Hyper Carronade

灰色のはい

プロセスと魔法の話。

コーヒーは、まずどんなコーヒーが飲みたいか自分の身体に聞いてみて、それから淹れ方と豆の産地と焙煎度合いを決めて、淹れ方と豆の状態や飲みたい感じなどから挽き目を決めて挽いて、お湯湧かしてフィルターをドリッパーにつけて抽出器具温めて、温度整えて粉を蒸らしてからドリップして、飲む。飲み終わったら抽出器具を洗って片付ける。

油絵は、木枠を組み立てるか買うかしてそこにキャンバスをキャンバス張り器と釘とトンカチなどを使ってピンと張り、エスキース通りに、必要に応じて下地材を塗って、絵の具をテレビン油で溶かしたり溶かさなかったりしながら筆やナイフ、手など使って描いていく。速乾性が必要ならメディウムや名前忘れたけどなんか白い粉を絵の具に混ぜて、じゃりじゃり感欲しけりゃ砂だって混ぜるし、絵の具以外の物塗りたくったりするも良し。一枚の絵を完成させて乾かしてお好みでワニス塗って乾かして、展示会場などに飾る。

 漫画は、まず生きて、脳内に少しずつ材料を拾い集めていって何かしらになりそうな気配を感じたら紙とペンを手に取り縦にシーンをばら撒いていき、読み返しながら添削しながら物語を作り、シーンを漫画のルールや効果に気を付けながら形に組み立てていきネームを完成させたら、それを元に原稿用紙に青いシャーペンで下書きをして、ペンの太さを変えながらコマから背景まで描いて間違えた所は修正ペンで消して、出来たらそれをボロスキャナーで取り込みコミスタでゴミ取りをし広いベタ塗りとトーンとセリフを打ち込んで、png形式で出力しサイトやツイッターなどで公開する。また、psd形式で出力し表紙のデータと合わせ圧縮し印刷所に渡し、本という形になって手元に届くのを楽しみに待つ。

料理なんかは顕著だけど、完成系までの手順を踏んでる間ってなんか魔法使いが鍋に食材としてあり得ない物をぶち込んで悪い笑みを浮かべながらとろとろと鍋の中身混ぜて怪しい薬作ってるあの図が思い浮かぶ。

いつか全部ボタン一つでなんでも解決する時代が来てこういう手順が失われ、ボタンの裏で何が行われてどんな反応を起こしているのかも知らずに完成系を受け取るのかな。私は既に電子レンジの仕組みを知らない。

漫画を描くのが死ぬほど遅い空木なんですが、フルデジタルにしないのは、まあ長時間液晶を見つめ続けるのが苦痛って言うのもあるんですけど、それ以上に制御が自分の手腕指から離れるのが怖いからなんですよね。ペンタブなんだからペン握ってんだろって思うかも知れませんが、なんだろう、自分で描いてるって感じがしない。実感が無い。液タブじゃないからかもしれませんが。デジタル絵苦手。背景も効果もテンプレブラシ使わずに自分で描きたいし。

「描いている実感」が自分の創作活動の中で大部分のウェイトを占めているみたい。

 

最近また焦っている。この間客に年齢聞かれて答えたら結構いってるねって言われてショックを受けた空木です。別に現実で見た目が老いるのはまあ仕方ないから良いんですけど。ババアになっても愛してくれる人一人はきっといるし。いやていうかまだ二十代だし。結構いってるってなんやねん。

でも創作活動において年齢は重要では無いけど、どうしてもこの歳で未だに絵を仕事に出来てないというのが心にズシンとくるわけですね。生半可に美大とか意識高い所行ったっていう箔が付いてしまったが為にがっかりされたくなくて中途半端な気持ちでプロなんか目指している。エンジョイ勢にもなれずプロにもなれず。中途半端。焦ってると楽しくないし疲れる。どっちかに転びたい。できるなら、エンジョイ勢に転びたい。

一応漫画家は幼少の時から将来の夢を聞かれた時に答えるものだったけど。夢を見ている時、憧れている時が一番楽しい。夢は浮遊してなんぼ。夢を叶えるって事は夢を現実に引き摺り降ろす事。夢は叶った後何になるの?仕事?夢を仕事に変える事は美徳なの?現実が無理過ぎて仕事を忌み嫌っている空木に夢を叶えることは、できない。

楽しみたいな。今の焦って悩んでもやもやで集中力欠いている状態、非常に良くないと思う。何もかも停滞している。何か、流れを変える新しい風が欲しい。

実際に絵の仕事をしている人の話が聞きたい。

創作できるなら別に夢だろうが仕事だろうが良い筈なのに、こんなにもやもやしているのは、きっと未だに何かを成し遂げた事が無いから。

苦労が絶対に美しい努力とは限らない事も分かっているけど、唯一好きな事が創作をすることで所謂苦労とか努力を回避している感じが誠実じゃないように思えてそれが嫌なだけ。でもその苦労とか努力がこの場合何を指すのかよく分からない。プロを目指すときの、何度も選考に落ちたり担当編集者と共に試行錯誤しながら作品作ったり睡眠時間削って何本もデビューに向けて漫画を描く事が必要なんだろうか。そういうのに背を向けている事に罪悪感があるのは確かだ。

でも、今の趣味の創作漫画はいい加減にやってなんかいない。はず。背景の資料を何百枚も集めたり日々インプットを心がけたり添削に時間かけたり絵の練習したり物語に必要な知識も集めたり。そういうのも努力していると言っていいのではないか?それらは苦ではない、努力とも思っていなかった作業で、でもそういうので、いいんじゃないのか?誠実さの証明なんて。

漫画の為に色んな道を諦めたりした。フォロワーの有難いお言葉によれば「何かの為に何かを諦める事はそれを両立できない能力不足なだけ」。私は馬鹿で能力不足だから音楽もバスケも美大卒業もぜーんぶ諦めちゃったんだよ。

もうつまらん意地しか残らないじゃない、漫画家目指す事とか。

いやはや、自分にとって聞きたくない言葉ばかりよく聞こえて記憶に残る。

 

今しがみちの原稿をやってます。霊の方。一年以上も更新していないし宇宙の方よりも数字的に待たれているのがこっちなのでいい加減着手しなきゃと思いながらやる作業のつまらなさ。いや、この漫画だって描きたい漫画なんだけど、宇宙の方が今は描きたいのだ。なぜかって言ったら今の私の気持ちと波長が合うから。主人公のドライバーは夢が見たいから眠り続けるような空木と同じようなキャラクターで、だからこそこのドライバーを物語の中で救いたい。うまく救えなくても彼の生きる様に私の物語も滲ませて肯定したい。

 

うーん、作業に集中できない。