Hyper Carronade

灰色のはい

原稿燃え尽き症候群では無いけど、今日を迎えて明日を迎えていく訳ですがそれぞれそれなりの成果を上げねばならないのが心底面倒くさいし生きるのつまらないシーズンに入りました。もう全てが面倒くさい。ずっと眠っていたい。何もかもが気に食わない。

バイトも面倒になってきた。人間関係があるから面倒。接客が嫌い。

これでも心のボリュームが上がってきた方だ。

心の貧困的鬱で死にそうになった時は欲求を断つ。地獄大学在学中はとにかく自分が衝動的に人を殺さないように、そして少しでも苦しみを和らげる為に、欲しい物があっても心の中で要らない欲しくないどうでもいいと唱えるようにした。結果心のボリュームが下がりある程度鬱を乗り切れた。欲求を黙殺する事は手っ取り早い鬱の治し方かもしれない。(劣等感と自己否定からくる鬱にはこれ)

しかしこれには問題があって、鬱から脱却できた後、全然やりたい事が見つからないのだ。心のボリュームのつまみが極端に抑えられている。虚無になる。パトス的な物が自分から無くなって全部どうでもよくて何にも欲しくない。多分快方に向かってはいるだろうけど完治してない状態で、自分の心の音に注意を向けて出来る限り拾ってやってるリハビリ状態。これは作家志望として致命的では無いか。知識への欲求までも死んでしまっている。

どうでもいいことやってるとだるいんだよな。

全部無駄に思えてくる。

色んな事に価値が見いだせる程まだ余裕が無いのかもしれない。

やっぱりダブルワークして資金増やしてもっと経験を積み人生を彩る事に費やそうか…。少し創作の歩みを緩めて。

でも鬱じゃなくすべてに満足している完璧な自分に、作品を作る選択肢が必要だろうか…?どこか欠けているから、遠いところへ逃げたいから私は創作をしているのでは…?

また作品が生まれてくる場所が変わるのだろうか。

未来の事何もかも分からぬ。