今日は写真美術館に行きました。
クレマスターの上映目当てで行きましたが当日券はすでに完売。キャンセルも出なかったので出鼻をくじかれたと言いますか萎えて展覧会の方を見に行きました。
クレマスターのついでに見ようと思っていた『シンクロニシティ』とその下の階でやってた個展です。
収穫は写真への興味が俄然強くなったことと気になる作家さんができた事ですね。
シンクロニシティは正直テーマはすごい面白いと思ったけど結局あの場の作家さん達の作品群を見た後シンクロニシティに納得できなかった。キャプションで無理やりストーリー作ってない?と思ってしまった。私がクレマスターショックであんまり展示に集中できてなかったか?それとも写真の見方が未熟だからか?時代と現在の関わりが見えてくる筈って言われても作家さんが個人個人思い描く表現を研究し突き詰めていく様しか見えなかったし、最後の方とか、これらの作品は未来につながる断片で~みたいな事書いてあってせやなって思ったし正直打ち切り漫画のあおりみたいだなって思った。個々の作家さんの代表作を並べて展示したようなそんな感じはした。最後に蜷川さんの作品があったのもちょっと違和感あった。
あれかな、平成時代の作家さんの作品を展示してさあ見比べてみましょうっていう事なのかな…。
それだったらシンクロニシティしてるのは作家の純粋な魂の目指した痕跡だろうか。
うーん、もやっとする。いや、そこまでシンクロニシティに関して掘り下げ考える展示では無いのかもしれない。あくまで写真史における中間地点なのかもしれない。平成も終わるみたいだしね。ただ最初のキャプションのシンクロニシティという言葉の意味「同時に起こるバラバラの物事が偶然一致したり共通したりする」「時をともにすること」っていうのがすごく印象的だったんだよな。あ、いいな、って思って、思ったけどその次の文の意味がよく分からなかったんだよな。作品はそれぞれ違った世界を持っているけどその世界をじっくり見れば何かが少しずつ関わり合ってることが分かるはず。うーん…。言わんとしてることは分かるんだけど、わかんなかったなあ…。やっぱり私には作家さん達の作品がいっぱいだなとしか思えない。
時代らしさ、平成らしさ、というのもこの展示のテーマの一つだけど作家性しか見えなかった。それはまだ今が平成只中だから?私が平成を生きているから、平成らしさというキャラクター化ができていないから?それを考える為のなぞなぞみたいな展示なのか?
うーん…展示の見方を間違えた気がしてならない。キャプションはちょっとうるさかったかもしれないけどなんかこうして文字に起こしてると冷静になって彼らの言わんとしている事に真正面から座すことができる。気がしている。
うん。シンクロニシティに関してはそう。個々の作品はとても良かった。
個展の方は普通だった。
人いっぱいいたなあ。
被写体が家族だったり女性だったり、それらが裸でいる写真が多かった。勝気そうな表情をした女性の写真もちらほらあった。
世界における家庭性、女性性は格好の思想のテーマなんだろうな。学校でもそういうのテーマにして作品作る人いたなあ。考えるべきことが多いものなあ。
でも女性性をネガティブに卑屈に自虐的に表現する人もいる中で、この人はポジティブで強さがあったから良いなって思った。
女性の弱さの部分を自虐的な表現でおどけて表現する作品は私は最も苦手だと感じる。女性性じゃなくても特異性とかそういうのを皮肉めいた表現で描き出す作品はあまり好みじゃない。
この人の作品はすがすがしかった。いいじゃん!っていう感じでした。
いやでも正直クレマスターショックとシンクロニシティのもやもやと人混みであんまり集中してみてなかったけどね…。
今日全然集中できてなかったな。。
ミュージアムショップでカメラのフィルムを買った。
これてっきりインスタントカメラ本体かと思って買って、帰って開けたらフィルムだったでござるの巻でした。
カメラ欲しいなあ…。
写真撮ってみたい。
写真技術に関してはドベそのものです。スマホで撮った写真は記録用のものだけど、作品として写真撮った事、そういえば無いなあ。
やってみたいね。
この間違えて買ったフィルム使って。
良さげなカメラがアマゾンで6万…。
六万…出せなくもないが…きついな…バイク免許の為の貯金なのにカメラに消えそう…。