Hyper Carronade

灰色のはい

今年も残りわずか。そんな雰囲気が漂ってきていますが私は相変わらず死ぬほどマイペースに生きすぎて人に迷惑をかけてばかりです。

そろそろ誕生日です。元旦です。もう人にあまり言えないような歳になりつつある。不幸にも人間の檻に閉じ込められたただのなまものでしか無いのに歳ばっかり食ってく。

創作に没頭している時だけ自分が透明で、本当に違う世界に干渉できて他が一切無い幸せな時間なのに、創作していない時は自分を認識して動かさないといけない。幸せな時間を知っているからこそそこへ逃げたくなってふとした瞬間にトリップしてしまい、結果ぼーっとして人の話聞いてなかったりするんですね。創作している人ってぼーっとしてる人多いけど皆もトリップしてるんだろうね。

ああ、明日もバイト。またなじられるのかな。バイト嫌だなあ。でも今月か、来年になったら流石に掛け持ちバイトを始めるつもり。

トリップしてしまう系の人でもいい感じに働けて刺激に溢れててお洒落なバイト先降って来ないかなあ。無理だなあ。田舎だもん。だって田舎だもん。まだ若いから今どきの若者っぽくなりたい。

 

ちょっと早いけど今年を振り返ってみる記事にしようと思う。

新しい家での新しい生活の一年目だった。家事という史上最悪の労働で一瞬気が狂れそうだったけどなんとか持ち直したと思う。ただ職場はお母さん世代ばかりで気軽に話せる人がいないし、同級生も連絡取れる人いないしで孤立気味だった。でもコミティアには高校時代の美術部や漫研の子達がスペースに来てくれたりしたから、そこで元気をもらった。

日常的に精神的な支えが無かったからなんか今自分は本当に正気でいられているのか少し疑問だ。正気なら私相当タフメンタルなのでは?

創作は結構やったと思う。と言っても例年より一本多く漫画描いたくらい。長編を三本もスタートさせてしまった。そんな予定じゃなかったのに。この間出したフェアレディはまあ来年には終わるけど、ギャ運は5年以上かかりそうだししがみちに至っては終わりの目途が無い。見切り発車過ぎたかなあ。大丈夫かなあ。

イラストは全然描けてなかったし、なんか絵が硬くなった気がする。二次創作してた時の方がのびのびしていたように思う。

アウトプットに関しては結構アクティブに行えたと思う。ティア3回出たし、持ち込みも行ったし、自分からアクション起こしてないけどしがみちがpixivコミックの月例賞で優秀賞を取ったし。そういえばその件に関してブログではノータッチでしたね。そういうお知らせこそブログに載せればいいのでは?

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逆にインプットは少なめだった。環境の変化も大きい。近くに本屋も映画館もレンタルビデオ屋も無い。ちょっと遠出しないとそういうのにありつけないから、控えめになってしまった。電車に乗るにも最寄りまで遠いし。あと単に今のお給料じゃねえ。展覧会もかなり少なかった。これは反省しないと。インプットは20台前半までにたくさんした方がいいって高校の美術部の先生に言われてたのに。でもネトフリという超便利なサービスのおかげでアニメも観たし映画今年13本観た!世間一般の方々と比べたら少ないけど私にしては観た方。

来年は掛け持ちバイトをするから時間が今より無くなる。それでも漫画は今年と同じくらい描きたい。コミティアも出たい。刷り部数をもっと少なくしてその分装丁色々やりたい。掛け持ちバイト先で気の合う人がいればいいなあ。基本今年よりもいい年にしたいですよね。

具体的な目標立てよう。

まず創作漫画、「オーマイフェアレディ」の完成。「ギャラクシー運送冥王星行き」は少なくとも4話までを来年中に。「此岸の道すがら」も短いストーリーでも良いから3話くらいは更新したい。コミティアは二回参加でいいかな。それから投稿用の漫画も2本くらい描く。本格的に漫画家デビュー狙ってこ。まずは投稿するところから。そうしてガンガンアタックしていけばまた世界が広がる気がする。今私に必要なのは自分で切り開いた先に見える新しい世界だと思う。…いやそもそも私に人の為の漫画が描けるのか?正直、自分の漫画を描き上げた後の事に興味が無く、読んで下さった方が何か思ってくれたらいいなあとは思っているけど、それを必ずしも私に伝えて欲しいとは思ってなくて、勿論伝えてくれるとものすごく嬉しくて励みになるけど、強要するつもりもそれをもらう目的で漫画描いてる訳でも無くそういうのは本当に伝えたいと思って下さる方だけそうしてくれればいいと思ってるのね。あくまで私がやりたいのは自分の世界を描く事だけなのかも知れない。それは、プロになりたいなら駄目な事だよね。自分の漫画が読者に何をもたらすのか、知る必要はあると思う。でも自分のスタイルを捨てたくも無いんだ。どうしたものかな。

