Hyper Carronade

灰色のはい

正解する器とメーデー

人は思想によりけりだけど基本、外殻の内側に自己という不変の魂の存在を信じていて昨日も明日も10年後も自分は自分と考えている。でも人はたくさんいるけどどの人も己は外殻の内側で目に見えない触れないし聞こえないから、相手の事は目に見える情報と自分の経験や知識という少ないヒントから想像するしかない。ましてや二度と会う事のない人の事なんか一つたりとも分からない。自分の自己も引き籠っているから誰にも分かってもらえない。あまつさえ弱音吐くなとか気を使う空気を読むとかそういうしがらみが更に自己に秘密を抱えさせる。みんな孤独。

他人がいつも正しくて、自分はいつも間違っている。そんな意識を持って私は生きてきた。言葉も下手だから私の事なんか誰にも分かってもらえないと口を噤んで更に引き籠る。

作品やら会話、ツイッターの呟きとかでもなんでもいいけど、他人の中に自分の姿を重ねて見ることが出来たら、きっと安心するんだろう。結局自己が内側に引き籠っているから自分が収まるべき形が分からないまま不定形で過ごしていたから、正解している他人の器に自分の器を確認してああ良かった間違ってなかったんだと思いたい、または器の形を真似して許されたいんだと思う。

作品に自己を落とし込んで公開しているのはきっと安心したいからなのだろう。孤独じゃないと思いたいんだろう。自分と同じ形の器を探しているのだろう。

作品の在り方は人それぞれだけど、私の作品はメーデー信号だ。

今次のコミティアの短編集のアイデア出しをちょこちょこやっているんだけど、私は物語を作るのが苦手だと感じた。どうしても自分の思った事とか思想をキャラクターに喋らせるタイプの漫画しか思いつかない。思想から物語に発展させるのが苦手。そこが要修行だ。メーデー信号なら物語にして濁す必要もないかもしれないが。じゃあ漫画じゃなくてもいいじゃんってなるしな。絵とは…字とは…。

前にあるあるネタの作品について思う所があると言った気がするけど、あれは一定の安心感が得られるんだろう。しかも大人数が当てはまる形だから大人数で作品の面白さを共有できる。楽しい面白いっていう感情にはそういう団欒的なものも含まれているのかもしれない。ただ上記の器探し的に言うとこの手の作品は少しお節介な存在なのかもしれない。単に私が天邪鬼なだけだろうか。これ欲しいんでしょはいあげるって投げて寄越されたら途端に要らなくなるタイプの人間は自力で探すしか無いんだわ。そしてその探す過程を寂しいけど楽しいと私なんかは思っているわけだ。