Hyper Carronade

灰色のはい

やっとコミティアの原稿が終わりました。

まだ諸々のこまごまとした準備は残ってますが。

なんか今回かなり作画でも手続きでもミスを連発して、自分の脳そろそろガタがきてんなと思いました。

苦しい原稿だった…。自分がいかに適当に物描いてるかがよく分かった。こんなのも描けない私は生きてていいのかな。この前までいじってたのにもう羞恥で原稿読み返せない。

絵で仕事をしたいと思う。

けど色々と足りないものが多すぎる。ああすれば良かったこうすれば良かったって思う事ばかり。これが次に繋がる学習ならいいんだけど学習したことを正しくアウトプットできるのかって言ったらそこもまだ未熟。

まだ未熟って、なんでこんな歳になって未熟とか言ってんだろう。

ひとえに私が怠った事だ。

 

最近そういえば展覧会に行ってない。まともに外出してない。

新しい物を定期的に吸い込んでは吐き出してって生活が理想なのに全然できてないな…。そんな年にしたかったんじゃないか。漫画もなかなか読めない。怖い。人を見て自分を知る。自分がいかにできないのかを知る。それが怖い。

展覧会じゃなくてもなんか楽しいところ行かなきゃな。気分転換。ビレバン行きたい。

借りた漫画も買った漫画もまだ読んでない。コミティアで忙しかったなんて言い訳であんまり読みたい気分じゃなかったからだ。

そのくせ購買欲だけはあって本が溜まる溜まる。

話題書も読んでない。

 

自分の未来がだんだん次の世代へ交代するための手続きみたくなってきて悲しい。

生活をして結婚して家庭を持って子供産んで一から育てて大人にしてあとは?

人生の本番は中高生の時と老後なのかな。

20代30代は世代交代の為に存在するのかな。

結婚なんてそんな仰々しいことしなくていいじゃん。気の合う二人が一緒にいようねって適当な口約束でいいじゃん。だめ?男女ってなんで一緒にいると結婚しなきゃいけないの?ただ帰る場所が二人一緒なだけ。それでいいじゃんって思う。

子どもなんか欲しくない。

ずっと清らかな孤独の中で漫画を描いていたい。

分かってくれる人がいるんだろうか。

それは子供じみたわがままだって言われるだろうか。

こうして私は普通になっていく。魔法が解けていく。

 

とりあえず今は絵の練習をしなくちゃ。それから色々漫画読んで勉強しなきゃ。面白い漫画ってなんだろうって考えよう。自分の描きたいものと面白いとされるものがうまく共存できるように実験だ。

大変遅くなりましたがあけましておめでとうございます。

平成も残り僅か。平成らしさ。とは。過ぎ去ってこそその色が統計的に出てくるのか。

少しずつ世界が自分の知っている世界からズレていく。

表現者になるにはそのズレを追いかけていかなければならない。

自分の中に生まれる違和感や許諾しかねる何かをあやしていかねばならない。

もちろん変わっていくこと自体が悪い事という訳ではない。良いも悪いもすべて変化しながら移り行くんだろう。私は果たして置いて行かれずについていけるだろうか。

だんだん魔法が解けていくような興醒めする時みたいな気持ちになる。

小さい頃からずっと私には魔法がかかっていて、どんな事もきっと成し遂げられると思ってた。自分の事全然好きじゃなかったけど未来にだけは自信があった。

でも思い描いていたほど自分には力が無いと未来の私は思い知り、このまま周りのお決まりの型に流し込まれてフツーの人間になっていくんじゃないかと、今まさになり始めているんじゃないかと思っている。魔法はその普通の型から私を守ってくれると思ってた。

魔法は最初からかかってなかったんだけどね。

嫌だな普通は。友達無くしてもいいから普通の女には絶対なりたくない。

新年と同時に23になった。とんでもねえ数字だ。

ちょっと踏ん張らないと私は普通になる。

自分が生まれてきたことがちょっと悲しい。

家具について

炊飯器と給水ポットが新品になった。

古くなって役目を終えたものは冷たい廊下に置き去りにされていた。

この二つがキッチンではなく廊下にあるのにひどく哀愁を感じた。

かなり長く使っていたように思う。給水ポットなんかは前の団地の時からずっと使っていたのでは。

私たちの食卓を彩っていた彼らがとうとう世代交代か……。

なんか、電気が通っている以上古くなって使い勝手が悪くなるのは仕方ない事とは言え、寂しいね。

かなりお世話になって、最後がこんな廊下に並べられてぽつんとさせているのもなんだか悲しくて不憫で申し訳なくて小声でありがとうございましたとお礼を言っておいた。それだけでいくらか許してもらえるような気がして。本当はお焚き上げみたくしてあげた方がいいんだろうな…。どれも人間の気休めの儀式でしかないけど。

