Hyper Carronade

灰色のはい

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ジャコメッティ展行ってまいりました。上は写真撮影可の区域で撮った写真。

 

良かった…。

ジャコメッティはとても思い入れのある芸術家なので始終どきどきしてました。

『やべえ、とり憑かれた!』っていう、芸術家にとり憑かれた体で作品を作るという課題が学校であって、それで私はジャコメッティに憑依された設定になったんですね。

結局その課題全然うまくいかなかったし課題の意図も汲めてなかったんですが、彼に関して図書館やネットで調べたので他の芸術家と比べると彼の事はよく知っています。

あの画集で見た作品が二年越しに現物で見れるなんて…

今思うと感慨深い。

課題で思い入れがある事を差し引いてもこの芸術家の事好きだなって思いました。

なんか彼の映画もやるみたいなので気になってます。

そうそう、展示の中にドキュメンタリー映像があって、在りし日のジャコメッティが作品を作ってて、カフェでクロッキーしてて、四角くて灰色のおじいちゃんですごいなんかこの気持ちはなんだろう。すごいどきどきした…。

ああ、課題うまくいかなかったのすごい悔やまれる。

こんなに好きになったのに…。

この課題で結構心が折れて、あれよあれよと退学決意に至ったからなんか、なんとも。

 

で展覧会で気付いたのが彼は家族に支えられていた事ですね。

芸術家の家族ってあんまりこう表面に出てこないイメージがあったけど今回の展示を見て、かなりジャコメッティは家族に支えられて、家族を大事にしていたんだなあ。と思った。

そういうところ含めてなんか、好きだなあって思った。

語彙力など無い。

まだまだ勉強不足だ。

 

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恒例のおみやだぞ。

しおりと缶バッジ二個といつものマグネット。

真ん中のサンシャワーも行ったんですがこのさわやかなチケットとは裏腹にすごいねどねどしい背景の作品がありまして精神的につらかった。

かわいい作品もあったけど、平和ボケした私からするとこの東南アジアの情勢とか内紛とかそういう作品はやっぱり引き千切れるような悲鳴が聞こえてくるようで見ていて痛みを感じる。それは作品のある一つの成功だと思う。素晴らしい。

圧倒的な量で途中で濃くて息苦しかったけど見て良かった展覧会でした。

なんだろ、私は戦争を知らない。

割と平和。自分の命の価値さえ分からない。

でも日本はかつて何回か外国と戦争をしているし、戦国の世だって戦いばかりだった。

戦は私にとって無縁ではないはずだ。

ただ私の勉強不足で遠い存在に感じているだけだ。

戦争が絶対的教科書では無いのは分かるがそれでもなかったことにするべきことではないんだ、何かを作る立場に身を置きたいのならば、神羅万象全てに無知無縁ではいられないんだな。

太平洋戦争については高校生の時にちょこちょこ調べていたけど、もっと知るべき根本的な部分があるはずだよなあ。

知識が足りない。

知識が欲しい。

 

勉強しに行って己の勉強不足を知る、そんな一日でした。

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ポップ作るのに失敗したのだ…

これは修正後のでーた。

修正前はもっと白抜きだった。

死にたい。

色々デザインの書籍読んでる割にはこの出来だぞ。死にたい以外の感情が湧かない。

思ったより印刷薄く出たしやり直せるならやり直したい。

うううう胃が痛い。

頭も痛い。

熱中症で死ぬなんて嫌だ。

あああ

こんな失敗一つでこんなに傷つくなら最初っからしっかり取り組めばよかったのに。

自分のやりたい事だけやっていれば良いわけじゃないんだよ。

あああああ

お腹痛い

提出したくない

ああああああ

誰も私に期待しないで、勝手にがっかりしないで生きててごめんなさい

あああああああああ

 

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今日。

 

買い物をたくさんした。

田舎に住んでいると遠出をしないと質の良い物にありつけない気がする。

田舎にはそもそもお店があまりない。最低限の衣食住を満たすのに必要な物しかない。

もちろん田舎にもいい所はある。田舎の暖かさってやつもあるにはあるが、今住んでる場所は5、6年前に引っ越してきて、内3年間は別の土地で一人暮らしをしていて、まだ帰ってくる場所としての田舎ではないというか、なんだか既に出来上がってしまったコミュニティに入っていけてないからいつもどこか知らんぷりされているような感じ。

