Hyper Carronade

灰色のはい

f:id:utsuligi:20170627021008j:plain

そういえばこの間ソールライター展に行ってまいりました。

上の写真は見づらいけど、左がチケットファイル、右がポストカードです。

広告にもなってる左の写真作品、最初は絵だと思ってたからびっくり。

いや~最終日前日の土曜日は流石に混みましたな…。

本当にかっこよかった。

お仕事の写真もパリッとしててかっこよかったけど、日々の散歩のスナップショットが良かった。

生きてて自然に出てくるものっていいよね。うまく言えないけど、お仕事じゃなくて趣味とか習慣で生まれる作品って濁りが無くてクリアで素朴で好感持てる。

いいな~~~~私も絵を描いて散歩して引き合うパートナーと暮らしたい…。

ソールライターさんは絵も描くんですね。色きれいだった。

写真の事は門外漢でよく分からないんだけど純粋に目に映える作品だったから楽しかった。

 

行く途中で腹痛に襲われ一週間分の排便をしてたから大分到着が遅くなってしまって渋谷見て回れなかった。

タワレコ行きたかったな…

渋谷来てもどこ来ても食べ物はいつもコンビニで買ってしまう。

レストランに入るのが苦手だ。

人前で食事を取るのがそもそも苦手で、簡単に軽く食べ歩きできるおにぎりとかトルティーヤとかパンが丁度いいんですよね。

いやー勿体ないことしてると思う。。

お洒落にキャッフェーで本読みながらエスプレッソ決めてみたい。

 

 

 

焼きナスと死

夏は死の匂いがする。

今日は涼しめかな。

夏は歩いてても立ち止まってても何かが腐ったようなにおいが漂ってくる。

お線香のにおいがする。

なまものなんか置いておいたら数時間で腐っていく。

死というか地球の毒性を感じる季節だ。あんまり好きじゃないけど夏の夜は素晴らしい。

一人暮らしのアパートの二階の締め切った部屋で、セミの騒音を聞きながら一回自分の左胸に包丁を立てたことがある。

結局痛いのが嫌で刺せなかった。そのまま焼き茄子が食べたくなって茄子を切った。

その時は大分精神がアレでいつも自殺した後の事を考えてた。

大学でいつも一緒に行動するような友達はいなかったしバイトも毎日していた訳じゃないし家族も心配して連絡を寄越すなんてこと無かったから死体の発見は遅れるだろうと考えた。

この暑さだからすぐに腐るだろう。敷きっぱなしの布団に血と他の体液が染みついて肉も溶けて布団とくっつくんだろう。警察の人はきっと死体を運ぶのに苦労するだろう。

色んな虫が私を処理しにどこからか湧いてくるんだろう。蛆やらゴキやら蝿やら。

下の階の人が一番初めに気づくだろう。かわいそうだ。私を求める虫がきっと下の階の人の部屋にも入ってくるだろう。

ひどい姿になるんだろう。死体は綺麗な方がいいなあなんて思ったけどそううまくいくわけじゃないしある程度は諦めていた。

友達がまったくいないわけじゃないから、何人かの悲しむ顔が見えた。でも悲しみはすぐに消えるだろうからそんなに心配していなかった。心に傷は残すだろうけど。でも現実は早くて忙しいから、過去はあっという間に埋もれて思い出になる。傷もある程度うまる。

死ぬことが目的じゃなくてただ今を終わらせたかっただけだった。

でも簡単に終わる現実じゃないから一回死んで別の人生に生まれ直したかった。来世があるのかは分からないけどあるって思わなきゃやってらんなかった。来世に期待してた。

あとは少しの同情が欲しかった。死んだ後に、ああ、あの人は大変だったんだなあって思ってほしかった。だって決して遊んでるわけじゃなかったから。でも本当に辛かったけど皆辛いから一人だけ病気みたいに振舞うのは嫌だった。辛かったけど現状改善の為に100%で動いてたわけでもなかったから。いやそもそも改善の仕方が全く分からなくて何もしていなかったからそれが惰性に思えて一人で弱い立場に逃げるのが嫌だった。

自殺による死は最後の自己表現ツールだった。

まあなにはともあれ今は生きてるんだけどね。

夏になると死を感じて暗くなるから好きじゃない。

上手に刺せれば死ねるんだ、簡単、死ぬのは。

それがとても自分を弱いものだと認識させられて恐ろしい。

正常に生きているのは物質的な意味でも貴重な事なんだなあ。

命の尊さとか生きてて良かったとかそういう美しい事が言いたいわけじゃない。

心さえ伴えば人間は簡単に死ぬ。思ったより頑丈じゃない。

ただそれだけの事だ。

 

でもあの時の自分は本当に死んでしまいたいと思ってて、でも結局死ねずにいて、痛いのが嫌で、今よりよほど生に執着しているように思う。

 

自傷行為をすることが自分の見出した現状改善の方法だったのでは?

