夏は死の匂いがする。
今日は涼しめかな。
夏は歩いてても立ち止まってても何かが腐ったようなにおいが漂ってくる。
お線香のにおいがする。
なまものなんか置いておいたら数時間で腐っていく。
死というか地球の毒性を感じる季節だ。あんまり好きじゃないけど夏の夜は素晴らしい。
一人暮らしのアパートの二階の締め切った部屋で、セミの騒音を聞きながら一回自分の左胸に包丁を立てたことがある。
結局痛いのが嫌で刺せなかった。そのまま焼き茄子が食べたくなって茄子を切った。
その時は大分精神がアレでいつも自殺した後の事を考えてた。
大学でいつも一緒に行動するような友達はいなかったしバイトも毎日していた訳じゃないし家族も心配して連絡を寄越すなんてこと無かったから死体の発見は遅れるだろうと考えた。
この暑さだからすぐに腐るだろう。敷きっぱなしの布団に血と他の体液が染みついて肉も溶けて布団とくっつくんだろう。警察の人はきっと死体を運ぶのに苦労するだろう。
色んな虫が私を処理しにどこからか湧いてくるんだろう。蛆やらゴキやら蝿やら。
下の階の人が一番初めに気づくだろう。かわいそうだ。私を求める虫がきっと下の階の人の部屋にも入ってくるだろう。
ひどい姿になるんだろう。死体は綺麗な方がいいなあなんて思ったけどそううまくいくわけじゃないしある程度は諦めていた。
友達がまったくいないわけじゃないから、何人かの悲しむ顔が見えた。でも悲しみはすぐに消えるだろうからそんなに心配していなかった。心に傷は残すだろうけど。でも現実は早くて忙しいから、過去はあっという間に埋もれて思い出になる。傷もある程度うまる。
死ぬことが目的じゃなくてただ今を終わらせたかっただけだった。
でも簡単に終わる現実じゃないから一回死んで別の人生に生まれ直したかった。来世があるのかは分からないけどあるって思わなきゃやってらんなかった。来世に期待してた。
あとは少しの同情が欲しかった。死んだ後に、ああ、あの人は大変だったんだなあって思ってほしかった。だって決して遊んでるわけじゃなかったから。でも本当に辛かったけど皆辛いから一人だけ病気みたいに振舞うのは嫌だった。辛かったけど現状改善の為に100%で動いてたわけでもなかったから。いやそもそも改善の仕方が全く分からなくて何もしていなかったからそれが惰性に思えて一人で弱い立場に逃げるのが嫌だった。
自殺による死は最後の自己表現ツールだった。
まあなにはともあれ今は生きてるんだけどね。
夏になると死を感じて暗くなるから好きじゃない。
上手に刺せれば死ねるんだ、簡単、死ぬのは。
それがとても自分を弱いものだと認識させられて恐ろしい。
正常に生きているのは物質的な意味でも貴重な事なんだなあ。
命の尊さとか生きてて良かったとかそういう美しい事が言いたいわけじゃない。
心さえ伴えば人間は簡単に死ぬ。思ったより頑丈じゃない。
ただそれだけの事だ。
でもあの時の自分は本当に死んでしまいたいと思ってて、でも結局死ねずにいて、痛いのが嫌で、今よりよほど生に執着しているように思う。
自傷行為をすることが自分の見出した現状改善の方法だったのでは?
そこまでしっかり考えちゃいなかったけど。
なんとなく包丁を手に取ってそうだ死んでみようと思って心臓を刺そうとしただけだ。