Hyper Carronade

灰色のはい

人生が無条件で楽しく感じられて、ものを考える時間が減りました。風邪薬や鎮痛薬に何か快楽物質みたいなのが入っているんじゃないか?こんな根拠もなく湧く生きるの楽しいって気分は絶対おかしい。まああれだけよく分からない成分入ってたら精神向上の作用があってもおかしくないのかな。

それはさておき何も考えられないという事はつまりいつも不満から自分の言葉が出てきているって事なのかも知れない。

いけない。と思いつつ幸福感が高ければ高いほどそれ以外を欲する必要もなくなるのだから何も考えなくなるのも自然な事なのかな。だったら私不幸の方がいいのかもね。

作品作ってる人って何の為にそれをしているんだろう。幸福じゃない寂しい部分を埋める為?

私は過去に正当性を付ける為、自分の存在に価値を付与する為、単に描きたい作りたいと封印されし右手が疼く為。好奇心。自分の頭の中のイメージを自分の手で具現化できる能力があるのに何も作らない選択肢ある?

そういえばさっきツイッターで回ってきた新聞記事(お前の世界どんだけツイッターに汚染されてんだ)に、芸術は自己実現ではなく輝くのは外の世界の物だという文言があって、すっげえ自分を否定された気分になった。世間的に見れば正しくて良いお話なのかも知れないけど私はこれに同意できない。

芸術の世界はエゴがぶつかる醜い争いの世界では無い、日常を大切にできない人は芸術家にはなれない、と言う。「日常」はこの筆者の言う所によると家族とか生活、ひいては仁義みたいな物だと思うんだけど、ちょっと綺麗ごとが過ぎるのではと感じた。

そもそも何を芸術と線引きするのか?価値?綺麗さ?それを決めるのは結局個人個人のジャッジによるものだと思う。本人がこれは芸術だと言えばそれは芸術になるのでは。また、他人がこれは芸術だと感じればそれも芸術になり得るのでは。誰が決めるって一人一人が一個ずつの答えを持つもので、全部正解なんだ。筆者の中では日常や家族を捨てて作品作り(又はそれによる利益の獲得)を選んだ人間を良しとせず生活と芸術の両立ができるのが本来の芸術家だと言うが、勿論これも正解。そしてその日常や家族を捨てて作品を作っている人間の選択も本人が良いと思うならまた正解。

だから自己実現だって芸術になる。勿論人の為の作品もあって良い、デザインの領分な気がするけど。

人間の醜悪なエゴは無視できない。地位名誉、金、承認欲求。これらを悪い物として扱うのもどうかな。それに救いや未来を希んで心の拠り所にしても良いんじゃないか。

意地汚い人間の作品を芸術じゃない、良くても短命、と言っているのだろうがそれはあくまであなただけのジャッジに過ぎないのでは?そもそも芸術という角度から日常、家族に言及するのは複雑だから断定形で意見するのは危険ではないか。もし筆者が芸術の世界を皆の思うような醜い競争では無いと言いたいだけなのであれば日常とか家族の事出さなくても良くない?とも思った。生活との両立は難しい上に運が作用する部分もあるのにオールクリアが条件、できない人間の作品を否定なんて潔癖すぎてシンプルに嫌い。環境を整える為の取捨選択のどこが悪いのか私には分からない。綺麗であれ、正しく在れ、謙虚であれ、芸術家はそういう物だ。いや、違う!絶対違う!

私個人はそう思う。

新聞記事書いた人、評論家なのかな?芸術家なのかな?分からないけど、とにかくこれもこの人の個人の意見である事には変わりないから、さも全世界に共通する正論ですみたいに断定的に言い切るのやめてほしいや。私みたいに「だと思う」を多用してほしい。

ああでも、創作活動に対する誠実さだけは潔癖であって欲しいなあとは思う。

創作活動に誠実に向き合った上で家族や生活が邪魔になったのなら排除する選択肢を選ぶのも有りだと思う。思いたい。許されたい。

うーん、例の記事を勧善懲悪的な解釈で読んだけど読解力に自信が無いから、勘違いしていたらごめんなさいね。

ただ、私は自分が救われる為に大した事もない作品を作って生きているから、芸術家と言う肩書に憧れこそすれ欲しいとは思っていないから良いんだけどそういう私のような人間もいるから、否定だけはしないで。そっとして。ただでさえそういう人間は生き辛いんだから。通常良しとされない地位名誉財産承認欲求に縋って生きていく生き方を許して。

 

これでも今人生楽しいです。多分鎮痛薬たちのせいで。

風邪が治らんです。

それどころかここ2日本当に鼻水が酷くて、立ってるだけで重力に従って垂れてくるので生活(主にバイト)に支障が出てます。寝るにも苦しくて眠れないし、ティッシュが湯水のように無くなる。ついでに歯が痛い。