そこまでしっかり考えちゃいなかったけど。

なんとなく包丁を手に取ってそうだ死んでみようと思って心臓を刺そうとしただけだ。

 

 

f:id:utsuligi:20170624024602p:plain

 

勉強勉強……

ツイッターで回ってきて恥ずかしながら初めて知ったんだけど小説の鍵括弧の最後にかかる文末には句読点を付けないんですってね。

あとエクスクラメーションマークとかクエスチョンマークの後は一マス空けるとか。

あと三点リーダは偶数になるようにするとか……。

初めて知った……。

そうか、本屋バイトの癖に知らなかった。

小説書かないからそういう決まりがある事すら知らなかった。知らなかったから調べもしなかった。

うーん。

最初は別にそんなの同人だし気にする人はするだろうけど皆が皆プロみたいに固くなる必要なくねと思ってたけど、でもちゃんと、気になる読者がいるなら極力直す、というこのツイート主さんの姿勢がすごい好感持てた。

物の前には人がいる。

それを忘れてはいけないんだね。

でも気負い過ぎるとやってけないし。

その辺のバランスは同人の難しい所だなあ。

その辺は好みとかにも寄るんだろうし誰でも皆どんどんライトに作品作っていって欲しいとも思うけど、やっぱり作品作りに関する事への無知というのは罪なのかもしれない。純粋に。

ただの暇潰しで物作ってるのなら別にいいと思う無知でも。

もものづくりで何かしら評価を受けたい、人の心を掴みたい、良い物が作りたいと思ったらもう無知ではいられないんだな。そこから人対人になっていくんだ。

あまりにも情報が多すぎてすべてを知り得ない。

私は学生時代できなかった、「展覧会をたくさん見に行く」という事を今やっていて、あとは「本を読む」「人の作品を見る」という事をぼちぼちやっている。

それじゃ足りないんだなあ。

知識、技術、時間、資金、体力、集中力、ものづくりには他にも色んな物が必要で大変だな。

私は思っているよりもずっとずっと浅くてバカな人間なのかもしれない。

他の人は世界がどうやって見えているんだろう。どうやって感じてるんだろう。

私がつい最近気づいたこととかも他の人はすでに知っていたりする。

私は思ったよりも浅い人間なのかもしれない。

私は何もできていない。

何もできない大した事の無い人間だから、あんまり褒められると悲しくなってしまう。

職場の人は私の事をかなり褒めてくれる。けれど褒められるのは元来苦手だ。

そんな言葉で私の行く手を阻まないで欲しい。閉じ込めないで欲しい。

期待も重い。私は普通。特別じゃない。大した事ないんだよ。だから褒めないで欲しい。

自分の自分に対する評価と周りから受ける評価が違うだけでこうも疑心暗鬼になるのはなぜなのか。

大声で誰かに叱って欲しいけど私にそこまで興味を持ってくれる人はなかなかいない。

勉強しろってそういえば親に言われた事ないな。放任主義だから。

他人に親の代わりを求めるなって話だけど、でも誰かにどこかで叱って欲しいんだなあ。

 

なんか話が脱線した気がする。

でもとりあえず知識を深めるのに展示会や書籍やらでは足りないってことよな。

どうしたらいいんだろう。人生経験って一体何を指すの。

今日も開けた空に飛行機がたくさん飛んでる。

f:id:utsuligi:20170619024712j:plain

結局グレーに頼ってしまうのをどうにかしたい。

 

私は漫画を、まず登場人物を不思議な箱の中に放り投げて会話させて、後からお互いの主張を書き出して意味ありげに仕立てて辻褄合わせをする、というやり方でネームとプロット同時にやっているっぽいんです。最近は。

今はその辻褄合わせに忙しいです。

言いたいことから先に書くのでは無いのはなんだがセコイなーと思うのですが。

別に漫画は私の意見代弁させるツールという訳でもあるまいし。そういうのは文字で伝えた方がよりクリアに伝わるし。

私はキャラクターを売りたいわけでもなく説教垂れたいわけでもなく、物語を作りたいんだなあと思います。

こういうことがあって、この子はこう思ってこう言ったけどその人にとってそれはこう感じてそれから二人の関係がどうなって・・・

そういうのが淡々と描きたい。

 

