Hyper Carronade

灰色のはい

バイト絶対辞めるマン。

仕事内容すごい楽で働きやすいのにたった一人の人生で一番嫌いなおばさんのせいで毎日気が重い。嫌い過ぎて話しかけたくなさ過ぎて私の彼女に対する対応も自分で思い返してやばいなっていう感じになってきた。人間応対としてもやばいし仕事的にもちょっとこれは差し障りありすぎるので、もう続けられない。私が人間としての社交性を取り戻す為にも辞めなければ。約一年続けただけ私にしてはよくやれたわ。

ああ、もっと私が我慢できる大人だったら、続けられたんだろうな。

他のおじさんおばさんは好きなんだけどな。でも馴染めているかと言ったら否だ。

私は他人に興味が無さ過ぎるのかもしれない。なんか、悪い所とか指摘してあげなきゃみたいな事よく言われるし自分の意見もっと言えばとも言われるけど、そこまで労力を人に使いたくないんだろうなあ。というか「悪い所を指摘する」って、他人をコントロールするイメージだから、なんかそこまでして他人の事変えたいとは思わないんだなあ…。

口喧嘩とか全くした事ないんだ。黙って心の中でその人との距離を置く。だんだんその人と物理的な距離も遠のいて、最後に私は一人になる。そこが自分の悪い所だと分かっているけどやっぱり指摘されても変える事は難しいんだ。人が変わるのは難しいんだ。変わるのにすごいエネルギーがいる。その負担を負えと言えるほど私はその人に責任持てぬ。

普通の人に対してもそうなんだから最嫌いの人にそんな事する訳がない。だって自分で自分の悪い所理解しているって弁明してきたんだもん。私に出来る事なんて無いよ。なんとか折り合いつけてやっていこうと思って一年我慢したけど日に日にその人の事が嫌いになるだけだった。掛け持ちにしようと思ってたけどこっちは切る。早朝ならコンビニという手もあるし。

仕事って一生ものだと思っているから、なるべく居心地の良い所で働きたい。でもフリーターと言えどそろそろ職場点々とするのも危ういし安定した収入が必要だから、今度こそは続けたい。まだ応募出しただけで何も進んでないけど。今度は私にとって働きやすい場所でありますように…。

大学進学とかで引っ越しが多かったからバイト一年ごとに点々としている状況なんですよね。唯一長いのが大学在学中のファミマだった。一番居心地良かったのは本屋さんだったなあ。やっぱり同じような趣味を持った人が集まる場所だからかな。引っ越しが無ければもっと続けられるバイトだったかも。働いてる時は辛い事いっぱいあったけどね。

茶店駄目だったら本屋にしようかな。

 

とりあえず仕事が変わりそうという事でごたごたしてます。(主に心が。)

 

あと長編漫画が死ぬほど進みません。

 

思う所があって長編漫画を完全にWEB掲載にしました。

理由は、無料じゃないと私の漫画って見てもらえないんだなって思ったから。

勿論お金を出して見て下さる方がいる。その人達の為なら頑張りたい。でも一話目を再録した時にあまりにもたくさんの人に見てもらえて、私の漫画にお金を出してまで見る価値が無いんだなと思った。抱えている在庫以上のブックマーク数。今まで通販の注文受け付けていたのにだ。まあ通販は送料が結構掛かるからね…。

するとなんか今まで出してきた価値の無い同人誌を「買わせていた」感じがしてきて、申し訳無くなってしまった。ただでさえ長編は不慣れで、試行錯誤が多い上に描き直したりしているレベルですから、お金取りたくないなあと思って。

印刷しているのは単に私が装丁とか考えるの好きで、本の形になっている自分の漫画が嬉しいから。だからわざわざ買わせるまでもない。自己満足さえできればWEBでも良いなって思い立ち二話目もWEBに再録。

今月は遊び過ぎて印刷代無いので来月に描き直した一話目を自分用に印刷する。

数冊余るからそれは本体価格を0円にして送料だけ負担して頂く形で紙媒体verとして通販に出そうかな。で、最終巻におまけで全巻入るブックケースと設定資料集完全版を作ってささやかなお礼として付けようかなって思ってる。ブックケースにぎっしり入ってる自分の長編漫画とか最高に興奮しません?今からめちゃくちゃ楽しみなんですよね。