ていうか漫画目標全部で9本?ひえ…結構書いた今年でさえ5本なのに…。最悪しがみち一年放置なんて事もあり得る…。

デジタルイラストもいっぱい描きたい。今年は多分60枚くらいしか描いてないんじゃないかな?色の塗り方はしばらく今の感じでやっていく。デジタルで背景描けないのでそれも頑張ろう。

展覧会には月一でなるべく行きたいね。あと企画展ばっかり行ってるから個展とかもチェックしていこう。一人でも好きな作家さんを見つけよう。 

 創作活動を言い訳に生活を疎かにしても良くないので、ちゃんと自分の人間としての尊厳を大事にしていこう。掃除ちゃんとこまめにすること。

映画鑑賞は来年は20本目指す。

 

 さてこれらを私は達成することができるんでしょうか。志は高く持つ方が良いだろう。

 生きる力をもう少し振り絞らねば。

いやもう最近何もやる気が起きなくて。来年になったら少しは変わるかなあ。

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観て参りました。A GHOST STORY。映画館で映画を見るなんて一~二年振りくらいですかね。多分。曖昧なくらい久し振りです。

レディースデーで千円だったのでいそいそと遠出をして観に行きました。

この映画を上映している映画館が同県で二か所くらいしか無くてお給料日前の財布的にはちょっと交通費が痛かったです。

でもレディースデーの千円は嬉しいですね。ちょっと何を以て”レディース”とするのか、このご時世にはそぐわないようなサービスではありますが。

 

散文的な感想ですが、普通にネタバレするので悪しからず。

 

もっと温かみのあるほっこりストーリーかと思いきやそんな事は無かったんだぜ。

あらすじですが若い夫婦がいて、ある日音楽家の夫が突然死去して幽霊になってしまう訳です。その幽霊が病院から家に戻り居つき、残された奥さんと過ぎていく時間を、変化する家の様子から感じていく。といった感じですね。

殆どセリフは無く、状況が変化していくのを幽霊が黙って見ているんですね。時々派手にポルターガイスト起こしたりするけど。

温かいシーンというのはほぼ無く、切ない、悲しい、やるせない、という、まあ死別を扱う物で避けて通れない感情をもたらされましたね。でも、不思議と辛い訳じゃないというか、まあ辛いんだけどそこに苦みは混じってない。どこか爽やかなものすら感じる後味でした。切ない9割ですね。

あと印象的でぐわーっ好きーってなるシーンがいくつかあった。

ただ物語の動きが遅いというか、1シーンの尺をかなり長くとっていて、人を選ぶ映画だよなあというのはありました。私が劇場入りしたの3分オーバーだったんですが本当に十人くらいしかいませんでした…。

個人的にベッドシーンとかそういうのを匂わすシーンが死ぬほど苦手なのでそのシーンの間は早く次のシーン進んでくれ~と思ってました。

あとは奥さんが大家さん(多分)に貰ったでかいパイを食べてるシーン。これは好きなシーンなんですが結構尺長かったですね。なんというか、一緒に食べる人はもういないのにパイのでかさがやたら当てつけっぽく見えて、それを自棄になって食べてるといった印象を受けました。本当にここセリフ一個も無くて、表情とか鼻をすする音で想像するしかないんです。でもこの長さも含めてなんか、残された人の日常を覗く幽霊視点みたいな表現なのかなと思いました。この映画においてこの尺は端折ってはいけない大事な時間だと思った。

