Hyper Carronade

灰色のはい

ブログの更新をさぼってしまいました。

元気です。今はうっすら死にたいと思う事はあれど酷い時よりはずっと人間らしく生きています。

 

最近はちょいちょいネトフリで映画やアニメを見ながら原稿をやっています。

ずっと見ようと思って見てなかった「インターステラー」を観ました。

最初の方はなんだか時間を取っている割に展開に着いて行き辛かったのですが進むにつれてどんどんあのシーンやこのシーンの意味が分かっていって、最後のシーンで号泣しました。

ハードSFだと思っていましたがこれは平成の、新しいSFだなあと思いました。

SFって時代が進むにつれて様相が変わっていく作品ジャンルで、この作品はこの今の時代から生まれた「この時代のSFだ」って感じました。五次元の辺りとか。

すごかったな…。上映時間も長いから重厚な後味だった。

アニメはこの間鬼太郎の5作目を途中まで見ました。

良い話が多くて毎話号泣してるんじゃないかってくらいでした。一話一話が映画みたいな見応え。猫娘かわいい。ぬりかべも一反木綿もかわいい。

良いお話も良かったが地獄行きの電車の話がすごい好き。今まで人間を助ける鬼太郎のお話が続いていたからこういう妖怪み全開の鬼太郎達が特に印象に残った。

5作目以前のアニメはネトフリに無さそうなのでいつか配信されないかなあなんて思っています。

 

でも見てばっかりであんまり原稿進んでいません。

コミティアの原稿は多分今月中には終わりそうではありますがこの調子で行くと時間ロスで勿体ないのでなんとかせねば。

どうせあまり長生きもしないだろうし、描きたい漫画はまだ山ほどあるんだ。まだ死ねない。要介護になる前に早く死ねるように全部終わらせねば。

結局世の中に名声を轟かせるのはウェイ系の人間だと思う。

正しい言葉よりも勢いのある言葉に人間は魅せられるのだという。

私はモノづくり寄りの人間だが、モノづくり寄り共の中でもウェイ系の作品がやっぱり評価される、というか、その世界の向きを変えるのは彼らの声だ。

美大にいた時もそうだった。ウェイ系の良いと言った作品は良い。単に彼らの派閥がでかいのもあるし審美眼があるのも事実だろう。その派閥でどんどん新しい情報が交換されてどんどん彼らは知識を身に着けて、良い物を作るようになるんだろうな。そのでかい声で称賛された作品たちは脚光を浴びる。文字通り太陽のような存在なんだ、ウェイ系って奴らは。

根っからの教室の隅のぺんぺん草は、脚光を浴びるという点では待つことしかできない。

それでもそんなぺんぺん草を愛してくれる人が少なくともいて、ぺんぺん草的にはそんな人達を愛してえなあと思う。

21歳のあの時から時が止まっている。

あの日から成長できない気がする。このままでは。

絵を描く事、それを仕事にして生活する事は私を正当化してくれない。

私がこの先なぜ何の為に生きるのかって言ったら、過去の自分の苦しみ、選択に意味を付与する為。価値があったと自分に言い聞かせる為。

私は間違っていなかったと証明したい。

でもそれは絵を描く事ではできないのだと気づいた。

絵を描く事はそれでしかない。他人という存在を抜きにして言えば、自分の中の物を取り出す作業とその結果でしかない。

それだけの行為で過去の正当化は出来ない。

やっぱり他人が価値を決めるのかな。過去の価値って何で決まる?その後に付いてくる結果の大きさなのかな。

でも漫画家になってそれで何?仕事にすることが最高の目標なのか?仕事ってそんなに崇高なことか?漫画家になったその先は?

私には未来への希望が無い。過去に価値を認めることさえ出来ればこの世に特に未練はない。寧ろ生き辛い。

今を生きるには未来を見る必要がある。でも今はできそうにない。ずっと過去を見てる。本当はもう一生未来を見れないかもしれない。過去の正当化なんて本当はできない。時が止まったまま身体だけ衰えていく。

漫画家になんてなってやればいい。ごちゃごちゃ考えるのも良いけど、なってみたらまた何か新しい考えが浮かぶかもしれない。選択にトラウマでもあるんか。とりあえずやる、ってのは思考停止みたいで嫌だけど、分からない事の方が多いのだからやるしかないんだ。そもそも技術が未熟なんだからなれるまでに時間がかかるかも知れない。漫画家になる前提で話したけど簡単じゃないんだ。

 