その為にも最終話描き終わるまでは私は生きねばならない。

正直描き終わった後は別に死んでも良いかなって今は思ってる。動画もまあ最終話描き終わるまでには作り終わると思うし。他に描きたい漫画も特にないかな…。

老いについて

今日は祖母のお見舞いへ行きました。

お見舞いというか、入院しているわけでは無く家にいるみたいで、従妹と私と妹と4人で普通に食事をして老人ホームにいる祖父と顔を合わせて、少しお店を見た。遊びに来たみたいだ。

でも祖母の病気は結構深刻で、手術が難しいらしい。久し振りに会ったらすごく痩せていた。元々ふくよかな人だったから、支えた腕や肩に骨を感じていよいよ祖母の「じーじより早く逝きたい」というお決まりのジョークが笑えなくなった。祖母は頭はしっかりしてるのに身体がボロボロ、祖父はボケてしまっているけど身体は丈夫。

祖父は多分会ったの2~3年振りくらいかな。驚くほど変わっていた。

老け込んだという印象は無い、寧ろ生まれたばかりの赤ん坊のような無垢な目をしていた。でも背骨は曲がっていたし肉も弛んでいたし、かなりボケてしまったね。無垢なのは記憶が失われているからなのかもしれない。どこまで忘れてしまったのか分からないけど、私たち姉妹を見た時の反応はきょとんという感じで、一応名前教えたらああ、憂か~みたいな感じだった。後から聞いたけど名前とかは覚えているらしいけど誰が誰なのかは分からないらしい。

それから10分くらい滞在したかな。その間ずっと私たちの名前を繰り返しては「なにしにきた?」と2分おきに聞いた。

同じ事を何回も聞いたりするのは私が小学生の時からそうだった。婆どこ行った?だから病院に薬もらいに行ってるんでしょ!ああ始まった、ばーば帰ってくるまでにあと2回は聞くよって。その間隔が短くなったんだな。

私の記憶の中のじーじはもっと背が高くて強気で頑固でビール臭くて優しくて面白くて私をかわいがってくれた。

最後に会ったときはもっと会話できたのに。今はこちらの言葉が通じているのか、声が聞こえているのかさえも不安になるような、目が合わないのね。うさぎみたいな丸い目。

老人ホーム初めて来たんだけど、あそこに入ると「弱い老人」として扱われるからだんだん皆同じ形になっていくんじゃないかな。憐みの目を向けられ、世話される、一人じゃ生きていけない老人にされてしまうのかもしれない。

いや、その仕事をしている人を責めている訳じゃない。実際そういう人たちに助けられているんだ。別に非難している訳じゃない。祖父だってもう83歳だし、入った入らない関係なしにそうなるかもしれない年齢だ。

これも後から聞いた話だけど、祖父に年齢を聞くと七十幾つって、年下の祖母より若い年齢を答えるらしい。新しい事を覚えるのを脳が辞めたのはその時なのかもしれないね。

こうして記憶が保てなくなるのはどういう世界だろう。

私も最近物忘れが増えた。まだ頻度が少ないが、彼はこれがずっと続いている状態なのだろうか。思い出はどうなっているんだろう。思い出すことはあるのかな。全部すり抜けるように埋没してしまったのかな。思い出せない事は存在していないのと一緒だ。今彼は何の上に立っているんだろう。

帰る時、ばいばいって手を振って別れるのが悲しくて涙が少し出た。今住んでいる所と祖父母のいる場所は遠い。そう頻繁にも来れない。

次に会う時、また私は他人に近付くのだろうな。

老いを目の当たりにして気が滅入る空木でした。

今日は祖母に無理させてしまったかな。でも時々私たちは元気ですよって顔を見せないとね。

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今日はまず銀座に行き「続々」というデザインの展覧会を見に行き、その後上野に飛びフェルメール展、ルーベンス展、ムンク展をはしごしました。一日で4つの展覧会に足を運んだことになります。流石に筋線維がズタボロになるのを感じましたが充実した一日だと思います。少し詰め込み過ぎたかもしれませんが。

 

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 「続々」はギンザグラフィックギャラリーで今月の26日までやっている企画展だそうで、めっちゃ面白かったです。

絵の展覧会も良いけどこういうデザイン、アイデアと研究の集大成もすごく見ていて楽しいなあ。

入口入ってまず正面に見えるのが砂丘のような白い起伏のある台にしずくのように取り付けられた水槽とその中で泳ぐ魚。一枚目の写真ですね。この水槽シリーズの作品はとても綺麗でいつか別荘なんかこさえた日にはあらゆるところに飾りたいくらい素敵でした。創作の参考にもなるのでもっと写真撮れば良かった。