もしかしたら女優さん自身が吐き気を催すまで食べ続けさせたのではとも思いました。それくらい長かった。

音楽もホラーっぽくおどろおどろしくて、映画館だから特に効果的に聞こえました。結構大きな音でびっくりさせるシーンあったな。でも幽霊のビジュアルがシーツを被って目の所に穴が空いてるよくあるオバケ像でかわいくて、めっちゃ怖いBGMとちょっとギャップがありました。そういうギャップを狙っているのかな?と最初思いましたが、この映画の制作はアメリカで、日本人が怖がるホラーとアメリカ人が怖がるホラーは違うってヘタリアで読んだのを思い出し、もしかしたらこれはアメリカ人にとってめっちゃ怖いシーンなのかもしれないと思いました。

時間経過の描き方も今まで見た事無い感じで面白かった。動く世界と立ち尽くしたままの幽霊の対比が良き。

1つだけ気になったのが、冒頭の死んだあと幽霊になってずるずる病院を出る所で出てきた恐らくあの世へ行く窓とか扉的なやつ。なんであんなサイバーな感じにしたんだろう。今までの古き良きアメリカみたいな物の暖かみが残ってる世界には合わないような…そんな気がする。例えば廊下の壁に突然外へ行く階段があってめっちゃ光ってるとか、めっちゃ煙出てきてるごつい扉とか、床にでかい穴が空いてるとか。あそこはどういう意図があってあれにしたんだろう…。かなり丁寧な作品だからもしかしたら意味があるのかもしれない。それかそこに違和感を持ったのは私だけで別に何もおかしなことは無いのかもしれない。自信ないや。

めっちゃ好きなシーンは隣の家に居ついてる幽霊との対話。声は出なくて字幕が現れるんだけど、この対話が非常に私は好きだった。切なくて。隣の幽霊は誰かを待ってその家に居ついてるけど誰を待っていたのか忘れちゃったって言う。そしてやがて両者の居ついた家が両方壊されてぽつんと二人瓦礫の上に立っていて、隣の幽霊は「もう来ないみたい」と言い残して布だけ残して消えちゃうんです。ここホンマ身を捩る程好きでした…。あの消えたのは成仏って言って良いんだろうか。未練が無くなったって事だよね?もう待ってる人が帰ってくる場所が無くなっちゃったから、待つのを辞めたんだよね。切ない…。

あと好きなのはラストシーンと、自分が奥さんと生活してきた歴史のある家が壊されて、そこにビルが建てられて、田舎の風景がすっかり高層ビル群の明かりでたくさんになって、てっぺんから投身自殺(死んでるのに自殺とは)みたいな事をする所。相変わらずセリフ無いし表情も布でよく分からないのにこの悲しさよ。

でそこから過去に飛んだのが、私の頭が良くないせいでよく分からないんですね…。

とりあえず彼には未練があってあの家に居ついて、投身自殺したけど消えてはいない所を見るとまだ未練があるんですよね。

そもそも家に居ついているんだよね。引っ越してしまった彼女の後をてっきりついていくのかと思ってたけど。それは後の回想と呼べばいいのか分からないけど死ぬ前の場面で、この家には奥さんとの思い出、歴史があるからって引っ越しを渋る描写と、中盤で出てくるちょっとイった感じのおじさんの「遺す事は結局無意味だ」という演説とそれに対して怒ってポルタ―ガイストしちゃった描写があるから、この家は彼女と残した思い出、遺産って訳だから彼にとって家は大切な物なんだよね。

で未練っていうのは、映画のラストで彼は彼女が柱の隙間に隠したメモを開いて成仏したことから、その彼女が残したメモなんだろうけど、結局何が書かれていたのかこちらでは分からず。奥さんが冒頭でよくメモに詩とか思い出とかを書いて色んな所に隠すと言っていた。もうこの辺うろ覚えなんですけど、多分この家に住んでいた時の、彼と過ごしてきた時の思い出が書かれている…のかなあ。メモを開いた瞬間に消えたようにも見えたから幽霊がちゃんと読んだのかも分からない。でも読まなきゃ意味無いからやっぱり読んだんだよな。

まだその彼女と家に越してきたところへ戻るのは分かるんだけど、その前の家が建つ前の所のシーンは本気で分からない。親子がいて、家を建てようって仲睦まじく食事をしていて、シーンが変わって父と娘の一人が矢に刺されて死んでいるシーン。お母さんと他の子がいないから、待っている間に死んじゃったのかな。もしかしたら隣の幽霊はこのお父さんか娘さんの幽霊かもしれないと思ったけど、どうなんだろう…。隣の幽霊の布に模様があったように思うんですよね。あれ?隣の幽霊二体いた?本当にこのシーンだけどんな意味があるのか考察ができない!脳が足りない…。