道具には感謝しないといけないと思うんですわ。

道具も大事にしていけば道具も私たちの手の延長としてしっかり役目を果たしてくれると思うんですわ。

使わない家具の時間が止まるのと同じように、使って大事にしたら、道具はまた違う顔をするんじゃないかなあ。

と思ったのでした。

もう今年も秒読みといったところですね。

なんだか疲れがとれず休みの日も外に出るのが億劫でずっと家にいて湿った気持ちも晴れずもやもやと過ごしています。そもそもロングスリーパーで12時間とか余裕で寝てるので一日の時間が少ない。そろそろ気分転換に展覧会とか遊びに行くとかしないと病気がぶり返しそうです。なぜこんなに生きる気力が殺がれるのか、誰に自分を尊重する権利を剥奪されたのか。暗い事ばっかりが言葉になってしまって良くないと思う。

幸せになりたい。寝る為に布団に入って寝付くまでが一番幸せだ。誰にも脅かされない唯一の時間。

気に食わないと思う事も増えた。

綺麗なままでいたい。何に対しても寛容でいたい。寛容になれば脅かされることも少なくなる。

ていうかツイッターのワードミュート、機能してます?

ツイッター少し離れようと思う。今度こそ。

日常のこととかは140字じゃ書ききれないしブログの方がそういうのに向いてるから、ツイッターは宣伝と絵を上げるときに活用しようと思う。ブログは誰が見ているのかリアルタイムに分からないところが良い。ツイッターは相互監視システムに似ている。というかそういう意識にさせられる。誰も自分の事は見ていないはずなのに、見られている気がする。それから結構嫌な話題とか流れてくるしなあ。少し離れなきゃ。

 

最近はあんまり小説読んでません。買ってはいるんですが。

書店で働いて分かったことは、発売日に入荷した後はベストセラーのものや著者がなんとか賞をとったとか新聞の広告に載ったとかそういう事が無い限り、客注品を除いて再度入荷することはほぼないという事。つまり書店で見かけたら完売しない内に早めに買うべきだという事ですね。バカ売れ商品じゃないなら尚更。

それから毎日毎日新しい書籍が入荷するから古い物や売れない物や完結した漫画は結構速やかに下げちゃうんでやっぱり早めの購入が吉だと思う。

返品した直後にその商品の客注が入るのは書店あるあるみたいですね。

まあそういう事もあり、気になる本を見かけたらすぐ買うようにしています。しかし買ったは良いがまだ読んでないっていう本がたくさんあります。

 新居に棲み始めたら本棚をどーんと構えたいね。

アプリのポケ森を今やってるんですけど部屋の模様替えが楽しくて現実の自分の部屋にも模様替え欲が高まっています。とりあえず実家の部屋は物置状態でいいかなと思うんですが新居はポケ森のごとくお洒落に家具とか置きたいです。同居なんで自分の部屋っていうのがあるのかどうか知らんけどね。

 そろそろ荷物もまとめ始めなきゃ。また新しい生活が始まる。バイトもどうしよう。今はちょっと葬儀屋のアルバイトに興味がある。あとはゲームセンター、CDショップ。接客業は嫌だけど働き口があるのはそこが多いよな。一応貯金してるからしばらくゆっくりニートしながらバイト探そうかな。

 それで漫画家を目指す。来年は漫画家デビューが目標だ。とりあえず描いてどこかに投稿せねば。あー正直印税生活してえ。

クリスマス前と年末年始は忙しいみたいです。

今は次なるコミティアに向けて大人しく原稿を進めています。

続きものの漫画を描こうと思って。

でもなんていうか、設定とか大まかなお話考えてる時って無敵時間でめっちゃ楽しいし絶対面白い漫画になるぞ~~って思うんだけど作画の段階になると途端に冷静になって設定の綻びが気になったりお話そのものもこんなん面白い訳ないだろ誰が読むんだみたいなネガティブな気持ちばかり出てきて駄目です。

