Hyper Carronade

灰色のはい

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レアンドロ・エルリッヒさんの展覧会に行って参りました。

明日が最終日なのを昨日思い出し今日バイトを終えてすぐ向かいました。

やっぱり土曜日は電車が混む…。展覧会も混む。平日に行けばよかったですね。

この作家さんについて事前知識は何もなく、ただポスターになっている建物の窓に人間がいる画像が気になって行こうとチェックしていた程度でした。

まず展覧会会場に外人さんがたくさん居たのが驚きでした。六本木という事もあるだろうが、有名な方なんだろうな…。すごい面白い作品たちで、なんて言ったらいいのか分からないけど、なんか画期的というか大衆を巻き込む感じって言うか、インスタレーション作品だからなのかな、人に対して伝えるっていう感じが伝わったというか…目立つし、まさにアーティストって感じだった。

頼む語彙力よ。

作品は基本インスタレーションで、作品に来場者が参加するタイプのものが多かった。鏡とか「映る」というテーマの作品が多かったな。目の錯覚、というか固定概念にヒビを入れる衝撃の作品。びっくり楽しいって感じだった。

最後の作者本人が意図について喋るビデオを見て、この人もすごく論理的に作品を作っていると思った。それぞれの作品についてるキャプションからもそう思った。

なんていうか分かりやすかった。やりたい事表現したい事が作品という一旦出た結果にちゃんと表れてる。一見単純明快な発想だと思う。鏡を覗いたらそこに自分がいるとは限らない…なんて怪談チックだ。でも作品の完成度がそれをかなり現実に落とし込めてるっていうか。そもそも物の出来が良かった。美容室の作品とか本当にお店みたいで入るの躊躇しちゃった。美容室苦手だから。

鏡に対して固定概念を持っている事がよく分かった。鏡は目の前にある物をそっくりそのまま映す。と思ってる。現実風景がそのまま映る。鏡っぽい枠があって、これはこちら側を映すものだと無意識下で考えながら覗くと、その向こう側に鏡は無く筒抜けの状態、向こう側をただ映していて、自分が映ってなくてひどく混乱する。

それからそれらのインスタレーションの模型なんかも展示されてて、これも論理的だと思わせる要素だった。やっぱりがむしゃらに絵の具塗りたくるのとは違う、しっかり建設的に作ってる。すごい。

アパートのドアの覗き穴を覗く作品があったんだけど低身長が災いして背伸びしてギリギリ覗けたという事件があった。その時に、そうだ作者は外国人なんだ、と思った。想定身長が高かった。恥ずかしかった…。

恐らくオール写真撮影オッケーだった。最近写真撮影オッケーの展示増えたなあと思う。私はまだ作品の前でカメラを出すのに抵抗がある。食べ物でさえちょっと抵抗ある。お行儀が悪いように思えて。

でもちょっとググったら外国の美術館は写真撮影はおろか私語もオッケー、スケッチもオッケーときた。日本の美術館がちょっと窮屈なくらいだそうだ。私は海外に行ったことが無いから知らなかったしすごく衝撃だった。そういえば展示会にいた外国の方は楽しそうにお喋りしながら作品を見る人が多い。なんか、今まで自分が展示会で喋ってる人嫌だなとかカメラ出すの嫌だなって思ってるのがヘボいみたいでなんか、やだな…。

海外、フランスとかだともう生活に芸術がしみ込んでるといった具合らしい。日本という国は芸術への価値観や評価が貧しい国なんだな…。私も芸術の事敷居が高くて心の中で正座して向き合うような物だと思ってた。

美術館の話に戻るけど多分狭いっていうのもそういう要因だと思う。画像とかで見る外国の美術館すごいでかいし広い。敷地からして違う。で日本の美術館は作家の知名度等によっては混む。そりゃそんな所でスケッチなんかできっこないよな。スケッチどころか立ち止まらずにとアナウンスされる。うーん。

でも正直今回のレアンドロ展もかなり混雑してて、列に並んで順番に見る作品もあって並んで待つ間退屈だったし、呑気に自撮りしてる人に早くしろよインスタ野郎とイライラしてしまった。どうやってその問題を解消すればいいんだろう。私含め国民全員穏やかで優しい心を持つしか無くない?

今まで特別興味が無かったけど今回の事と調べた結果を受けて、海外の美術館行ってみたくなった。20代の内にどこか一か所は行きたい。貯金しようか。

やっぱり自分の世界は狭い。心も狭い。

そんなんじゃあ、良い作品作れないよなあ。

 

そうそう、レアンドロさんはとても論理的だと言ったけど、
こういう事を考えている。こういう事を表現したい。それにはこうしてこうする必要がある。どうやって作る。何を使う。作る。どう見える。っていう論理的なプロセスを経て作品を作っていくのがきっとアーティストの素質、最低限大前提の素質なんだと思った。そして私にはそれが出来なかったから美大を辞めることになったんじゃないかと思った。先生に言われた私の幼稚さっていうのは、そういう論理から作品づくりが出来ない事なんだと思う。

なんか私の中で、大学生だった時のとある作品の講評の時に言われた「良くも悪くも子供っぽい、幼稚さがある」という先生の言葉がずっとひっかかってるみたいだ。そこに私の成長の手掛かりがあるのだと本能が告げている、ってやつなんだろうか。

自分で考えることが出来ないんだ。他者から与えられたアイコン的なものを使って組み合わせてそれを自分の意見や表現としているんだ。考えることが出来ない…。

 

自分の話は他の記事で喋ろう。

 

上の写真は一番目がポスターにもなっている目玉展示。窓が空を向くように住宅の壁のオブジェが置いてあって、その奥に斜めになった巨大な鏡が置かれていて、来場者は壁のオブジェの上で好きなポーズでいる。すると鏡に映ったその画はいつも私たちが見ている姿の住宅の壁に人間が重力を無視したように存在している非現実的に見える画だ、っていう展示。これ最初に直で見た時思わず感動しておおーという声が出た。

二番目は恒例のお土産とチケット。森美のチケットは絵柄がどの展覧会でも一律この森タワー?の絵だからちょっと集め甲斐がない。インスタレーション作品のグッズはやっぱり種類が少ない。それに最終日前日だし、バッジの絵柄も多分当初はもっとあったんだろうなあ。これはエレベーターの図柄。エレベーターのドアの中を覗く展示があったからそれのグッズだろう。

三番目は模型の写真。本人が作ったのかちょっと分からないけど本当にきれいに作られてて、考えてるんだなあって。

 

電車の中の読書は仏教のわかりやすい解説みたいな本。

なんか仏教好きだなあ。

でもブッダ、皇子なのに出家したいからって適当に子供作ってとっとと出家したとあって現代の感性で見たらクズじゃねえかと思った。子供の名前も不吉な意味になるように発音したとかなんとかって。く、クズやないか…

でも何かを成し遂げる人ってそういう所あるよね…。なんとなく解せねえ。

かなり分かりやすく仏教の起こりについて書かれていて悟った気になってくる。でも文章を読んでるだけじゃ自分の中に無い思想体系は入ってこないな…じっくり自分の中で解体していかないと。

アニミストに私はなる!

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