら治していく。私は一生創作と歩んでいくんだから。

もしかしたら一生"プロ"にはなれないかもしれないな。

 

 

本題。

モディリアーニにお願いという作品に私は「共感」したけど、前の前の記事でSNSの共感漫画を苦手だと言ったと思います。

同じ共感なのに何が違うのかなってちょっと考えたけど、単に追体験のしやすさかなと思った。

勿論プロとアマ(プロの場合もあるけど)、表現力の違いとかもあるけどそこは平均的(主観)な架空のイメージで考えていきます。

SNSの共感漫画は私が見た事ある範囲で言うと体験記だったりエッセイ風味な事が多いかなあ。あとはただ作者の似顔絵的なキャラクターが思った事を一人事風味に喋る感じの。

こちらは思ったことをストレートに言葉に出来るし体験記とすれば「現実に存在する」という身近さの危機感が直接読者の首元に突きつけられる。共感できなかった人も知識としてそれをシェアできるし教訓にもできるだろう。あくまでその伝えたい事だけが伝わる。

対してモディリアーニ、に限らず普通の漫画作品、小説作品、映画作品、なんでもいいけど、そちらは登場人物と物語がある。

ノンフィクション作品であっても脚色している部分や編集している部分もあるし同列で語ってしまう。脚色はSNS漫画にもあるだろうし。またフィクションであっても自分の体験を元にしている部分もあるだろうけどもうその辺の細かい事はいちいち注釈していたらキリが無いので気にしない。

漫画の登場人物達は物語を追うごとに成長したり困難に立ち向かったり落ち込んだり助け合ったり、色んな表情を読者に見せる。もう大親友かってくらい見せる。すると感情移入していくと思うのね。この感情移入の仕方も人によるだろうけど、キャラクターの友達、あるいはキャラクターそのものの気分で物語の中に入ると思うのね。物語をキャラクターと一緒に追体験する事になる。すると読者も物語の登場人物になる。それがこちらの「共感」。

で、SNS漫画のように単に言葉で、例えば「嫉妬って辛いよね」って言われるより、物語を追体験した上で読者自身が「嫉妬って辛いよね」って思う方がずっと心に残るんだろうなと思うのね。手間がかかる&表現力が必要な分与えられる力が大きいんだろう。

まあ、ここまで書いて、SNS漫画は少ないページ数でピンポイントで伝えたい事をストレートに伝える為の、普通の漫画とは目的が違う別物なんだなあと気付きました。そしてそうかそれがSNS時代に新しく生まれてきた表現なんだなあと思いました。

比べるなんてナンセンスな事してしまった。SNS漫画の作者様方すんませんでした。時代遅れの感性で喋ってすみませんでした。今後勉強させて頂きます。