こんな量の鼻水一体身体のどこから来るんでしょうかね。

そもそも鼻水って何なんだ?ってちょっと調べたら一日6ℓも作られるそうで。6ℓ。

教室で箱ティッシュ常備の生徒がクラスに一人はいたけど、大変だったろうなあと今更同情なんかしてみたりします。

原因はクーラーとバイト先のショーケースの冷房による冷えかなあ。外と中で寒暖差すごいし体調崩してもおかしくないよね。体調管理難しい。

9月になったけどしばらくまだ暑いっぽいし、夏は概念だけ残して消えてしまえばいいのにと毎日思っています。

 

まだスーパーのバイト辞めてません。心理戦に負け続けて結局半年続けてしまいました。早く辞めて書籍の側に行きたい。もう掛け持ちで始めてしまった方が良いかもしれないけど時間…疲労……。もう少し体調が回復してから。

でも少なくとも11月のコミティアまでは続けたいと思ってます。イベント付近であんまり生活がごたごたするのもよろしくないし。

 

最近はそんなところですね。

今年も同級生が次々誕生日を迎えていって、どんどんアラサーと呼ばれる領域に近づいていくのを感じます。

私はアラサー女って概念、結構好きなので、かっこいいアラサー女になる為に頑張りたいと思います。

でも社会的な側面での私の持ってる現状唯一の免罪符が若さなので、年取るごとに許されざる存在になっていくのがちょっとネックです。

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昨日東京都美術館に行って来ました。

藤田嗣治展とおべんとう展の二つに行きました。

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いや~、藤田展すっごい良かったですよ!ちょっと冷房寒かったけど

没後半世紀という事で今までで一番大きな規模の回顧展だそうで、作品の量が圧巻、多くて見応えあった。一人の画家のちょっと大きめな展覧会って影響を受けた画家とか同じ派閥の芸術家の作品も一緒に置いてる事が多いけど、今回の藤田さんの展覧会は藤田オンリー。集めた主催の方もすごいけどこの量を描いた藤田さんももちろんすごい。約60年間の彼の芸術。時系列に歴史を追うように展示されてたので、なんかすごい、絵画の推移だけじゃなくてもう一人の人生を経験したような、充足感。

藤田さんは私が大学の時20世紀美術論という授業で半期かけて学んだ芸術家で、多分私にとって一番よく知っている芸術家なんじゃないかな。彼の作品はどっかの美術館で常設展示だったと思うんですけど『アッツ島玉砕』とか戦争画は見た事あったのですが、有名な乳白色の下地を活かした絵は一枚も見た事無かったので、今日初めて見てやっぱりスライドで見るより実物はずっとなめらかで独特で綺麗だと思いました。見れて良かった。こういうのは次いつになるか分からないもんね。

藤田さんの人生を垣間見たような~と言いましたがキャプションには細かい事は書いていませんでした。多分。

彼がフランスに行ったのは当時の日本美術の技法だけ見様見真似の西洋画に反感を持ったからと授業で習ったような気がするし、もっと生まれた国である日本とうまくいかなかったイメージがあったのですが、今回の展覧会はあくまで彼の関心とそれに伴う技法(主に乳白色の下地)の推移とその当時起こった事を主軸にキャプションは付けられていたみたいです。

…まさか授業が間違っていたとか無いよな?

自分が授業で習った彼の人生よりもこの展覧会から読み取れる彼の人生の方が順風満帆でちょっと戸惑いました。

乳白色の下地の絵肌で裸婦の透き通った肌を表現し、細い黒の線で日本画のように輪郭をとるといったような画風が有名な画家ですが、その前の現在の芸大にいた頃の絵とか、キュビズムとか友人だったモディリアーニに影響されてる絵とか、中南米へ旅をした時の乳白色とは正反対のどぎついべったりとした絵とか、ポスターとか、茶色を基調とした気迫を感じる戦争記録画とか、かなり色んな表現に挑戦した画家さんだったんだなと思いました。更に額縁も手作りしたり、食器とかも作ったり、理想の協会の模型を作ったり…。こんなにアクティブだったとは知らなかった。

裸婦の絵も神秘的で哀愁あって好きですが自画像も好きです。というか外見がキャラクター立ちすぎて好みです。もうおかっぱにちょび髭に丸眼鏡に金のピアスとかね、しかも猫とセットとか、人形愛好家とか、そんなんずるいやんどんだけ属性盛るんだっていう。

そういえば大学の同級生に藤田ってあだ名の、藤田嗣治にぱっと見似ているおかっぱ眼鏡の人がいたな。

自分が完全にセンター分けだからか、おかっぱとか前髪ぱっつん憧れているし好きなんですよね。

乳白色の下地が確立された最初期の絵は画面全体がぼやけて淡めの物が多くて、自分の視力ではギリギリ近くまで近寄らないとよく見えなかったですが、第二次世界大戦より後の作品は線がかっちりとして黒と白のコントラストが強くなって見やすくなったというか、まとまりが出た絵になっていました。ともすると風景画なんかアニメの背景にも見えてくるような気がしてきます。最初期の方が画面に西洋を観察した目とミステリアスさが出ていたけど、晩年のカチっとわかりやすくなった集大成のような絵も好き。選べない。どちらも好きだ。