あと一番好きだったのは磁石の性質を持った、動く紙「動紙」という作品群。

色んな形に切られた紙切れが磁石の力でひとりでにひっくり返ったり移動したりもぞもぞしたり這ったりする作品。中でも動きの激しかった「這う」はズモモモモという音も相まって思わず笑ってしまうくらい面白かった。

あとは紙をレーザーカットを駆使して立体的に見せたりたっぷりした透明のインクの屈折を利用した作品など、なるほどな~よく考えてよくぞ形にしたなあと感心する作品がたくさんありました。

 小綺麗で整頓されていて、それでいて斬新。デザインって奥が深い。

 会場自体の雰囲気もちょっと暗めの照明で、BGMにエレクトロニカっぽいポコポコした音楽と、動紙の動く音が聞こえて、考えられて作られていたと思う。

入場料無料だし楽しいので見て損が無いおすすめ展覧会です。

 

今日ははしごするって決めてたので早めに家を出て銀座のギャラリーに着いたらまだ開いておらず30分暇をサンマルクカフェで潰しました。お洒落~~。チョコクロワッサン久し振りに食べたなあ。 ウィンナーコーヒーを飲みながら喫煙席でタバコを吸う。もう最高に都会の若者っぽい事できた。ウィンナーコーヒーおいしいな。インスタントコーヒーと缶コーヒーばかり飲んでいる舌からしたらお店のコーヒーってすごい上品な味に感じられるんですよね。今度ドリップコーヒーにもチャレンジしてみたいな。ちゃんと器具とか揃えて。最終的に量り売りの豆を選んで家で挽いてドリップしたコーヒーを飲んで暮らしたい。

 

次は上野で3はしご。フェルメール展、ルーベンス展、ムンク展っていう字面のカロリーの高さ。本当に一月から散財がすごいや。

フェルメール展はやっぱり現存作品が少ない為にフェルメール本人の作品は一部屋分しか無かった。それでも多い方だとは思う。流石に真珠の耳飾りの少女は無かった…。いつか私が生きている間に日本に来て欲しいな。

ほとんどが私の知らないようなオランダの画家さんの絵だった。やばい、はしごして色んな絵を見過ぎて既に記憶を失いかけてる。特に言う事が無い。

そういえば受付の人とかチケット千切る人とか青いターバンをしていて衣装も青系だった。かわいい。でも真珠の耳飾りの少女はなかったのだ…。

今回パンフレットがちゃんとした小冊子ですごい親切だった。キャプションが手元にあったので混雑している中でも絵が見やすかった。

肖像画、宗教画、風景画、静物画、風俗画と各ジャンルに分けられていて、最後にフェルメールの作品という構成だった。

油彩で描かれる海すごい好きなんですよね。上がった波の水の透明感とかが表現されているとテンション上がります。綺麗だもん。静物画の中で印象に残ったのが狩りの獲物のウサギとか鳥が緻密に描かれた絵。すごいもふもふ。ふわふわ。あと印象に残ったのはキャプションも併せてモレナールという画家の農民が遊んでいる絵。こういう生活風景画は戒めの意味を含むこともあるらしいが、この画家さんは喜劇的な風俗画を得意としていた画家さんらしく、キャプションに「本作も単純に鑑賞者を楽しませる目的で描かれたものだろう」とあり、なんか好きになった。楽しませる絵って素敵だなと思った。私が忘れている事だな…。

ムンク展、ルーベンス展でも思ったけどこういう昔の絵画には特に宗教画とかはモチーフや構図にちゃんと意味があって(例えば使徒ヨハネが鷲の姿で表されるとか)、それを見る側も知識があって何が書いてあるか理解できたっていう、貴族の娯楽感があって、私なんかまったく学が無いし無宗教な為にキャプション無かったら真の絵の意味が分からなくてただ綺麗とかかっこいいしか言えないのよね。これからもたくさん展覧会行くだろうし、絵は絵でもただの絵の具の塊の画面じゃなくてちゃんと思いやメッセージがある事を受け取れる学が欲しいと思った。

肝心のフェルメールの絵だけどあまりにも有名過ぎるので今更感想は特に無いけど、画集とか教科書でしか見た事が無かった絵が実物を間近で見ることが出来るのはどの画家であっても感動する。

