Hyper Carronade

灰色のはい

めっちゃ久し振りに美術館に行って来ました。ブログ書くのも久し振りですね。一応、はてなブログスマホアプリ取ったんだけどな。

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国立新美術館でやっていたクリスチャン・ボルタンスキーの展覧会。今日までだったので駆け込みで行きました。

最終日と言う事で混むのを見越して早めに家を出たのですが電車内で途中で気分が悪くなってしまいあまり早めとは言えない時間に入る事になりましたが、想定していたよりも空いていたので見やすかったです。やはり腐っても平日の月曜日か、皆さん仕事か。

展示はお洒落なホラーゲームの世界みたいでした。結構好きでした。

副題(多分)のLifetimeにある通り人生やその終わりに関する表現が多かったです。

死亡告知欄に張り出された人の写真を無数に並べたオブジェ、ホロコーストによる死者と間接的に結びつく人々(間接的がどの程度の事なのかはちょっと分からない)の写真のオブジェ、友人のアルバムで作った写真で見る人生ポートレイト、おびただしい量の黒い服で出来た黒いぼた山、黄金の海、ネオン、クジラの声、心臓の音、幽霊の廊下などなど。冷房のひんやり度も心に丁度良く。

やっている事は至極シンプルで、キャプションが無いと何やってるか分からない系のやたら難解な作品でも無く、分かりやすい作品だった。テーマが生死で誰でも等しく考え思い馳せる物だから連想がしやすいのかも知れない。

この展示で、服ってすごい色んな事を想像させるモチーフなんだなと思った。服は人の形をしていて現代じゃ誰でも着ていて、それがただくしゃっと置いてあるだけでもそこに人がかつて居たという事を連想させる事が出来る。ただの布じゃなくて「抜け殻」になる。それがたくさんあったらそれはもう、恐ろしい連想しか出てこない。黒い服のぼた山の作品なんか暗かったからただの黒い山かと思っていたのに服と分かった途端怖え~って寒気がした。

好きな作品は、そのぼた山の周りにいた黒い服を着た人形。なにかぼそぼそ喋っていた。ちゃんと聞き取れなかったけど日本語と外国語で喋ってた。ぼた山の幽霊かもしれない。来場者が寄り添ってぼそぼそ声を聞いていくスタイル。ちょっとかわいかった。

なんか良いなと思ったのが、今回パンフレットっていうか作品の一覧やキャプションが書いてあるやつが冊子じゃなくて新聞だった事。来場者が皆新聞読みながらネオンの光だけが映える暗い展示室を歩いているのを見ると昔の外国の風景って感じがした。外国行ったこと無いけどね。

ボルタンスキー氏若いのかと思ったらもう70歳を超えていらっしゃるようで、さすが現代アーティストなだけあって古臭さを感じなかった。年齢を感じるとしたら作品の完成度とか慣れを感じる部分くらい。

いやー久し振りの展覧会楽しかったな。綺麗だったし、本当に、脅かし要素の無い淡々としたホラーゲームみたいだった。

 

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 恒例のお土産。バッジと、コーヒーのドリップバッグが売っていたので思わず購入。飲んでみたらエルサルバドルインドネシア、ブラジルのブレンドらしく確かにエルサルバドルの煙草っぽい味がした。パッケージが影絵に使われていた絵でとてもかわいい。白黒基調だからどれもオシャレ。写真では潰れているけどボルタンスキーのロゴにネオンのコードがデザインされているんですよ。マグネットの絵柄に来世が無かったから買わなかった…来世欲しかった。最初から取り扱ってないのか 売り切れたのか…。

 

ボルタンスキーの下の階でグループ展もやっていたので行ってみた。

現代美術に潜む文学というテーマと言う事なのですが、これ難しいテーマだよなあなんて思いました。文学と芸術になるとどうしても挿絵風になりがちになるというか、文で呼び起こされるイメージを可視化する芸術がサポート役に徹してしまうというか…お互い説明し合っちゃうというか。この展示の中でもそういう面がいくつかあって想像通りな驚きの少ない展示会だった。

まあ、私自身展覧会行くの久し振りで芸術表現に触れていなかったから大分鈍っているし、ちゃんと作家さんの意図を汲めなかった可能性が大いにあるんだけど…。文字と絵は私の中で今追及のトレンドだからここから何かヒント貰えないかなと思っていたんだけど貰えなかった。

小説や漫画を描いている人も参加していたけどその人の作品はまさに典型な感じがした。最初に小説の冊子が置いてあって、それからその小説のイメージを順を追って絵や写真で説明していく。これなら小説や漫画の媒体で良かったと思う。地図とか本当に説明の為だけで余計にそう思える。この展示会のポスターにもなっている写真はすごくきれいで好きだったから、この写真だけでも良かった気がする。一番最初に展示されてた人の作品も、展示の最後に文を読み上げるモニターがあって、まあそうなるよなあという気持ちになった。展示というよりテーマパークみたいだった。

めっちゃ辛口で書いてるけど一個人のちょっと美術かじっただけの素人の感想でしかないのでどうか許してください…。

絵は現代では文の、読解力や想像力の欠如による不明瞭な部分を埋める手助けをするものなのか。また、文は絵の他人任せの不明瞭な部分をある程度の単位に分けられた単語で大衆向けに簡単に説明する為の物になるんだろうか。文章はある意味絵に対する興味や追及を殺すのではないか?絵と文は一緒になるとそうなってしまうのかな。詩も小説も芸術だと思うけど、絵とうまく良い感じになれないだろうか。それとも補い譲り合い足引っ張り合いの仲で良いんだろうか。

そもそもこの展示における「芸術」って枠組みはなんなんだ?媒体の事?芸術って何?文学は芸術の一つなのでは?今回の展示は焼きそばとラーメンのセットみたいな感じになってしまわない?分からなくなってきた。私は芸術の事を答えの無い意地悪ななぞなぞとしか見れていない。

作品自体は全部綺麗で、キャンバスの木枠を使った展示とか面白かったし、写真もすごく好きだった。

私もこのテーマを考え抜きながら生きて行かねばな…。

詩が読みたいな。詩を読もう。というか詩自体抽象画みたいなものだしな…。 

 

ああ~どれだけ勉強したら芸術を理解できるんだろうか。まだまだ全然知識足りてないぞ。

 

先日のコミティアで散財し過ぎてもうお金がない。

いい加減歯医者に行きたい。治療途中の虫歯があるのに引っ越ししてから一度も行ってない。やばい。広がっている。早く治したい…。

あと皮膚科にもいかねば。もう三ヶ月も指が湿疹だらけでかゆいの痛いの。

今月給料入ったら即病院へ。