授業では乳白色の下地を作り上げるのに色々な研究をしていたと習いました。不思議な陶器の表面のような平らで滑らかな絵肌。絵はやっぱり本物を間近で見た方が良いと改めて実感いたしました。

 ふと見てて思ったのが裸婦を描いているけど彼の絵に肉は感じないんですよね。肉の影や骨の浮き出てる影とか丁寧に観察して描いてるけど、人間の女の肉という感じではない。色か線で輪郭を取っているせいかもしれないけど、顔とかも、どちらかというと陶器とか人形っぽい。本当に浮世絵と西洋の油絵との中間のような独特な絵。

絵を全部見終わった後で彼について、すごい愛情深い人だったんじゃないかと感じました。 過ぎ去った過去の物とか失われる手作りのぬくもりとか、そういう物を大事にする人で、ものに対する愛情のこもった眼差しを感じたというか。うまく言えないけど愛を感じたのでした。

キャプションにもあったけど、過去を拾い集める画家さんだったんだなと。フランス滞在から旅を繰り返して元いた日本に戻ってきたらかなりガラッと変わっていて驚いただろうな。しかも戦犯責任問題で色々あったらしいし。そして晩年フランスに戻るとフランスもまた変わっていただろう。藤田さんが高く評価されていた頃とは違って戦争もあったし。

会場もかなり混雑していたのを見ると、彼は愛情深くもあり生前も後世でも愛される人だったのではとなんとなく感じました。 

お土産はフリーペーパーの号外新聞といつものマグネットと藤田と猫アクリルキーホルダー。

草間彌生さんの展覧会でもあったけどこういう似顔絵系というか、展覧会とイラストレーターのコラボ商品はあまり好んで買わないのですが、なんか展覧会を見終わって愛を感じてじんわりしていた自分の心に沁みる絵柄だったのでつい買ってしまいました。

 猫がいつものキジトラっぽい柄じゃないのがちょっと残念ですが、味があってかわいいので作業机に飾ってご神体として私を見守ってもらおうと思います。

ああ、もう一回行きたい展示だな。十月半ばまでだった気がする。余裕があればもう一度行きたいです。

 

次におべんとう展を観ました。

本当はこっちがメインでついでに今藤田さんの展覧会やってるから先にそっち寄ろう程度に思っていたのですが、メインが逆転しました。まあ規模からして当たり前だね…。

まずはお弁当箱の種類から展示が始まったのですが、私の知らない形のお弁当箱がたくさんあって、驚きました。よくあるプラスチック製のお弁当箱か三段弁当くらいしか知らなかったので感動しました。おかずとかお米だけじゃなくて水が入った筒までが一緒くたに持ち運び可能な形になっているやつとか、小さいひし形で五段くらいのお弁当箱とか、でかい持ち運び用のケースに半円型のケースが何個も組み合わさって入っているやつとか。あのでかいのは学校とかで使うのかな。違うけどなんとなく忍たまを思い出した。大勢の食べ盛りな男の子の為の物のように思えた。

あとは他の東洋の国のお弁当箱も展示されていました。他の国の食生活の知識が無いから、いったいこれに何をどういった形で入れるんだ…というような形もあって楽しかった。実際に触れるコーナーもあったので、おままごとみたいに取り出したり片づけたり蓋を開けたりしました。

所々にお弁当に纏わる良い話みたいな展示もありました。お弁当ってあまりマイナスな話を聞きませんよね。いつも温かい話ばかり。大体親が子供に、奥さんが夫に(逆も然り)持たせたり、運動会や花見のような集まりの時に持って行ったり、思いやりで生まれた物だから、マイナスな話と言えば食べ残しを放置し過ぎて酸っぱい匂いがしたくらいしか無いんじゃないかな。

次の展示がお弁当の精に話を聞きながらインスタレーションの中を巡るという体験型の展示。

インスタレーションは5~6個のブースに分かれていてそれぞれにお弁当箱の精の声を受付で渡されるプレイヤーをかざすことで聴けるという物。ブースはそれぞれお弁当箱の精の話のテーマに合わせて装飾されていました。

正直散々藤田さんの展示で歩き回って腰に爆弾を抱えていた身としては一つ一つの精霊の話が長くて疲れてしまいました。すごいアイデアは良いし、子供は喜ぶだろうな(実際子供があちこち走り回っていた)と思うんですけど、もっと椅子用意するか短くするかしてほしかったな。

精霊の話は結構解説風で、お弁当に使われる水はこんなにあるんですよ~とか、稲一本からとれるお米の量は100粒、二口分しか無いんですよ~みたいな感じです。お弁当の抱える問題とかにも言及していましたね。それを解決できるとされる期待の新技術の紹介もあったけど、それが本当にある事なのか精霊ギャグなのかちょっとわかりかねた。お弁当の精という、入り口がわくわくする展示なのに、全部真面目な話でした。もっと精霊ギャグかましてくれても良かったのにな~と思いました。

