Hyper Carronade

灰色のはい

先日は従兄の結婚式に出席しました。

ブログ終わりまで書いたのに謎の電波不調で下書きデータ全部消えたのでまた改めて書き直す羽目になりました。

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結婚式は幼少期に行ったことがあるようで写真が残っているのですが全く覚えていないので、実質昨日が初めての結婚式でした。

結婚式とか披露宴はお金持ちの道楽の一種だと思っていました。キリスト教徒でも無いのに神父さんにお祈りしてもらったり小さい頃のビデオ流したりケーキ入刀とかよく分からないし、結婚なんて愛し合う二人のただの約束でいいじゃん、そんな儀式めいたことする意味が分かりませんでした。

でも出席してみて、結婚式って夫婦の契約の場に証人として呼ばれているのが分かったしそれだけじゃなくて今までお世話になった家族とか友人とか上司や同僚たちへのお礼とかおもてなしの意味があるんだなと思った。新郎新婦二人だけの為の儀式じゃなかったんだ。

お料理もおいしかった。磯臭くないウニなんて初めて食べた。肉もおいしかった。

久し振りに会った従兄はなんだかキザで朗らかな大人になっていた。

彼に関する記憶は中学生の時で止まっていて、いつもゲームばかりしていて近寄りがたいなあと思っていた。

新郎新婦二人忙しそうだったし会話はしなかったけど、写真撮るよって時に私を手招きしたその仕草がキザに見えた。なんでだろ、タキシード着てたからかな。

幸福の空間だった。

印象に残っているのは、新婦入場の時に新婦さんのお母さんがベールを取るところ。お母さんの優しい眼差しが幸福の形をしていた。

新婦さんのご両親すごい泣いていたな。仲も睦まじそうだったし、愛に溢れた幸せな家族だったんじゃないかなあと感じた。新婦さんとは面識全く無いんだけども。

従兄の両親、私にとっての叔父と叔母も最後に泣いてたな。

叔母さんの涙を我慢して歪んだ顔が、今までずっと似てないなと思ってた自分の母の顔とやっぱりそっくりだ…って思ったら涙が出てきた。

温かい空間だった。幸福ってこういう事なのかな、と感じられた。

幸福と言っても、結婚=幸福という図式が成り立つんじゃなくて、あくまであの場あの瞬間が幸福だったんだ。幸福ってそういう物なのかも。

幸福って作れる物なんだ。

人間が作っているんだ。空間の事なのかも。いや、今回閉じ込めることに成功したのかも。その時間にはその時間だけの幸福が存在しているんだ。もっと永続的で不変的で唯一で博愛的で誰にでも降り注ぐ雨のようなものだと思ってた。でももっと刹那的で個別に存在するものなんだ。

幸せって結局自分にはよく分からないんだけど、でも今回結婚=人生の幸福とかいう図式とそれによる結婚に対する嫌悪感は崩壊して嬉しく思う。違うんだ。結婚は女の幸福だと言う社会に押し付けられた幸福で自分を呪わなくていいんだ。

でもやっぱり結婚の式は幸福だと思うけど、私の欲しい幸福とは違う気がした。

いい気付きを得た。人生観がまた少し豊かになった気がする。