いやあ混んだ混んだ。

 

次にルーベンス展を観た。西洋美術館に入るの何年振りかってくらいご無沙汰してたな。他の二つに比べると空いている方だったけどそれでも混んでた。

宗教画を描く画家さん。こちらもあまりにも有名な為に、あと私の宗教画への興味が浅いので特に感想は無い。けど肉体の描写がすごい。解剖学にも詳しいらしいというかこういう画家さんって皆自分の表現の為に研究熱心なんだな。模写したり分析したり。圧倒的な知識と熱量に裏付けされた絵だ。

印象に残ったのはマルスと、キューピッドに授乳するヴィーナスの絵。現実離れした宗教画達の中ですごく温かいありふれた家庭の様子に見えて目を引いた。マルスの優しそうな顔がまた良いな。マルスは軍神で争いを象徴する神で、それが美と愛の象徴であるヴィーナスの傍らで兜を脱ぎ盾を床に置いている。愛の前に争いは緩和されるというメッセージがあるらしい。キャプション見てすげーなるほどー!と思った。宗教画はやっぱり分かると楽しい絵画なんだなあ。

 

最後にムンク展。もうルーベンス展の半ばで情報過多なのか軽い眩暈に襲われてて見えないものが見えてきやしないか不安だったけど大丈夫だった。普段は1~2つしか見ないからね展覧会。

ムンク展はめっちゃめちゃ混んでた。有名な「叫び」が来てるからかね。

恥ずかしい話ムンクの作品「叫び」しか知らなかったので勉強の意味も含めて来たのですが、なんか絵も強烈なインパクトだけど作家自身が強烈な人だったんじゃないかと思った。どぎついという意味では無いんだけど、この人もまた創作に熱狂していた人なんだなと。

自画像や人間を中心に描く人で、特ににくにくしい人間の愛憎を主題にして描いていたらしい。その背景には家族との死別が関わっていると。

叫びの絵からもそうけど不気味でシュールで少し怖い絵ですね。なんていうかもうムンク自体が怖い。熱狂という言葉が似合い過ぎる。ホラー的な怖さではない、慄くって感じの怖さ。人間を、自分を、自分の子供達(作品)を愛していたんだっていうのが分かる。本当に強烈な展覧会だった。私の今日の記憶が曖昧なのは多分ムンクインパクトのせいなんじゃないかな。一気にムンク好きになった。

色は可愛らしい色なのに怖い。

木版画になるとすごいお洒落に見えますね。個人的に版画好きだから色眼鏡かも知れないんですけど。

好きな絵は展覧会最後に飾られていた最晩年の自画像と一番初めの方にあった「スペイン風邪の後の自画像」。後者は単に病み上がりの顔を描いてるムンク面白いなと思ったから。最晩年の絵はなんか、家族の死の情景を描いた絵よりも一番死を感じる絵だった。自分の死を真正面から見つめている。なのに悲壮感みたいなのは無い。シュールさがやっぱり不気味ではあるけどまっすぐなんだなあ。なんかよく分からないけどこの絵が一番好きだなあ。

叫びも見たけど結構小さかった。どこで知ったのか小さい頃から見慣れている絵であるからなんかあの顔見ると笑ってしまうんだよね。

あと度々出てくる水面に映る月の表現が好き。

 

お土産は一番最初の写真の通り、ムンクのピンバッジと缶バッジ。この缶バッジが、絵にワニスを塗るのを嫌うムンクの作風と合わせたのかざらざらしたキャンバスバッジっていう奴でとても良かった。ピンバッジはガチャガチャ。叫びで被ったからバッジは別の柄にすれば良かったと少し後悔。あとルーベンス展のアクリルマグネット。フェルメール展のは財布をロッカーに置いてきてしまったのでお土産無し。

 

いやー、充実した。

絵が描きたい欲が補充できた。でも疲れすぎたから今日はもう何もできなさそう。

 