昔なじみの友人もいない。幼い頃を知る近所の人もいない。

こうなると本当にこの小さい町はなんにもない。世界から病人を療養の為にと隔離する施設のように思う。それが私に焦燥感を与えている。私は狂うこともできないから正気のままこの施設の中で死んでいくのかな。いっそ狂ってしまえれば居つけるのかな。でも狂えない私は正気のまま檻の中で。

退屈だ。

東京の人には敵わないのだ。

お金持ちの人には敵わないのだ。

 

ああ、でも今日行ったところは東京ですらないんだわ。

東京を模倣した、でも下品な町だ。

欲しい物は買ったし面白い物も見つけられたから満足だけど東京ですらないところで満足してしまう田舎精神がなんだか嫌だ。って思う自分の卑しさも嫌だ。

 

でも今日帰り道、近くの団地に住んでる知らないおばさんが私に、

「公園通るの?あそこに今男の人が寝ているから気を付けて」

と声かけてくれたんだ。

なんだかそれが、自分を被保護者の気分にさせて嬉しかった。

私はまだ子供の気分でいる。守られていると感じるととても安心して心地よくなる。

バイトもして少しずつこの町は私の帰る場所になりつつある。

でも一年もしない内にまたここを離れることになるだろう。

そろそろ帰る場所が欲しい。

 

気になってた文芸書を読んでせらせらと涙が出た。感動!とか愛!そういう大げさな事じゃなくて、心の奥にスッ…っとかすり傷を入れられるような感じだ。

案外小川のように愛とかそういう仰々しいのは流れてて、小川には私が瞼を閉じて仁王立ちしているんだ。瞼を閉じているからそれが分からないだけだ。目を開けると突然愛があるんだ。

あ~~~

愛の物語では無かったよ。どちらかというと勇気の物語だ。

お互いに承認すること、自分は生きてる、ここにいる。そして人も生きてて、出会って別れて、小川の中で馬鹿みたいに浮いて沈んで追い付いて追い越されて、その中で務めて冷静に、ただし必死に自分をチカチカと信号にして送る、ただそれだけの事なのにそれが愛おしく思う。

人間なんか大嫌いだけど愛おしい。

何目線なんだって話だけど、でもそう思う。

時々俯瞰する。それを思い上がりとか傲慢とか言われるかも知れないけどそれはデッサンの時に狂いが無いか確認するために冷静になる行為と同じ。

今はなんか俯瞰的な気持ちだ。今の私は何にもなびかない。きっと寝て起きたら元通り。

感傷的な気分ってこういう気分なんだろうか。

うーん、あー、軽やかな作品、当て逃げしてくる作品だった。ずるい。

そういう作品いいなあ…。

 

7月になっちゃった。

なんかねえ、なんだろうねえ。思ったより早く死ぬんだなあきっと。

長生きしたくないけど長生きしそうなんだよなあ。風邪とか滅多にひかないし。

若い内は無理がきくからそう思うのかもしれないけど。

だんだんとじゃなくて急にくるみたいだね、老いの身体の変化。

今は元気。でももう少しできっと元気じゃなくなる。

最近は浅くて短い眠りを一日に二回くらいする期間に入った。

眠れないんだよなあ。。。

布団入っても結局眠れなくて一日中ぼーっとして作業に身が入らないんじゃ困るんだよ。

コミティアの漫画早く仕上げなきゃ。

なんだかフラれた時の気分がずっと続いてる。

フラれたっていうか失恋。私から告白したことないからフラれたことはない。

なんだろ、好きな人を好きでいるのを諦める時の気分。

いい気分では当然ない…。

頭の中をシェイクしたいな。ぐじゃぐじゃにして何もかも混乱させてしまいたい。

なんでこんな薄暗い気持ちにならねばならないんだ。別に何か決定的な事件があったわけじゃない。強いて言うなら少年は荒野を目指すを読んで作業してツイッター見てただけだ。

嫉妬かなと思ったけどこれはそうじゃない。なんか知らない感情だ。

失恋の気分に似てる感情。

なんだこれは・・・6月病だな。6月病だわ。

7月になったから7月病でもいい。

 

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そういえばこの間ソールライター展に行ってまいりました。

上の写真は見づらいけど、左がチケットファイル、右がポストカードです。

広告にもなってる左の写真作品、最初は絵だと思ってたからびっくり。

いや~最終日前日の土曜日は流石に混みましたな…。

本当にかっこよかった。

お仕事の写真もパリッとしててかっこよかったけど、日々の散歩のスナップショットが良かった。

生きてて自然に出てくるものっていいよね。うまく言えないけど、お仕事じゃなくて趣味とか習慣で生まれる作品って濁りが無くてクリアで素朴で好感持てる。

いいな~~~~私も絵を描いて散歩して引き合うパートナーと暮らしたい…。

ソールライターさんは絵も描くんですね。色きれいだった。

写真の事は門外漢でよく分からないんだけど純粋に目に映える作品だったから楽しかった。

 