最後にプレイヤーを返すときに精霊からお礼としてポストカードを頂きました。上の写真にもあります。かわいい。こういう真面目な話を誰かに聞いてほしくて展覧会開いたんだなと思うととてもかわいいですね。紙もマーメイドっぽい紙で良い。

次の展示はお裾分け横丁。お裾分けで出来た横丁とお裾分け受付兼ワークショップ用のスペース、お裾分け用の箱のレンタル。これは鑑賞者も協力して作る型の展示でした。

お裾分け横丁の物の量はすごかったですよ。本当にこれ全部お裾分けなんだなと思うとすごい。

あいにく自分の家にお裾分けできるような物は無いしまたここに来なければならないと考えるとちょっと億劫だなと思いお裾分け横丁の展示を本当の意味で楽しむことはできませんでした。お裾分けに必要な思いやりの気持ちに欠如している。

最後に娘とお父さんが小さい息子にお弁当を作る日記。これは面白かった。娘さんが計画書みたいなものを作ってそれをお父さんがお弁当で再現する、二人三脚のお弁当。

娘さんのインスピレーションがとてもいい。自分が読んだ本やテレビ番組、経験から得たアイデアをもうそのままお弁当に反映させていて子供らしい。でも娘さんのマイブームが地球の起こりについて書かれた本らしいので、肝心のお題が地層とか火山活動とかバオバブの木とか拡大した砂粒とかマニアックで渋い。唐突にピカイアとか出てきたときは思わず笑ってしまった。それは弟さん分からないだろう。

出来上がったお弁当もうまく再現していて素晴らしかった。拡大した砂粒をおにぎりの集まりで表現していたのはすごいうまいと思った。地層シリーズも見た目が綺麗。

 

お弁当には特に思い出が無いんですよね。

幼稚園の時は給食とお弁当が交互に出てたと思うんですけど、給食のカレーが大好きで楽しみだったのでそれしか記憶が残っていないんです。小学校の時は運動会の時に食べる梅干しのおにぎりと、磯部揚げっていうんでしたっけ?細長い唐揚げに海苔巻いてあるやつ。あれが大好きでした。梅干しのおにぎりそういえばめっちゃ好きだった。渋いねえなんて言われたような、そうでもないような。

あとは中学生まで毎年長期休暇の時は従兄弟と祖父母の家に泊まっていたのですが、夏休みの時には昭和記念公園のプールに遊びに行ってました。その時に早朝から祖母と叔母が弁当を作っていたのですが、祖母の作る塩おにぎりが絶妙な塩加減でしかもきれいな三角形で他に具も入っていないのに美味しくて、ばーばの塩おにぎりなんて言って、毎年プール自体よりもそれが楽しみでした。

高校生になると給食が無くなって購買か弁当だったのですが、その頃お小遣いが無くお年玉を崩しながら定期もある程度自分で購入しながら通っていたのでお金が無くてひもじくてちょっとしたジュースすら買えなかったので、購買なんて数回しか使った事なかった。弁当最初の方はまだ拒食症完全に治っていなかったのでサラダだけ作ってたけど朝起きて作るのが面倒くさくて、昼ご飯食べなくなりました。お腹すき過ぎると一周回って空腹を感じなくなるのでなんとか部活終わりまで耐える事は出来てましたね。良い子は真似してはいけません。

廃棄になったコンビニ弁当や廃棄のおにぎりにはお世話になった。大学生の貧乏暮らしで命をこれで繋いでいたので。

あれ?結構お弁当に思い出あるんじゃないか…?お弁当って言うかおにぎりおいしいしか言ってないが。

今でも小腹がすいたらコンビニやスーパーでおにぎり買って食べるし、おにぎりってすごい身近なんだなと再確認しました。

 

展覧会と交通費で財布が空になりました。危うく帰れなくなる所でした。いかんいかん。

そろそろ今のバイト辞めて書籍に近い所で働き始めたいなあ。

本と映画とアニメを見ました。

本は『営繕かるかや怪異譚』、映画は『ひそひそ星』、アニメは『カウボーイビバップ』です。ビバップは劇場版も観ました。

 

まず『営繕かるかや怪異譚』はその名前の通り怪談の小説でした。

何気に怪談小説は初めて読んだかもしれないです。以前に『一行怪談』は読んだのですがあれはなんというか趣が違う物のような気がして私の中では怪談の分類には入れていないです。

コミティアのスペースにいる際の暇つぶしに読んだのですが、人が周りにたくさんいる状況で読んだにも関わらず結構な怖さを感じました。

オムニバス形式だったのですが、どれも湿り気のある日本らしいホラーというか、水に関する話が多かったです。でも水場にホラーってよく聞くのですがただ形骸的にイコールで結ばれてるものだと思っていたから(私があまりホラー作品に造詣が深くないからかもしれませんが)今回初めて水と怪異が結ばれている作品を見て一層怖くなったというか、なんというか。とりあえず水の描写で恐怖心が掻き立てられました。