移動時にずっと読み進めてた「レプリカたちの夜」も読破できました。

これは中盤まで読んでたら具合が悪くなったけど、最後まで読んだ今すごい良かったーと思う。面白かった。

自我と魂の存在、静物と生物、人間とそれ以外の境界についてのお話。多分。ミステリーSF。読んでると自分の輪郭だと思っていた境界がふやけて溶けてしまうような、とにかく具合が悪くなったな。読み終わって一瞬、実は私の世界もこんな感じなんだろうかと顔を上げて電車内で突っ立ってる人達を見回したけど、例えそうであったとしてもこれが私の認知している世界で、それを現実と呼んでいて、それで良いと思っているんだ。と思った。認知できなかった世界に干渉しない限りは。知らぬが仏ってやつですね。

歯車がかみ合わないような気持ち悪さ、居心地の悪さが中盤まではある。それを踏まえた上で夜になった後の展開がめっちゃ好き。うみみずさんかわいい好き。登場人物のキャラも立っていたな。

これがこの著者のデビュー作らしく、デビュー作にして衝撃作過ぎるでしょと思った。

難しい内容でうまく消化できてないからまともな感想かけないけど、読んでみたら分かるやつ。表紙の絵もかわいいので興味あったら読んでみて欲しい。

仕事について

今日はバイト先候補である喫茶店の下見に行って来ましたが期待に反してレストランみたいにがっつりご飯メニューあるし席がもろファミレスのそれでどうしようか迷い中。制服はベストでかっこ良かったしカウンターというか店の装飾が全部黒くてちょっと居酒屋っぽくもあった。

昔ながらの静かで穏やかで温かい喫茶店で働きたいんだけど、チェーン店じゃしょうがないですよね…。

下見というかちょっと入口から覗いただけですけどね。一人で喫茶店(しかもファミレスっぽい)は私の脆弱な精神では無理でした。一緒にバイト先の下見に行ってくれるような友人は私にはいないんだ。こうなってくるとなんか肩の辺りに妖精欲しくなってきません?

ぱっと見従業員さんも明るそうな人達ばかりであの中で私がやっていけるようにも思えない。

なんか何に対しても委縮するようになってしまったな。思ったより自尊心が地の底らしい。自信が欲しい。いつからこんなになってしまったのか。生き辛い。辛い。一緒にいるだけで存在が救われるような人と暮らしたい。

まあアルバイトってフットワーク軽めな事が最大の利点だと思うし、まだ受かると決まったわけでも無し、やってみるだけやってみようか。すべてはお金の為、ひいては創作の為。

あと今やってる早朝バイトはなんだかんだ一年くらい続けてしまったけどそろそろ辞めないとしんどいわ。たった一人の大嫌いな人の為に辞めるのも甘いよなーと思ってたけどそんな根性論より自分を守ろう。職場に同年代の人間もいないし、私が気を使っているように他の人も私に気を使っているんだろうなって感じるし。私が抜けた穴は大きそうだと思うけどたった三時間の職務、育てるのに時間はかかれどいくらでも代わりはいる。

仕事と言えば、創作サイトにメッセージでどこかの編集部からコミックアプリの連載のお誘い的なのが来た。こういうメールはサイトやってるとたまーに来るやつなんだけど、いまいち信用していい物か分からなくて二の足踏んでる。コミックアプリ自体は割と有名なものらしい。編集部についてもめっちゃ検索した。とりあえずよくバズるような悪い編集部では無い事は分かった。けど縦読みスクロール漫画を多く作っている所らしい。2作品ほど読んだけど、縦読み漫画ちょっと読み辛くて苦手なんだよね…。というか私のサイトの漫画見て縦スクロール型の編集部が声をかけるってどういう意味があるんだろう。縦漫画描きたくないんだけどその辺は加味してくれるんだろうか。

商業の漫画って編集者と作家の二人三脚で作る物で、私はやった事無いから憶測でしかもの言えないけど、絶対どこかでどちらかが妥協したり譲歩したり価値観の相違が出たりするものじゃないですか。特に編集部はビジネス性も視野に入れているわけで、多分だけど妥協したり折れたりするのは作家の方が多いだろうなって思う。それを私が耐えられると思うか?それはどこの編集部であろうと同じだし今更そんな事言ってられないのは重々承知だけど、でも世の中には死ぬほど相容れない人が存在するんだよ。早朝バイトの嫌いな奴もそうだけど、蓋開けてみるまで分からないってのが脆弱な精神を持った私には非常にリスキー。その上このメールを下さった編集部は発足したばかりという事でやっぱり信用する材料に欠ける。