でもすごい丁寧な映画だった。セリフが少ないからこそ余白に幽霊がただ残された者たちの進んでいく世界を黙って見つめているその図が際立つ。逆にもうどちらが残されたのか、どっちも残された者だよね。

私は近しい人を亡くした経験が無いので、残された側の気持ちとか心境がどちらへ向かっていくのかとかその後の受け入れ方とか、そういうのが映された画面で見ている部分しか分からなくて、想像をこうして捲し立てて書いているのですが、もしかしたらそういう経験をした後にこの映画をまた見たら違う物が見えてきたりするのかもしれません。できればそういう経験まだしたくないんですけどね。

もうずっと切なかったんですけど、幽霊が本当に奥さんを愛していたというのが救いというかほっこりポイントですよね。それがまた切なさを助長するんですけども。

本当に、なんでこれからって時に死んでしまうんだ。死亡フラグってやつなのかも知れないけどそんなのあんまりだよなあ。でも死んで、残された人にはまだ生きる先があって、生きなきゃいけないんですよね。死んだら、意識があるのか分からないけど、置いていかれちゃう。でも、残された人は先に行ってしまうけど決していなくなった人を捨てるわけでは無い、一緒に過ごした日の事はちゃんと存在しているんだって、最後の奥さんのメモにそういう事が書いてあればいいなあなんて思った。そんな意味が込められた、単純で短いありふれた文であれば良いなあ。楽しかった、とかそれだけでも。

 

以上です。私にしては感想でめっちゃ長文書いたな。別に映画評論ブログでもなんでもないんだけど。

それだけ考察の余地がある映画でした。

 

コミティア原稿中は作業BGMとしてニコ動で疾走感のあるケルト音楽を集めた動画とセラニポージのメドレーを交互に流していました。

サブカル好きは誰もが一度は通るというイメージのあるケルト音楽。初めて聴いたけどかっこいいなあ。普通にかっこいい。民族音楽には失礼ながら退屈そうな印象を持っていたけど実際聞いてみたらやっぱり違う。何もかも印象だけで食わず嫌いとかしてたら勿体ないな人生。あと民族衣装は布の素材感が良いよなあ。その辺も開拓していきたい。

セラニはめっちゃめちゃ好みすぎてもう絶対アマゾンでCD買う。

ルーマニア#203、ニュールーマニアというルーマニアシリーズのゲームの中に出てくる架空のアーティストなんだけど、完成度が高い。気合の入りようが。 歌詞がとにかく切ない&ちょっと不気味で超好きなのとポップな曲調にウィスパー系のボーカル(曲によって違うけど)で好き。個人的に好きな曲は128号の謎とGの世界と夜の喫茶店とラビットパニック、あと上のメドレーには入ってないけどまなもぉんとかもじもじとか。

ゲーム自体もすごいパッケージ詐欺なような、でもこのパッケージ以外考えられないような。プレイヤーが神視点になって普通の大学生ネジ君の行動を密やかにコントロールしながら彼の人生に介入しちゃうゲーム。ドリームキャスト用のゲームらしいがドリキャスがゲーム機だったという事を初めて知って衝撃だった。なんかアイドル育成ゲームの名前かなって思ってた。プレステにも移植されてるらしく、やってみたいんだけど大号泣間違いなしだしシナリオ分岐条件が結構探すの大変そう。プレステは…実家にあった気がするけど捨てられてしまっただろうか…。

来年あたり?にルーマニアの新作が出るらしいですが個人的にあまりツイッターとかで拡散されて有名にならないでほしい類のゲーム&アーティストですね…。好きな人が集まる秘境めいた作品でいて欲しい。

宝石の国とかもアニメ化であまり有名になってほしくなかったな…。そういうの無いですか?