印象に残っているのが井戸の話の中で海について尾端が話していたこと。海では色んなことが起こる。人が溺れたり、船が沈んだり。海底には無数の死が沈殿している。

よく考えれば当たり前だしニュースで水難事故の事を聞く機会もある。

目に見えない物が井戸を通ってこちらにやってくることもある。

海は生と死の濃いスープや~と思った。

『ブループラネット』観たから海は生命が生まれる場所というイメージばかりが先行していたけど、そういえば死ぬこともある。というか食物連鎖の嵐だったね。生が生まれるなら死もあるよねそりゃ。ブループラネットの深海の回ではクジラの死体が沈殿して、その死骸にヌタウナギが群がって腐肉を喰らっている場面があった。グロテスクだった。海では誰かの死が誰かの生に繋がるとこの番組では散々やっていた。

話が逸れたけど、水は私たちが生きるのに不可欠で身近で頼りになる存在であると同時に時に私たちの命を奪う物でもあって、人間にとって水は身近でありながら畏怖する特別な存在だ。生きる為の執念と死んだ怨念、そのどっちもが溶け込んでしまうのかも知れない。そして執念や怨念が水の気配を纏って元いた世界に現れてしまうのかも知れない。それが水場に幽霊が出るなんて言い伝えになるのかな。

そしてこの小説の良いなと思う所が、不思議な力で怪異を破ァーーッ!人間界の平和を取り戻した!やったね完!でも無いし、怪異に親しい人間すべてを取り殺されていくパニックホラーでも無い。ただ怪異達のいる世界と人間のいる世界が交わって衝突してしまっていたのを是正し、共存とは違うけどお互いの居るべき位置に戻して、やがて人間はその怪異の事を見ないふりできるようにしている所。

しかも霊能者でもなんでもない大工さんが。本当に除霊みたいなオカルティックな事しないで、埋め立てたりリフォームしたり塀を作るというだけで怪異と人間の接触を避けさせるんです。すごいそれが良かった。

この『営繕かるかや怪異譚』は怪談誌で連載しているらしいので、続編が出たら是非買いたいです。

そういえばこの作者さん『残穢』を書いた方なんですね。私はまだ読んでないんですがめっちゃ怖いと評判の小説らしいです。正直ホラー耐性はそんなに高くないので食指は動かないのですが…機会があれば。

 

次は『ひそひそ星』という映画。

その名前の通りひそひそしていました。モノローグから会話から何まで、潜めた声で喋っていました。30㏈以上の音を出すと人間は死んでしまうから。本当に静かな、物音のしない静かな夜に観たい映画でした。

舞台は人間が絶滅しそうな未来。住むほとんどが人型人工知能ロボットの世界。主人公もアンドロイド。主人公鈴木洋子は宅配の仕事をしていて、レトロフューチャーな見た目の宇宙船に乗って人間が人間に宛てた荷物を星々を経て運ぶ大筋の映画。もうこの時点で好きすぎるんですよね。


映画『ひそひそ星』予告編

 

予告編見たら大体わかるかと思います。私に語れることはあまりありません。

とにかくセリフが好き。ひそひそしてるから美しい詩みたいに聞こえる。

予告編内にあるセリフだと、最初のきかい君のセリフで、鈴木洋子は量産型のアンドロイドなのに、「鈴木洋子ひとつ」って言ってる所とか、「距離と時間に対する憧れは人間の最後のプライドかもしれない」とか。

音と情景がほとんどで、それでも物語が分かる作品すごく憧れるんですよね。台詞で説明し過ぎない。寧ろ足りないくらい無いけど、そこに観る人に解釈の余裕とか秘められた雰囲気の余韻とかを残す。思い返すと結構シンプルな映画だったな。余計な物が無いと思った。そういう作品が私も作りたい。本当に見て良かった映画だ…。

 

最後に『カウボーイビバップ』。実は見た事無かったんですよ。だって宇宙が舞台だって知らなかったものだから。早く言ってよ!もっと早く見たかった!