お話を漫画として表現するのは本当に難しいな…と実感してます。毎度。

色々な物が自分に足りてないと毎日思うのです。思わない日もあるけど。

やっぱり知識が足りない。経験が足りない。センスが足りない。

でもそれでも、書店のレジで漫画のシュリンクバリバリ剥がしてると私やっぱり作家になりてえなあと思うから勉強しなくちゃいけない。大変だ。

アウトプットは正直かなりたくさんしてると思う。

もちろん私より上回る数描いてる人なんていくらでもいるけど、数は描いてる方だとは思う…。

でも上達してるっちゃしてるけど未だ高みへ行けてないのはインプットが圧倒的に足りないからな気がする。

人の作品見るの苦手だからインプットは意識してやらないと本当にしないからそれはいけないなと思う。

あ~

時間はあるにはある。

ただ早く結果を出さなきゃって焦ってるから時間が無いように感じるだけだ。

でも早く結果が出れば安心できるよね。多分ね。生きるのしんどいね。

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今日は写真美術館に行きました。

クレマスターの上映目当てで行きましたが当日券はすでに完売。キャンセルも出なかったので出鼻をくじかれたと言いますか萎えて展覧会の方を見に行きました。

クレマスターのついでに見ようと思っていた『シンクロニシティ』とその下の階でやってた個展です。

収穫は写真への興味が俄然強くなったことと気になる作家さんができた事ですね。

シンクロニシティは正直テーマはすごい面白いと思ったけど結局あの場の作家さん達の作品群を見た後シンクロニシティに納得できなかった。キャプションで無理やりストーリー作ってない?と思ってしまった。私がクレマスターショックであんまり展示に集中できてなかったか?それとも写真の見方が未熟だからか?時代と現在の関わりが見えてくる筈って言われても作家さんが個人個人思い描く表現を研究し突き詰めていく様しか見えなかったし、最後の方とか、これらの作品は未来につながる断片で~みたいな事書いてあってせやなって思ったし正直打ち切り漫画のあおりみたいだなって思った。個々の作家さんの代表作を並べて展示したようなそんな感じはした。最後に蜷川さんの作品があったのもちょっと違和感あった。

あれかな、平成時代の作家さんの作品を展示してさあ見比べてみましょうっていう事なのかな…。

それだったらシンクロニシティしてるのは作家の純粋な魂の目指した痕跡だろうか。

うーん、もやっとする。いや、そこまでシンクロニシティに関して掘り下げ考える展示では無いのかもしれない。あくまで写真史における中間地点なのかもしれない。平成も終わるみたいだしね。ただ最初のキャプションのシンクロニシティという言葉の意味「同時に起こるバラバラの物事が偶然一致したり共通したりする」「時をともにすること」っていうのがすごく印象的だったんだよな。あ、いいな、って思って、思ったけどその次の文の意味がよく分からなかったんだよな。作品はそれぞれ違った世界を持っているけどその世界をじっくり見れば何かが少しずつ関わり合ってることが分かるはず。うーん…。言わんとしてることは分かるんだけど、わかんなかったなあ…。やっぱり私には作家さん達の作品がいっぱいだなとしか思えない。

時代らしさ、平成らしさ、というのもこの展示のテーマの一つだけど作家性しか見えなかった。それはまだ今が平成只中だから?私が平成を生きているから、平成らしさというキャラクター化ができていないから?それを考える為のなぞなぞみたいな展示なのか?

うーん…展示の見方を間違えた気がしてならない。キャプションはちょっとうるさかったかもしれないけどなんかこうして文字に起こしてると冷静になって彼らの言わんとしている事に真正面から座すことができる。気がしている。

うん。シンクロニシティに関してはそう。個々の作品はとても良かった。

 個展の方は普通だった。

人いっぱいいたなあ。

被写体が家族だったり女性だったり、それらが裸でいる写真が多かった。勝気そうな表情をした女性の写真もちらほらあった。

世界における家庭性、女性性は格好の思想のテーマなんだろうな。学校でもそういうのテーマにして作品作る人いたなあ。考えるべきことが多いものなあ。

でも女性性をネガティブに卑屈に自虐的に表現する人もいる中で、この人はポジティブで強さがあったから良いなって思った。

女性の弱さの部分を自虐的な表現でおどけて表現する作品は私は最も苦手だと感じる。女性性じゃなくても特異性とかそういうのを皮肉めいた表現で描き出す作品はあまり好みじゃない。