 

原稿が終わったのでインプットを心がけてます。

今日は映画を一本見ました。「365日のシンプルライフ」。

ずっと気になってたまま放置していた映画の一つですね。フィンランドの映画。概要は失恋をきっかけに一人のミニマリストが家にある"モノ"を全部倉庫に預け、そこから毎日一つずつ選んで家に持ってくる、これを一年続ける、というもの。ドキュメンタリー映画でした。

この試みとても面白いなと思った。冒頭の全裸で真夜中の雪が積もる道路を爆走して倉庫に向かうシーンからもう面白かった。

だんだん物が増えて、布団をありがたがったり、一旦何も欲しくなくなったり、色々ハプニングとか起きたりして必要な物が増えてくる、ちょっと意地になったり、新しい恋をしたりと、主人公の心境の変化が見てて楽しかった。

それからセリフというか言葉が良かった。特にお婆ちゃんの。途中までフィクションだと思って見てたんですけど全然違和感無いくらい。ドキュメンタリーだから私の苦手な心臓バクバクするような展開も無く、主人公の周りの人達との交流がすごい穏やかで意外とほのぼのとした映画だった。

倉庫も超かわいいんだ。白い壁に緑のシャッター、銀のロック。赤いコンテナ。車もアンティークみたいでかわいかった。

最後の最後に新しい彼女さんの顔が見えるっていう粋な演出がにくかったね~。超かわいかった。

あと本当にモイモイって言うんだね。伝説かと思ってたわ。生(?)モイモイ聞けて良かった。

ドキュメンタリーにしては綺麗で、娯楽の映画として見たら少し決定打に欠ける、そんな映画。

なんだろう、映画ってもてなしみたいな心意気を感じるというか、人を楽しませようって気持ちが伝わってきたり、これを表現したいんだっていう監督の心意気を感じたりするものだけど、これは発表という感じがする。それは悪い意味じゃなくて、前者は「娯楽を享受する」、こちらは「作品を鑑賞する」って感じ。美大の講評で他の人が作品を発表するのを見ていた時と同じ感覚だ。一人の男の試みの結末を見届けたんだ。それを見てどう感じ何を考えるかは本当に私次第。これがドキュメンタリーか…。

綺麗なストーリーに見えるのは記録の切り貼りが丁寧だからかも。発表って言っても独りよがりじゃなくてちゃんと見る人の事は考えられてる。映画になってる。

私はそんなにモノをたくさん買ったりしないな。引っ越しを繰り返す内に物が減った。確かに生活するのに本当に必要な物ってダンボール3つ分くらいで充分なんだよね。残りの100個は生活を楽しむためのもの。モノがたくさんあるから幸せではない。モノに支配される必要なんかない。お婆ちゃんの言葉、「人生はモノでできてない」ね。

でも同じ机でもより自分に合う机を選んだり、好きなデザインを選んだりして自分のテリトリーに置くのも幸せの成分に含まれるよ。人生を彩ってくれるけどモノが幸せにしてくれるわけでは無い。って事かな。

一回見ただけじゃ考えがまとまらないや。良い作品だった。

来週は映画館に「A ghost story」を見に行きたいと思ってます。 たのしみ。

 

他にも不気味な小説とか漫画とか読みました。宮崎夏次系氏は何食ったらそんなに完璧な漫画が描けるんだ。

そうだ、絵の練習をしないといけないんだ。まずは夏次系氏の描く男女の手の描き分けが大好きなのでそこからやっていこう。

反省会

早速コミティアの反省会を実施したいと思います。

今回は結構反省点があります。主に設営ですね。

準備と言いながら予告ペーパーを作っただけで値札やPOPを作り忘れていました。しかも会場に文具をほぼ持ってきていない状況だったので新刊の中に入っていた緩衝材を引きちぎって値札にするっていう酷い有様でした。

設営難しいですね…。辺りを見回したら皆さん上手くかっこよく配置しててちょっと今度から設営頑張ろうと思いました。例のごとく引きちぎった緩衝材に次回以降の設営について走り書きしました。文房具のぼうの字が逞しそうですね。

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次はポスターも作りたいし、もっと値札をお洒落にしたい。それから既刊の続き物が巻数重なってそろそろ並べにくくなるのでその辺も考えないといけませんね。

というか忘れ物多すぎ。当日の朝にやればいいやと思ってましたが今日はメイクに一度失敗しやり直していたので時間のロスがあって慌ただしく家を出たのでした。

 