最近はネトフリを活用しようと作業中に映画やアニメなどを流しています。

しっかり見るタイプの映画は作業のお供には向いていないのでスナック感覚で観られそうなものを選んでいます。テレビ番組なんかもあるしね。

ピングーとか、水曜どうでしょうとか、ブループラネットとか。

ピングーは今日第一シーズンが終わった所。第一シーズンはほとんど幼少期に見た事あるというか多分ビデオ持ってたんだろうな。懐かしかったし思うよりほのぼのほっこりしててピングー達も仲良しそうだった。

ピングーが家出したお話は結構トラウマだったな。あの怖い顔した氷。それから一番最後のピングーの夢というお話、これは怖い…。幼少期に見た覚えが無いのでもしかしたらこれが初めての視聴かもしれないけど、子供心には確実にトラウマになるだろうな。

直近でブループラネットの南極の回で散々ペンギンがオタリアに食べられる場面見たから、あれが天敵のオタリアで、捕食されそうになる夢なのではと一瞬で思い至りました。

そのオタリア(だったかアシカだったかオットセイだったか…)もブループラネットではシャチに生きたまま投げ飛ばされて弄ばれていて、弱肉強食の世界の恐ろしさと、死が当たり前にある自然とそんな自然の中にいながら死から意識が遠い人間のおかしさを感じました。

ブループラネットめっちゃ面白かったな。海に興味持った。

それから今日は「OCD~メンタル・クリニックは大騒ぎ~」を見た。

強迫性障害を持った患者たちがまだ来ない医者を待合室で待つ間お互いの発作に眉をひそめる、というあらすじから笑ってはいけない待合室的な感じかと思ったら意外と交流的で前向きなお話だった。

当事者からしたらこの映画はどう映るのかな。やっぱり都合の良いフィクションだと思うかな。慰める感じが気に食わないとか思うかな。それとも元気をもらうかな。

でも努力すれば…とかお涙頂戴みたいなシリアスじゃなく一貫としてコメディで説教臭さが薄れてたのが良かった。役者さんの演技もすごかったな。

それから一番良かったって思ったのはエンドロールに映ってたその後の皆さん。完全に障害を克服した!バンザイ!っていう描写じゃなくて、ちょっとずつ克服していってる、でも時々負けちゃうっていう描写なのが良かった。神に祈りを捧げる典型的強迫性障害の一番性格悪いおばさんの、だんだん克服していってるんだな、あ、でもやっぱり不安になってカバンから鍵探しちゃうんだな、…本当に鍵忘れちゃったんか~い!みたいな所がお気に入り。何言ってるか分からないと思うが詳しくは観て下さい。

時間も一時間半くらいで丁度いい感じの映画だった。

スマホアプリのフィルマークスという、映画情報をチェック出来たり鑑賞記録を付けられるアプリを友達に勧められてやっていますがこの映画を検索しても出てこなかったorz スペイン映画らしい。でも出なかった。何故だ~~

フィルマークスで気になってチェックした映画をネトフリで検索しても無い映画がたくさんあり、アマゾンプライムにも課金しようかと思案中。

DVDプレイヤー無いし近所のレンタル屋ポンタカード必要で会員とか面倒だし映画館も無いしでこういった動画配信サービスはとてもありがたい。こうしてネットやるついでに見られるお手軽さも良し。

でもたまには映画館で観たいというか作品に直接投資しないとな。

昨日スパコミが終わりました。これで二次創作の同人活動は一旦休止です。

いや、何も新刊というしっかりした本を出していないのにな。最後になるかもしれない日にこれで良いのか?と思わなくもないが、そこは同人なのであまり気に病まないようにしようと思う。

イベントでは忘れ物が多く、何回も出ているはずなのにあたふたしてテンションが気持ち悪くてもう申し訳ないです。もう人間としての自分の事はどうか気に留めないで欲しい。作品作りを通して私は会話するから。

本当に、なんか、相手の欲しい回答を読み取れないし、聞かれてもいない事答えるし、会話って難しいな……。

でもたくさんの人に話しかけられてとても嬉しかった。嬉しかったからこそうまくお話できたら良かったのにな…。

差し入れも前代未聞の量を頂いた。過去最高だ。昨日は天候も悪かったのに。ありがたいことこの上ない。アイマスクまでもらってしまった。目のクマ取れないから本当に助かる。お手紙も大切に読ませて頂いた。もう嬉しくて少し涙が目にたまった。しっかり作品を見て感じて、それを文字にまでしてくれたのだ。すごい。天使か…。

イベント参加の度にこうして元気がもらえるからもっと出たいしもっといい作品を作れるようになりたい。自分の為にとはいえ、見てくれる人がいるからこそだ。

頑張ろう…。

もう少し。

今日はようつべで90年代のベストヒット歌謡曲メドレーなど流しながらゲームをしていた。

生まれていないはずなのにどこかで聞いた事のある曲が多い。曲名は知らないしイントロとか流されても何の曲か分からないような、でもサビを聞いたらあっ聞いた事ある!ってなるやつ。しかもそんな馴染みのないはずなのに懐かしいという気分になる。受精すらしてないはずなのに。この気持ちはなんだろう。