行く途中で腹痛に襲われ一週間分の排便をしてたから大分到着が遅くなってしまって渋谷見て回れなかった。

タワレコ行きたかったな…

渋谷来てもどこ来ても食べ物はいつもコンビニで買ってしまう。

レストランに入るのが苦手だ。

人前で食事を取るのがそもそも苦手で、簡単に軽く食べ歩きできるおにぎりとかトルティーヤとかパンが丁度いいんですよね。

いやー勿体ないことしてると思う。。

お洒落にキャッフェーで本読みながらエスプレッソ決めてみたい。

 

 

 

焼きナスと死

夏は死の匂いがする。

今日は涼しめかな。

夏は歩いてても立ち止まってても何かが腐ったようなにおいが漂ってくる。

お線香のにおいがする。

なまものなんか置いておいたら数時間で腐っていく。

死というか地球の毒性を感じる季節だ。あんまり好きじゃないけど夏の夜は素晴らしい。

一人暮らしのアパートの二階の締め切った部屋で、セミの騒音を聞きながら一回自分の左胸に包丁を立てたことがある。

結局痛いのが嫌で刺せなかった。そのまま焼き茄子が食べたくなって茄子を切った。

その時は大分精神がアレでいつも自殺した後の事を考えてた。

大学でいつも一緒に行動するような友達はいなかったしバイトも毎日していた訳じゃないし家族も心配して連絡を寄越すなんてこと無かったから死体の発見は遅れるだろうと考えた。

この暑さだからすぐに腐るだろう。敷きっぱなしの布団に血と他の体液が染みついて肉も溶けて布団とくっつくんだろう。警察の人はきっと死体を運ぶのに苦労するだろう。

色んな虫が私を処理しにどこからか湧いてくるんだろう。蛆やらゴキやら蝿やら。

下の階の人が一番初めに気づくだろう。かわいそうだ。私を求める虫がきっと下の階の人の部屋にも入ってくるだろう。

ひどい姿になるんだろう。死体は綺麗な方がいいなあなんて思ったけどそううまくいくわけじゃないしある程度は諦めていた。

友達がまったくいないわけじゃないから、何人かの悲しむ顔が見えた。でも悲しみはすぐに消えるだろうからそんなに心配していなかった。心に傷は残すだろうけど。でも現実は早くて忙しいから、過去はあっという間に埋もれて思い出になる。傷もある程度うまる。

死ぬことが目的じゃなくてただ今を終わらせたかっただけだった。

でも簡単に終わる現実じゃないから一回死んで別の人生に生まれ直したかった。来世があるのかは分からないけどあるって思わなきゃやってらんなかった。来世に期待してた。

あとは少しの同情が欲しかった。死んだ後に、ああ、あの人は大変だったんだなあって思ってほしかった。だって決して遊んでるわけじゃなかったから。でも本当に辛かったけど皆辛いから一人だけ病気みたいに振舞うのは嫌だった。辛かったけど現状改善の為に100%で動いてたわけでもなかったから。いやそもそも改善の仕方が全く分からなくて何もしていなかったからそれが惰性に思えて一人で弱い立場に逃げるのが嫌だった。

自殺による死は最後の自己表現ツールだった。

まあなにはともあれ今は生きてるんだけどね。

夏になると死を感じて暗くなるから好きじゃない。

上手に刺せれば死ねるんだ、簡単、死ぬのは。

それがとても自分を弱いものだと認識させられて恐ろしい。

正常に生きているのは物質的な意味でも貴重な事なんだなあ。

命の尊さとか生きてて良かったとかそういう美しい事が言いたいわけじゃない。

心さえ伴えば人間は簡単に死ぬ。思ったより頑丈じゃない。

ただそれだけの事だ。

 

でもあの時の自分は本当に死んでしまいたいと思ってて、でも結局死ねずにいて、痛いのが嫌で、今よりよほど生に執着しているように思う。

 

自傷行為をすることが自分の見出した現状改善の方法だったのでは?

そこまでしっかり考えちゃいなかったけど。

なんとなく包丁を手に取ってそうだ死んでみようと思って心臓を刺そうとしただけだ。