創作という私の人生の根幹に関わる事で賭けみたいな事はしたくない。元来山羊座AB型は賭け事に弱いんだ。

でも今の時代こういうチャンスを逃してばかりじゃやっていけないのも分かっている。

うーーーーーーん……。

どうしようね。

あかん迷ってばかりだな。慎重すぎるかな。

失敗するのが怖いや。

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

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 と同時に私の誕生日です。おめでとうございます。歳をとってしまいました。だんだん誕生日が嬉しくなくなっていくけど、誰に決められた訳でも無いのにケーキを食べて祝いの言葉をもらうそんな不思議な日に甘えるのも良いですよね。

フリーターなので年末年始の感覚は無いんですが一年の区切りという事で心機一転踏ん張ってみようと思います。

前の記事にも書いたような気がするけど今年もインプットを心がけて、もっとアグレッシブに創作に取り掛かる。

なんだかんだ去年はゆっくりしてしまったからなあ。

人生を創作に捧げすぎてるなと思ったけどもう神羅万象全てが創作に繋がってくるからこれは逃れられない呪いだと思った。私は創作に生きるしかないのだ…。

あと喫茶店で掛け持ちバイトをしたい。その為に三が日終わったら下見しに行きます。

んでそのお金で自転車買ったり映画見たり印刷代に使ったり展覧会行ったりライブ行ったり登山用具揃えたりダイバーの資格取りに行ったりしたい。漫画を描く事だけじゃなくて人生楽しもう。色々やろう。どうせ不摂生な生活が祟ってすぐ死ぬんだから。

年の始めってポジティブになれるな。

この心持ちがずっと続けばいいのにな。

 

今年もぐだぐだ鬱々とブログを書きますが、また一年よろしくお願いします。

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 クリスマスイブに楽しい品川へ。空がきれいに晴れていて、銀杏の木が黄色く燃えていて、赤い電車が通る。結構いい写真が撮れたのでは?踏切とか電車とか好きなんですよね。

 

まずは原美術館に行きました。

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 リー・キット展やっていました。なんと私が行った日が最終日でした。特に意識して滑り込みした訳じゃなかった。

この方はインスタレーションで絵画表現を行う 、そういった作家さん。

 プロジェクターや木材とか日用品等を使って空間全体を絵画にすると展覧会説明にあった。

私はてっきりプロジェクターが照らす四角の中だけを絵画にしたのかと思っていましたが、そういえば展示室の中に普通の服とか入れるような透明なケースにプロジェクターの光を当てて壁に光の歪みの模様を作っていたし扇風機とか古めかしいよく分からない機械とかマグカップとか置いてあったな。

なんだか不思議な作品だと思った。こういうのも絵画と言えるのかーと。絵の具をキャンバスに塗り付けた物だけを絵画と言うのはもう古いのかも。最近はプロジェクションマッピングとかあるし。あれも言い換えれば空間を光で飾るいわば空間をキャンバスにした絵画みたいなもんじゃないかな。

展示室の通り道にあったキャンバスに絵の具と印刷文字が書いてある作品も好きだった。

 

遅い昼はつけめんを食べた。品達というラーメンストリートの中にある「玉」というお店だったかな?かつお節が効いてて麺も太目ですごいおいしかった!

 

次はアクアパーク品川に行きました。ちょっと水族館の資料が欲しくて。しかしクリスマスイブだからかカップルと家族連れなどで人が多くて多くて…。

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 この水族館の特徴はライトアップでしょうか。あとは最初のエリアに水槽がタッチパネルになっててタッチすればポケモン図鑑みたいに魚の詳細が見られたりする。正直このエリアは水槽が小さい上にパネルに夢中になって肝心の魚に意識が向きにくかった。ポリゴンじゃなくて魚見に来たんじゃい!でもこのアイデアというか、調べたらこの透明液晶パネル搭載の水槽は世界初らしくて、とても近未来を感じたのでした。これ普及していくのかなあ。大きい水槽に導入したらすごい事になりそう。出来る事も多くなりそうでとても資料的には大収穫。漫画に取り入れたい。

写真はライトアップされたクラゲとか熱帯魚とか。クラゲはやっぱり良いですよね。

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脊髄みある。

例えばどこかの星に海があって地球外生命体がいたとしたらクラゲみたいな形してると思う。プランクトンとかそういう微生物なら太陽系の星にもいそうだけどなあ。エンケラドゥスとか吹き出す水の中に生物のエサになりそうな成分があったってニュースあったし。

 あとは水槽のトンネルにマンタがいた!

