Hyper Carronade

灰色のはい

人として生きるのが疲れた。きっと皆もそう思っている事だろう。

 

両親が事実上離婚という形で関係を終わるそうで、子供である私も扶養を切られ法的(?)に大人になる事になりました。

別に両親の離婚(仮)に関しては、数年前に大喧嘩した後ぽつんと机に離婚届が置いてあった事があって、その時から両親はお互いにお互いの悪口しか言わなくなって寧ろなんで早く離婚しないんだろうとしか思っていなかったので、特別な気持ちは湧いて来ないと思う。耳にしたときは驚いたし多少ショックだけど。思い返せばそりゃ離婚になるよなって。

これで父親の荷が下りれば、とは思うが母の生活の面倒は見るらしく、完全にさようなら二度と会わないじゃなくて何らかの形で関係が続くらしく、正直今までと変わらないんじゃ…と思います。

まあ、従兄の幸せな結婚式を目の当たりにしたからなんとなく想像できるけど面倒見るってのは、結婚した時はきっとお互いの両親に大切なあなたの子供と添い遂げ幸せに暮らしますって誓いを立てた筈だから、その責任を果たすって事なのかな。

子供が家を出るまで離婚しなかったというのは子供に対しても責任感があるという事でいんだろうか。

周りに仲のいい夫婦って叔父叔母夫婦しかいない。

あんなに幸せそうな、周りの人に祝福されて、美しい瞬間の成れの果てがこんななんて悲しいね。浮かれて馬鹿みたいとすら思えてくる。

家を出ていく父親を父親と呼んでいいのか分からない。

血縁関係で言えば父は父なんだけど私が最終的に帰る事のできる場所に父はもう帰って来ないのだ。

母にだって実家があって、年に一度両親にあいさつに行くのに。

父方の祖母祖父は一時期別居してたけど最近また同居しているらしい。なんなの。

というか、毎年大晦日はガキ使見ながら年越しソバ食べて夜が明けたら挨拶周りへ父の車で家族4人で行っておせちとか私のバースデーケーキとか食べるのが恒例だったのに、もう今年からそれも無くなるんだ。

今年はどうなるのかな。次に会う時どんな顔したらいい。他人みたい。

本当は、父と母二人だけの問題で、その子供の私たちには関係ない事なんだと思う。その二人が一緒に私の前に現れる事は二度と無いけど、今まで通り父は父、母は母として接していいんだと思う。でも即座に対応できるような柔軟な心の仕組みではないんだよ。

なんていうか、離婚自体にはさもありなん感しかないけど、それによって汚された過去の思い出やこれから訪れるはずだった未来の思い出が失われた事には悲しみを感じる。

ブログ書いてて涙出てきた。

家族と反りが合わないところもあったし放任主義だし私の人生を見て私を放任主義教育の失敗作だと言った事を一生許さないけど、心の奥底の根本的な基盤として少なからずやっぱり家族があって、そこに属していて、そこに帰る事ができるという安心感があった。それが失われたんだなあ。

これからまたどうなっていくのか、分からない。

母が心配だ。

この離婚の原因は父に寄り添わなかった母が8割悪い気がするけど、母は弱い人だ。他人と衝突する事がままあるけど、それでも、悪い人では無いんだ。

この件でまた精神を落とすか、はたまた清々したと言うのか。

完全に見捨てられないだけ良かったよ。本当に。

 

なんか、疲れた。

嫌な事があるとすぐ疲れるって言うのやめよう。

誰も恨みたくない。嫌いたくない。

ああ現実逃避だ。漫画を描こう。