この人の作品はすがすがしかった。いいじゃん!っていう感じでした。

いやでも正直クレマスターショックとシンクロニシティのもやもやと人混みであんまり集中してみてなかったけどね…。

今日全然集中できてなかったな。。

 

ミュージアムショップでカメラのフィルムを買った。

 これてっきりインスタントカメラ本体かと思って買って、帰って開けたらフィルムだったでござるの巻でした。

カメラ欲しいなあ…。

写真撮ってみたい。

写真技術に関してはドベそのものです。スマホで撮った写真は記録用のものだけど、作品として写真撮った事、そういえば無いなあ。

やってみたいね。

この間違えて買ったフィルム使って。

 

良さげなカメラがアマゾンで6万…。

六万…出せなくもないが…きついな…バイク免許の為の貯金なのにカメラに消えそう…。

日が経つのが早い。もう11月終わりに差し掛かるなんて。

 

ネットで見るニュースで思うのが日本人ってなんで他人への許容範囲が狭いんだろうって事だよね。

露出多い服着ようが同性の人が好きだろうがどんな事にお金を使おうが、そんなの全くどうだっていい事なのに、逐一目について許せない。均一に均された世界がお好きなんですね。もしかしたらそれを平和な世界とでも言うのかもしれない。

邪推するに日本は国土も狭く人口密度が高い故に他人との距離が近すぎるんじゃないかと思う。物理的にも近いだろうしそれが人間関係に入り込んできて心理的な近さにもつながるんじゃないかと思う。その近さが他人を自分の一部と思い込んでいるのか、はたまた自分に危害を加えられないようにけん制しているのか、自分の常識を押し付けて型抜きしようとするんじゃないか。

この型抜きは恐ろしい。親や近い血の人にやられるとそれが一生残るから。

今日も結婚相手について言われた。そこには女は養われるもの、置物のようにかわいがられるもの、という型が見えていた。私とパートナーの交際の形はおかしいのだと色んな人に言われた。騙されてるんじゃないかとも言われ続けた。でも、私はこれくらいがちょうどいいんじゃないかと思う。相手はどうか知らないけど。確かに音信不通になるのは困るけども。でも相手が私との未来を考えていると分かったからこれでいいんだと私は思ってる。私はこれでいいと思ってるんだ。でも他人からしたら型から外れているらしい。なんかやっぱり母親が恐ろしい。どうして無条件で他人が自分を愛でてくれると思い込めるんだろう。どうして父親と苦労を分かち合おうとしなかったんだろう。母の思う勤めを充分果たしている父親の悪口を言うんだろう。

自分の型抜きで他人が思い通りの形になるのは面白いのかもしれない。

 ナニモノにもなれなかった人はそうやって近い人間関係から征服しているのかもしれない。

だって所詮は他人。距離が近すぎても他人でしかない。

だから狭いのに近いのに孤独なんだ。他人とは適度な距離でいた方がいい。

敵なんかどこにもいないのに出る杭を探しては皆で引っ込めようと叩く。平らな世界のできあがり。

自分を迫害する敵はどこにもいないのに。強いて言うなら敵はその杭じゃなく引っ込めようと叩く人の方だ。そういう人は誰であれ自分の型に合わなかったら叩くんだから。

いや、迫害が怖いんじゃなくて自分が良い思いできないのが不満なのか。そういう人も一定数いるか。

やっぱ人間はくそだな~。

なんかツイッターとか見てても胸糞悪い出来事を「こんな事がありました。拡散希望です」みたいな画像とか漫画にして何万リツイートされて、自然と自分のタイムラインにも表示されて、ただただ胸糞悪いんだよなあ。どんどん人間って嫌だなあって思う。

思うし自分早くツイッターやめちまえばいいのにとも思う。

なんかそういう出来事報告の呟きが多くなった気がする。これも一種の型抜きではとも思う。

こんなことしている人がいるよマジありえなーいみたいな晒し上げ。

それが犯罪行為とか迷惑行為だったらまだ分かるがそういうのツイッターで拡散するのは正直どうかと思ってる。警察とか弁護士みたいなプロ使って法的解決したらいいのに、ネットの味方増やして叩こうとするのはやりすぎなんじゃないか。法でシバき倒したら十分だと思う。手軽に発信された怨念を感じる。まあ色んな事を考えるきっかけにはなるんだけどそういう呟きは。

でもやっぱり胸糞悪いんだよなあ……。

人間って気持ち悪いね。私も無機物に生まれたかった。