思ったよりSFだったなあ。なんか路地裏でチンピラが銃バンバンするアニメだと思っていたから、まああながち間違いでは無かったけど船とか星とか出てきて嬉しかった。

すごいシリアスとギャグのジェットコースターで一気に全話通して見てしまった。皮肉たっぷりの台詞もかっこいいね~。フェイかわいい。林原めぐみさんは最高だ。

なんというかああいうビバップの船員たちみたいな関係良いよな。家族未満な所。自由にやって最終的に帰って来る場所。

だからこそスパイクには新しい未来を見て生きてほしかったな…。爺さん婆さんになるまでドンパチしてて欲しかった。でも過去に死んだ男の結末は過去に抱かれて夢から醒めるしかないのかな。フェイは過去に帰る場所が無かったからあそこに未来を見たのに、スパイクは最後まで過去の続きしかしていなかったんだな。

そういえば具体的に過去に何があったのかは詳細には語られませんでしたね。断片的な回想をこちら側で繋げてなんとなく想像するしかなかった。ビシャスが何したのか正直よく分かっていない。とにかく裏切った事しか分からない。私が見逃しただけなのかも知れないけど。ジェットとスパイクの出会いにしてもそうだけど。なんであの二人で賞金稼ぎなんかしようと思ったんだろう。気になる~。

あの後フェイとジェットはどうするんだろうか。ひょっこりスパイク戻ってこないかなと一抹の希望を抱いたけどあの描写だともう無理だろうなあ…。一人の男の物語としてはあそこで終わりなのが一番きれいなのかもしれない。今後を語られることは無いのかも知れない。

漫画版も出ているみたいなので見てみたい。アニメとは違うエピソードがあるみたいだしちょっとレビュー見たら完成度が高いらしいので楽しみ。

しかし、過去、つまり記憶に関する題材って多いよな。過去の清算、決着。失われた物の奪還。人間の成長には不可欠な素材だもんなあ。

私の好きなアニメや映画も記憶がテーマの作品が多い。

アニメの『カイバ』とか『輪るピングドラム』とか『BIG-O』、映画の『MEMENTO』とか好きなんですけどまさにこれらは記憶のお話。

コミティアで出した漫画も宇宙で記憶のお話なのでビバップは観れて良かったというか本当に描く前に観たかった。危うくただの劣化版になるところだった。

 

もっとたくさんインプットしてたくさん感動して経験値を貯めないといけないと思う。

良い作品が作りたいからもっと頑張らなきゃ。

邦画が苦手で全然観れてないので意識して観なきゃな…。邦画、なんというか、主人公が責め立てられるシーンが多いような気がして、共感性羞恥が働いて見てられないんですよね…。自分はどうやら主人公が害されたり恥をかいたり責められるシーンがすんごい苦手らしい。前述の怪談小説でも主人公が腫れ物扱いされるシーンがあって苦痛だった。文字でこうなら映像にされるともっと苦痛だ。戦いでやられる~とかは平気なんだけどね。

コミティア反省会

コミティアお疲れさまでした。


現在20日の午前4時です。変な時間に起きてしまいました。
まだ眠いですが反省会を催したいと思います。

 

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まずは新刊の出来ですが、やはり表紙の紙、ヴァンヌーボという紙なんですけど良いですね、このサラサラ感…。今回出した新刊が思ったより厚みがあって、より紙を感じるというか、心なしか一巻よりもきれいに見えます。

ただやっぱりSAIを使っている故RGBの原稿からCMYKに変換して印刷されるので色が暗くなってしまいますね。暗い色がとことん暗くなるので、もう少し明るめにした方が良さそうです。…これでも一話目と比べると白色はかなりきれいになった方ですね。

遊び紙はこのシリーズでは、舞台となる惑星や小惑星や衛星の表面ぽいのを選んでいく予定で、今回は月なので象牙色の紙を入れましたが効果があるのか甚だ疑問であります。やっぱり全巻通して宇宙っぽい黒のミランダとか新星物語で統一した方が良かったかもしれない…。

印刷はプリントオンさんにお願いしているのですが、この印刷会社さんはかなりオプションが豊富で、サイト見ているだけでとても楽しくなります。ついつい色んな遊び紙を使いたくなってしまいます。プリントオンさんの装丁総選挙がめちゃくちゃ面白いので装丁に凝りたい人とか好きな人は是非ご覧になってみてください。ここまで融通が利くんですね…。

http://www.print-on.jp/doujin/sousenkyo/dai2kai/index.htm

 

話を戻しますが、印刷はこちら側の調整次第といった感じで、作画も表紙中身共々今ある限りの力がこれなので、まあ単純に絵を描く練習を怠らないようにしようという事と1ページに10コマも詰め込まないという事を次回から気を付けていきたいと思います。

そういえばセリフの文字は少し見やすくなったかなと思います。一巻が酷かったので、字間と行間を詰め文字自体を大きめにしてなんとか吹き出しに収めてみました。

 

次に反応ですが、スペースで見た限り題材が題材な為か男性の方がサンプルを手に取る方が多かったように思います。でも中身はあまりSF!宇宙!機械!って感じでは無い上に女が描いた漫画感が拭えないのでなんだか申し訳なくなってしまいました。ご期待に沿えず…。だからSFスペースは希望しないんですけど、青年漫画のくくりでも良いのかはちょっと分かりかねます。ファンタジーとも少し違うし、うーん。