キンキとかサザンとかスピッツは父親や叔父さん叔母さんの車の中でよくCD流していたのを聞いていたから曲名こそ一致しないけど懐かしいと思う。

今はスピッツのロビンソンを延々リピートしてる。

コメント欄を見ると昔の音楽は良かった。今はくそみたいな事がたくさん書いてあった。案の定だよ。

何だ、今の音楽は軽いだとかアイドルがどうとか歌唱力がどうとか。どうせ話題になってる一部の有名どころしか知らずに言ってるんだろう。現代の音楽は終わってるだなんて。終わらぬわ。音のクオリティは間違いなく格段に上がっている。今や素人の中から能力のある者がどんどん表舞台に出るようになって、音楽が皆のものになろうとしている。丁度変化している様を今見ているんだと思うよ。

というか昭和~平成初期の音楽を聴いて育ってきた人間にはその年代に生まれた音楽が居心地よく感じるんだと思う。今変化していく新しい音楽がきっと居心地悪いだけなんだと思う。感情移入もできないだろうしね。自分の知っている、自分の身近にあったモノや形式に安心するのは新しい時代の人間でも早く生まれた人間でも同じ。そしてそれは音楽じゃなくてもそうだと思う。私も昔の曲はやっぱり音とか歌詞が古い曲だという感想を抱く。

でもその居心地の悪さを感じる曲にはきっと魅力を感じないんだろうがそれをイコール質が悪いとするのは短絡的だ。音楽は良いか悪いかで語りたくはないものだな。

私は生まれた年から今まで聞いた曲で感動したり自分を慰めたり奮い立たせたりしたのだから、どうかその時代の曲を貶さないで欲しいと思う。臭い言葉で言えば青春ってやつだよ。

コメント欄の中であった、今でもいい曲はたくさんある。ただ探さないだけ。今の音楽は自分で探しに行かないと良い曲には巡り合えないのかもしれない、っていう意見がすごい納得できた。たくさんあるもんね音楽。アマゾンミュージックの一つのジャンル巡るだけでも膨大な曲がヒットするんだし。

それに探さずに今の曲を全部頭ごなしに否定して自分の時代の音楽に閉じこもるのは楽しいのか?楽しけりゃいいけど。でも私の時代を貶すくらいなら黙っててくれ。

 

曲を聞くのは好きだから全然苦にならないのにな。

これが漫画とか小説とか映画になると途端に苦痛になる。

娯楽は楽しみたい。 

 

パソコンのネットが使えなくなっておりました。

正直ネットサーフィンしていた時間を作業の時間に費やせていたのでネットない方が人生的にいいのでは?と思わなくもないのですが外部からの情報が遮断される為一長一短といったところでしょうかね…。

 

一年半くらい経った今でも退学した大学の事を思う。

結構著名人の中には大学を中退した人いるし、大学は義務教育ではないから中退は恥じる事ではないとは思う。その中退が何か目的を持ってのことであれば尚の事そうだ。

でもやっぱり私は絵から美術から逃げた結果の中退だったから、恥ずかしいのかもしれない。自分の生きる術である絵。本当は絵描くの好きじゃないのかもしれない、生きるのが好きじゃないのかもしれない、大好きだと思ってたはずの絵が他人になるのが怖かった。

中退していなかったら今月の上旬私は卒業生だった。

後悔しない選択を、っつったってこんなん後悔するに決まってるじゃないか。後悔しない人生の選択をすることが最初から可能ならば、私は生まれる事を選んでなかったぞ。

でも退学を選んで損したことは美術の情報や経験や学ぶ機会が失われることで、これらは私の努力次第では補えるものなんだよなあ。

今はどうだ。全然補えていない。補えれば、それで結果が出れば後悔したとしても退学が間違った選択にはならないはずだ。

展覧会最近行ってないな…。月一は必ず行きたいな。ルドンの展覧会行きたい。お金が足りない。シフトを増やすべきか。働きたくない。でもお金。遊ぶ金。食べる金。払う金。製作費。労働嫌いには生き辛い。

 

うーん相変わらず自分の事しか考えられていないな。もっと、見渡さないと。

何から始めればいいんだろうか。

作品のインプットはできている。小説はあんまり読んでいない。買ってはいる。

映画も見れてない。映画見るの苦手だ。どうしても。でも見なきゃ…。

何をすれば私はスキルアップできるだろうか。