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新刊の出来ですが、まず装丁は予想よりも紙が白いしグレーインクが濃かった。もっとコントラストが低くなると思っていました。表紙の紙はシャインフェイスゴールドという、光の当たり具合によって淡い金色に見えるパール系の紙なんですがこの紙めっちゃ綺麗ですね。ついつい眺めてしまう。この紙が硬めのせいか、はたまた本が薄いからなのか背表紙のよれ?しわ?がちょっと気になります。既刊と並べると今回の新刊の薄さが際立ちますね。

いやしかし触り心地も良い綺麗な紙だ…。もっと繊細な線で、もう少し余白のある絵だったら映えるかな?ちょっと今回の表紙目が泳いでしまう絵になってしまったな。

タイトルのフォントいいの見つけられなかったんですよね…。予告ペーパーのフォントが良かったかも。でも読みにくくなるかな?うーん、まだまだ試行錯誤が足りないみたい。

中身は、元々読み切りになるように考えたお話を〆切の都合上3つに分ける事にしたので終わりまで描かないとなんとも言えませんね…。

実は今回のお話は私が見た夢から生まれたお話です。覚えてる夢を出来るだけノートに書き留めてます。

去年の9月28日に見た夢。商店の店先で少女戦隊の一人(夢ではオレンジレッドという死ぬほど微妙な色だった)とその敵がお互いの境遇について駄弁っていた夢です。

もうそのままこのシーンを描いたと思います。上巻では擬態してたのでまだお互いの正体知らない状態でしたが、中巻にてあの商店の喫煙スペースで二人が交流を深めていくことになります。

レディ達がシアンマゼンタイエロー、悪がキープレートでCMYKなので最初ゴーストたんは塗り潰すホワイト、でも夢の通りなんか微妙な灰色っぽい白にしてやろうと思って色図鑑見てたら「ゲインズボロ(#dcdcdc)」や「ゴーストホワイト(#f8f8ff)」なる色を見つけて、どちらか迷った末色々名前に意味を込められそうなゴーストにしたんですね。このゴーストホワイトはちょっと青みがかった白です。ゲインズボロは町の名前として採用しましたが町の名前を本編に入れる場面が無かったです。

ホワイトまで名前に入れるかは悩みましたが結局語呂的に入れませんでしたね。もう色でもなんでもなくただの幽霊ちゃんになってしまいました。

そもそもなんで色の名前にしたのか…pリキュアのイメージだからっていう安易な理由でしたがそうしたら完璧に正義と悪で白と黒の名前にすれば良かったかな。例えばフェアスノー、フェアアイボリー、フェアアズールとか。そっちの方が良かったかも…。ああでも、3人のフェアレディは正義濃度が7割、悪濃度3割の構成でできてるから完璧な白ではないんですよね。だから色付きって事でいいか。

お話はこれからが本番ですね。中巻頑張るぞ。

 

次は5月頃に中巻と、ギャ運3話目を出せるようにしたいと思っています。2月は休む。

絵を描く練習しなければ。

 

本当にイベント楽しかったです。ありがとうございました。

なんか若い人たちと話すのが久し振りすぎて若返りました。

なんというかちゃんと作品見てくれる人がいるのを感じる事ができるのはかなり心の支えになるんですよね。もう全然安心感が違うんですよ。

そんな人たちに私は「ありがとう」しか言えないのがもどかしくて仕方がない。

なのでより良い作品が作れるように頑張る事で、良い作品を作る事でどうにか感謝を示したい。よなあ。

ああー漫画が描きたい気分になった。

今日はお疲れ様でした。本当にありがとうございました。

明日から何しよう。

イベント前というか原稿が終わるとなんだかどこにも足を着いていないような気持ちになります。原稿やってる時って使命与えられたみたいに日々の目標ができてそれに向かって走っていけばとりあえず正当性を得ることができるから、その期間だけ私は世界の住人になれるんだな。

今はやりたい事と優先してやる事の選別に悩んでいます。

原稿終わってからイベントまでの期間は落ち着かなくて苦手だな。早く新刊に会いたいぜ。

 

自分の事が好きだと言える人がいて、私はその人の事好きなんだけど、自分の事を考えてみたら自分は自分の事が嫌い過ぎて自分をなんとか好きになる為に憧れの他人になりたくて真似をしたり言葉を借りたりするんですが、真似をしている時の自分の中に自己が存在していない、つまり私は自分って言うのを持っていないんじゃないかって思うんですね。「自分」ってワード出てきすぎや。自分を持っていないってモノづくりしたいならそれ致命的な欠陥じゃないかと思いまた絶望したりするんですね。

