Hyper Carronade

灰色のはい

自分というリアルな人間を感じる機会があって、

そもそも自分なんて毎日感じるはずであるものなんだろうけど、その感じる時って他人と触れ合う時だと思うのに私は周りに話ができるような友人がおらず、交流を続けている人が一人いるけど頻繁に会えるわけじゃなく私にとっては極めて稀なことなので最早機会なんだけど、

なんだかよく分からないや。自分がどんな人間なのか。

自分の喋っている姿、鏡を見たわけじゃないけど想像して嫌いになる。

私に友人ができないのも人と交流を深めることができないのも自分に落ち度があるからのように思える。

けれどその答えはそうじゃなくてただ他人に対する興味が無いからだ。

興味はあったとしてもそれを伝えようとしないからだ。

分かってはいるんだけど…。

好意的なのが分かればその人になんか懐くよね。親しみ湧くよね。多分そこ。

でも好意的なのが伝わるように接しなきゃっていうのも疲れる。

疲れるって事はもうその人に興味がないんだろうな…。

ツイッターで今は創作の人と繋がろうと思っている。

単に色んな作品の情報が入るようにしたいというのと自分の作品を見てもらいたいという目的だ。

疲れる。

あれ、こんな事しなきゃ私の作品って人に見られないんだっていう単なる実力不足に対する疲労。

疲れたなあ。

創作の為に苦手な、人と人との繋がりを作らねばならないのか?ただ私が実力不足のために。

まだ勉強不足なのは分かってるんだけど途方もないなあ。もう勉強を勉強って思う時点で私に絵を楽しむ才能は無いんだなあ。悲しい死にたい。

でもそれでもしんどくても何かを作らずにはいられない。やめたいと思う。でも作らずにはいられない。

私はその作らずにいられないムズムズを自分の才能と名付けて育てていこうと思う。

でももう遅いのかも。

まだ何もできてない。

死にたいなあ。生きたいなあ。

しんどいなあ。疲れたなあ。

本当は病気で少し休んだ方がいいのかも知れない。休まないけどね。