宇宙が好きで、描きたい物が寂しい優しい感じのお話で、この両者がうまい事立って作品に落とし込むことが出来れば私の漫画にも居場所ができるのかもしれない。

ちゃんとどんな雰囲気か分かるようなポスターを作って掲げておけば、同士が集まりやすくなるだろうか。宇宙好き、ゆったりシリアスが好きな人は私だけではないはず。

開場から一時間は誰も来ず暇でカラーパズルというアプリや持ってきた小説で延々暇つぶしをして、今回あんまり捌けないのかな~と思っていたらポツポツといらっしゃって、結果的に今までで一番冊数捌けたようです。一巻と二巻を一緒に買ってくださる方が多くてそうなったようです。今回最後の頒布だった既刊も完売こそしなかったけど数冊お嫁に行って本当に良かったです。

買って下さる方、恐らくはツイッターのフォロワーさんでしょうか、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この御恩というか、ありがとうの気持ちを少しでも伝える為にも、漫画もっとうまくなろう、読後に良かったと思ってもらえるような漫画を描けるようになろうと思いました。

 

今後の事ですが、秋のティアに短編集を出したいと思っています。そして出来れば三巻目を出したいところですが、金銭的にもちょっと微妙なところでございます。

というか1つ不安なのが、長編の漫画は巻数が重なるごとにとっつきにくくなるし、追いかけて下さるにしても長大な時間を頂く事になってしまうんですよね。

最初は8巻くらいって思ってたけど、準惑星のセレスにも寄りたいし伏線回収回が一話で収まるのか分からないので構想が10巻くらいに伸びております。

コミティアは年に4回。単純計算で秋ティアから全部のティアにギャ運の新刊が出せるとして完結が2年後の夏ティア。私の事だからそれ以上かかるでしょう。一体どれくらいの方が最後まで追いかけられるのか、そもそも2年も継続してコミティアに出られるのか。また生活が苦しくなるのに。

刷る部数もよく分からない。今回の新刊は一巻の半分以下の部数にしましたが、割と捌けた為再版しなければいけない可能性も出てきました。完結まではスペースに置くわけだから。しかも置く場所も考えないといけない。設営苦手なんですよね…。

長編だけだととっつきにくいからちょくちょく短編集や読み切りの漫画を出すだろうし、大丈夫だろうか。やっていけるだろうか。

 

こんなところでしょうか。

新刊のお話は正直考えすぎてこんがらがってゲシュタルト崩壊してたのでハチャメチャになっていないか不安で申し訳ないです。例によってまだ読み返せていません。

もっとうまくなろう。

そういう決意を抱いたコミティアでした。

本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

 

今日から何しようかな…。

明日はいよいよコミティアです。

何を着て行けばいいのかいつも迷います。

もうコミティアの準備は全て終わりました。あとは本当に会場に行くだけ。

今回あまり楽しみではありません。自分の描いた作品に自信が無いしもう気持ちが次のコミティアに向いてしまっているので、もう熱が通過してしまったので落ち着いてスペースに座る事ができると思います。

今現在は一応投稿用&ツイッター不定期連載用の漫画の原稿をしていますが、全然筆が乗りません。

ネームが結構前に完成させている物なので今の自分の感性と違っていて、ネガティブな気持ちで仕方なくペン入れしている所です。ネーム切った時は間違いなくこれで良いと思ったのに、時間が経つとこの駄作!と思ってしまいます。過去に作った作品を恥ずかしくて読み返せません。

もちろん、お褒めの言葉も頂いているのでその人の感性や読んだ時の後味みたいなものを否定しないようにツイッターでは自分の作品に対するネガ発言は控えていますが、現状なかなか自分が満足できる作品は作れていません。

何がいけないのかも分からない。多分ピンポイントで悪い所がある訳じゃなくて、全体的にパラメータが他より劣っているのでしょう。RPGで言えばレベル上げが足りないのですね。

決して一番になりたいわけでも人気になりたいわけでも無く、ただ良い作品が作りたいだけだ。でもツイッターでバズった作品を作った作家じゃなくて、作家性で選ばれる作家になりたい。わざと流行りの形式を取り入れて漫画を描くようなことはしたくない。たとえそれが評価される近道だとしても、誰かの目に留まるきっかけになるとしても、仕事を貰うきっかけになるとしても、そんなダサい事絶対したくないぜ~~。

でも良い物が良い物であるという指標はやはりある程度の人気が獲得できるかどうかになると思う。SNS支部だと数値化されて分かりやすいし。

だからといっていつの間にか数字を獲得することを目標にしないように。自己顕示欲を満たす為の道具にしないように。

欲を捨て、己の高みのみを極めるべし。

 

私は修行僧か何かですか?