でもそうやって憧れの他人を模倣しながら日々過ごしてていざ完璧で理想的な超好きな人を見つけたらいよいよ私に価値が無いからその人の事恨んじゃうだろうなあ。結局愛しているのは自分の無い自分の事で、他人の事を自分のパーツ候補としか見てないのかも。自分が嫌いとか言いながら他人をパーツと見なすほどに自己愛が強いんじゃ、幽霊はどっちだろ。

他人になったこと無いから皆が確固たる自分を持ってるのか、どんな感覚でいるのか想像もできないけど皆どうやって生きてるんだろう。見ない振りとかたくさんしてるのかな。

もう、全部に嫌われてもいいか。

取り繕って普通の変哲の無い生活に溶けてゴミになるより全部に嫌われるくらい醜い自己愛とその吐瀉物に塗れて生きていた方が素敵だな。

でも傍若無人とは違う。人を傷付ける事は取り返しのつかない事だから、そこは気を付けないとね。

先ほどやっとコミティアの新刊の原稿を入稿しました。

心なしか頭が痛いです。入金して帰って来た途端襲ってきた眠気に船を漕ぎながらブログを更新しております。お祝いに買ったじゃがりこを噛む振動が脳に響きます。

まだ印刷所からの連絡待ちですが、ひとまず完成させることができてほっとしております。

完成とは言っても、コミティアに出すような漫画って人に買って読んでもらうまではその物語は始まらないんですよね。私の頭の中では既に結末を迎えているのに、なんならスピンオフも考えているのに。始まってないから本当の意味で完成していないんだなとぼんやり思いました。というか普通にサイトやツイッターとかで載せるような漫画だって、読んでない人にとっては始まってない物語な訳で、物語の完成って実は果てしなく幸運で遠い存在なのかもしれないですよね。いくら自分が最後まで描き切っても物語の完成を作者側が実感する事ってできないのかも。

人に見てもらう事前提なんだよなあ。作品とは。

人と関わり合う事が苦手です。難しいです。ヴァーチャルな存在になりたいと心から願ってます。イベントとかでも生身の肉体じゃなくてアバターが行ってくれればいい。ドットうさぎちゃんがね。そうしていつか私が人間だっていう事を皆忘れてしまえばいいのに。

あと一週間程度でイベント当日となりますが、ああ、また人とのコミュニケーションで後悔する羽目になりそうだ。最近本当に人間性を失っているから、気を付けないと。

 

コミティアの準備はまだ終わっていません。新刊が上中下の三巻構成になっているので、中巻の次回予告ペーパーも作って挟み込みたい。あとお品書き…お品書き作るのめっちゃ面倒臭いな。

 

原稿でずっと机に向かいっぱなしだったのでほぼ運動をしていなくて更にホットカフェオレやホットココアにマシュマロを浮かべる季節になったのでちょっと肉体が増量した気がします。うっやっぱりじゃがりこ食べるんじゃなかったや。

コミティアの原稿しながらなんで私こんな普通の漫画描いてんだろうなって思いました。

分かりやすさは転じて人に好かれやすい物かも知れないけど、なんかすごい普通の漫画描いてる自分が嫌いだな…。死の淵に憧れながら醜く生きたいと思ってた時に描いたクソ漫画の方が自分は描きたい。気がする。でも普通の漫画も描いてて楽しいんだ。キャラクターを動かすの好きだし。

編集者さんは私に普通の漫画を描けとは言わなかった。ただサブカル系はやっていくのが辛いとだけ。このままでやっていくならもっともっと魅力的でないと。自分の武器を研げ、そう解釈した訳ですが、なんか早速自分の個性を潰しにかかるような事をしてて本当に自分は要領が悪いなと…。うう、成長の仕方が分からない。

とにかくコミティアに間に合わせる為今は人間性を捨てて原稿に取り組んでいる。

私の武器ってなんだろうな。自分の好きな物いくつ挙げられるだろう。

もっと色んな知識と経験が欲しい。

天才と言われる人は実はかなり勉強したりして物知りだからね。

まだまだ足りない。悔しい。もっともっとうまくなりたい。そしていつか物作りの世界に籍を置きたい。