ナンヨウマンタという種類らしいけど、他のエイよりも圧倒的なでかさで感動した。マンタがいる水族館ってほとんど無いんじゃないかな。初めて本物見られて良かった。写真は撮り忘れたけどね。

空木の野望の一つにダイバーの資格を取って沖縄でマンタと泳ぐ事があります。

それくらいマンタ大好きなんですよね…。本当に会えて良かった。 

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イルカショーも二回観ました。

クリスマスの特別ショーという事もあって混んだ混んだ。

昼のショーは普通のショーだったけど夜はプロジェクションマッピングでクリスマスっぽかったです。

推しができました。イルカの中に一匹だけ混じる真っ黒で大きな身体のクジラの仲間。オキゴンドウという種類らしいです。休憩中にエサ貰ってる所を見たら口が他のイルカたちと明らかに違うし黒い体に白い歯が並んで見えるのがめっちゃかわいかった。そもそもクジラもショーできるのか?!と思って注目してたら、クジラがプールの真ん中でジャンプをしたら天井の真ん中から出るシャワーカーテンと虹色のライトが黒い体に反射してものすごく綺麗だったんですね。もうその光景を見た瞬間推してました。

なかなかいたずらっ子なのかショーとショーの合間の時間に水槽際で何回も大きくジャンプして前の席の人に水かけて、スタッフさんが謝りながらタオルを差し出すという光景も見られた。かわいい。

歌を歌う芸もあった。クジラの声すごいかわいかった。

また推しに会いに行きたい。

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 腹がはち切れそうだった。

お腹すき過ぎるのも辛いけどお腹いっぱいに食べるのも辛いよね。確か吐くまで食べさせる拷問があったような。

 

もうクリスマスか…。

年が明けるのもすぐだ。いやだー年を取りたくない…

年の瀬にこんな事書くのもあれですが、昨日ものすごい自己嫌悪に苛まれて辛かったです。寝たらなんとか持ち直しましたが。

自己嫌悪感って唐突にぐわーってやって来るから自殺するときは小さいきっかけで衝動的にやってしまうだろうなあ。でも私が死んだ後の皆の反応とか気になるから死ぬの躊躇しちゃうだろうなあ。自殺を自己表現ツールにするな。もう毎分自殺の事考えてる。頭の中で何回自分を殺したのか。

多分もっと自分には成功の経験が必要かもしれない。

今かろうじて持っている自分の存在を肯定するものって創作において過去の自分が積み上げてきた物で、それがぐらぐらするのを、見守ってくれる方々の言葉とかで補強している感じなんだけど、まだまだ力不足で頂ける補強が足りないんだ。そこでなんか、成功の経験を得る事で新しい補強材を手に入れる事ができるみたいな。

力のある人ってすごい精神的に安定感がある人が多いなあってツイッターで見える範囲で思う。そういう人はたくさん外部からの力でも補強されているんだろうなと思う。力があればあるだけ人から貰えるし、力があるから成功する。自信があって堂々としててかっこいい。その堂々とした振舞いに惹かれてまた人が集まるんだ。

力を手に入れるまではこのぐらぐら感に堪えなければならない。

というか退学を選んだショックで積み上げた物が崩れて倒れて転がっていっちゃった気がするんよね。いくつかどっか行っちゃったみたいで、絵を描くときに迷うようになったんだ。今まで描くとき悩まなくてもここはこうした方が良いっていうのが分かったのに、今は分からない。単純な画力は上がったけど表現力が下がった。機械的に人間書いて色を塗る事しかできてない。もっと頭の中にストックがあったはずなのに…。全部転がってどっかいっちゃった。

この歳で一からやり直しなんてかっこ悪くてみすぼらしくて、かっこつけた絵ばっか描こうとして結果固い絵になる。これが今の私の状態だと思う。

美大生だったっていうステータスが逆に私を苦しめるんだよね。

美大行ってたのにこの程度しか描けないんだって。全然評価もされてないし大したことがないって。この程度しか、って思われたくない。これでも積み上げた物があるんだっていうプライドがあるからこそ余計自分の力の無さが苦しくて恥ずかしくて死んでしまいたい。

じゃあそんな経歴隠し通せばいいじゃんと思うけど、ツイフィールとかサイト等に美大中退って書いているのはもうただの意地ですよね。自らステータスというハードルを設置して勝手に苦しんでるだけです。

それだけです。