 

 

前の記事で父が出ていく云々の話をしたかと思いますが、そんな事を言っていた矢先にこの間父が心筋梗塞で倒れました。

命は一応取り留めましたし、駆け付けた時に会話は出来たのでとりあえず大丈夫なようですが、合併症を発症する危険もあるのでまだ安心できないといった具合。

うちの父はまだ50にもいってないので、若い内からそんな命に関わる病気になって大丈夫なのかと不安です。

家にほぼ帰って来ない父ですが、お医者様(女医だった!かっこいい!)が言うに生活が大変荒れているようで、煙草を一日に40本吸っていたそうです。二箱ですよ。そりゃいくらなんでも死んじゃうよ。

あとは食生活も良くないみたいですね。仕事の立場上接待などもあるので仕方ない部分もあるのかな。

私たちが駆け付けた時は子供みたいに駄々こねてました。明後日から仕事行くんだとか、なんでこんな時間なのに来るんだ放って置け、とか。まあ深夜でしたからね。

緊急搬送されて駆け付けない家族がどこにいるのかって話ですよね。

父は不器用な人だから愛情も優しさもキツイ冗談に交ぜて言うタイプの人だと私は思っていたので、来るなほっとけ言うのも予想できていましたが、いざ言われると、なんだか本当に鬱陶しく思って言っているのかもしれないと思い始めてきました。

照れ隠しなのか、ただ単に冷たいだけなのか。分からない。

もしかして母だけでなく家族全体が鬱陶しくて家を出ていくなんて言ったのかも知れない。じゃあなぜ私たちを望んでこの地獄に生んだ?って問い詰めたくなりますが、かも知れないの域を出ないし、病人をいじめてもしょうがないのでこの疑いは一旦忘れる事にします。

 

そんな事があって、ここ一週間とても疲れました。

もう自分の事で手一杯だから、私のキャパを超えないでくれ。

人として生きるのが疲れた。きっと皆もそう思っている事だろう。

 

両親が事実上離婚という形で関係を終わるそうで、子供である私も扶養を切られ法的(?)に大人になる事になりました。

別に両親の離婚(仮)に関しては、数年前に大喧嘩した後ぽつんと机に離婚届が置いてあった事があって、その時から両親はお互いにお互いの悪口しか言わなくなって寧ろなんで早く離婚しないんだろうとしか思っていなかったので、特別な気持ちは湧いて来ないと思う。耳にしたときは驚いたし多少ショックだけど。思い返せばそりゃ離婚になるよなって。

これで父親の荷が下りれば、とは思うが母の生活の面倒は見るらしく、完全にさようなら二度と会わないじゃなくて何らかの形で関係が続くらしく、正直今までと変わらないんじゃ…と思います。

まあ、従兄の幸せな結婚式を目の当たりにしたからなんとなく想像できるけど面倒見るってのは、結婚した時はきっとお互いの両親に大切なあなたの子供と添い遂げ幸せに暮らしますって誓いを立てた筈だから、その責任を果たすって事なのかな。

子供が家を出るまで離婚しなかったというのは子供に対しても責任感があるという事でいんだろうか。

周りに仲のいい夫婦って叔父叔母夫婦しかいない。

あんなに幸せそうな、周りの人に祝福されて、美しい瞬間の成れの果てがこんななんて悲しいね。浮かれて馬鹿みたいとすら思えてくる。

家を出ていく父親を父親と呼んでいいのか分からない。

血縁関係で言えば父は父なんだけど私が最終的に帰る事のできる場所に父はもう帰って来ないのだ。

母にだって実家があって、年に一度両親にあいさつに行くのに。

父方の祖母祖父は一時期別居してたけど最近また同居しているらしい。なんなの。

というか、毎年大晦日はガキ使見ながら年越しソバ食べて夜が明けたら挨拶周りへ父の車で家族4人で行っておせちとか私のバースデーケーキとか食べるのが恒例だったのに、もう今年からそれも無くなるんだ。

今年はどうなるのかな。次に会う時どんな顔したらいい。他人みたい。

本当は、父と母二人だけの問題で、その子供の私たちには関係ない事なんだと思う。その二人が一緒に私の前に現れる事は二度と無いけど、今まで通り父は父、母は母として接していいんだと思う。でも即座に対応できるような柔軟な心の仕組みではないんだよ。

なんていうか、離婚自体にはさもありなん感しかないけど、それによって汚された過去の思い出やこれから訪れるはずだった未来の思い出が失われた事には悲しみを感じる。

ブログ書いてて涙出てきた。

家族と反りが合わないところもあったし放任主義だし私の人生を見て私を放任主義教育の失敗作だと言った事を一生許さないけど、心の奥底の根本的な基盤として少なからずやっぱり家族があって、そこに属していて、そこに帰る事ができるという安心感があった。それが失われたんだなあ。

これからまたどうなっていくのか、分からない。

母が心配だ。

この離婚の原因は父に寄り添わなかった母が8割悪い気がするけど、母は弱い人だ。他人と衝突する事がままあるけど、それでも、悪い人では無いんだ。

この件でまた精神を落とすか、はたまた清々したと言うのか。

完全に見捨てられないだけ良かったよ。本当に。

 

なんか、疲れた。

嫌な事があるとすぐ疲れるって言うのやめよう。

誰も恨みたくない。嫌いたくない。

ああ現実逃避だ。漫画を描こう。