けれど自分はまだまだ勉強不足で、描いてきた漫画を何一つ先生たちには見せられないなあと思います。

先生たちは皆博識で考え方感じ方がしっかりしてて、私の二倍の時間を知ってて。

そんな人たちが私の知ってる先生たちだけじゃなくたくさんいるわけで、その世の中の目に晒されて評価を受ける作品を作るには私はその器じゃないなあと。

器を大きくするための一年。

もう半年たったわけだけど。

ろくろ回しの方は順調であります。

ただそれがちゃんと吸収されて身になっているのかまだ証明できてないから不安だ。

無駄にはならないはず。

あとはもう少し私は苦労をして傷付かなければならない。

受けた傷を私は恥じない、むしろ誇る。

だからもっと人生に傷を増やして誇りと自信を纏いたい。

意図的なものじゃなく天然の物がいいんだけどそううまく壁があるわけじゃない。自傷行為は恥ずかしい。でも地獄に足を運んでいかないとだな。

 

うーんフリーターだと収入も少ないし時間も無い。

こうしている間に私は凝固して動けなくなる。

貪欲にならねば。。

f:id:utsuligi:20170616221721j:plain

バベルの塔展に行ってきた。

とても貴重な絵が来日したのだなあ。

絵の数はかなり少なくて、作者不明の作品で、量増しって言ったら失礼だけど、ブリューゲルを形作った時代と人々の紹介で場を繋げてる感は否めなかった。

まあ、仕方ないね。とにかく世界で希少な作者の絵が見れて良かった。

メインのブリューゲルバベルの塔の絵はもっとバーンと圧迫するようなサイズだと思ってたら案外こじんまりしたサイズ感で、その分書き込み量が半端じゃなかった。緻密も緻密。人々の営みがそのまま俯瞰されている。神様の目から見た光景みたいだ。

この前読んだ小説で「ありんこの巣は蟻が憎くて潰したいわけじゃ無くて、エサとか持ってあたふたしてる蟻が可愛くてそれが見たくて潰したくなっちゃう。だから神様も人間を滅ぼすときは可愛いんだと思う」みたいなセリフがあって、それを思い出した。

バベルの塔の神話をそのまま書き写したというよりは人間の営みの俯瞰がメインの作品だと私は思った。

 

まあ有名だしSNSの拡散もあってお客さんたくさんいて、版画の作品全然じっくり見られなかったな…。

版画も緻密ですごい変な生き物がたくさんいて可愛かったな。

ボスという画家が気になった。

卵の殻みたいな体の樹木人間の中身が居酒屋になっているっていうのがとっても移り気的にツボ。

印刷技術の発達で死んだ芸術。

版画すごいなあ。あんな細かいの。

 

あと最後の方は芸大生のバベルの塔拡大複製画があって、あれもすごかった。

映像作品も。3Dでバベルの塔を探検した気分になった。

悔しい。芸大はやっぱりすごいなあと感嘆せざるを得ない。

 

で、毎回おなじみのミュージアムショップのお土産。

そろそろちゃんとしたカメラを買って写真技術を上げたい。

版画の絵のノートとポストカードとマグネットとピンバッジ。

 

f:id:utsuligi:20170616221741j:plain

都美の前の花壇のライトがバベルの塔仕様になってた。こまやか。かわいらしい。

 

他にグループ展もやってたからそれも見た。

久しぶりに若い世代の現代芸術を見た気がする。退学した時以来だ。

まずその熱量というか、物質の調達にかかるエネルギーからしてもう私には追い付けない域なんだな。

お金の問題もあるけどメディアの知識とか入手の仕方とか。

出来る事が本当はたくさんあったんだなあ。。

やりたいと思ったらきっと何でもできたんだなあ。

あーー

嫌だなあ。同年代が憎たらしいなんて狭量だ。

写真の展示が多かった。

写真いいなあ。

なんか作りたいなあ。

 

 

全然ブログ更新してなかったや。何が日記なのか。

 

昨日は映画を見にいった。サスペンス映画。

ドキドキして面白かったけどいかんせん怖い。

のんびりとした映画の方が好きだなあ。

でも音楽というか音響の使い方がかっこよくて勉強になった。

思わせぶりなシーンの演出とか。

映画を見るのは実は死ぬほど苦手で、本当に椅子に縛り付けてくれないと見れないくらい自分からは見ない。

こうやって人と一緒に行こうってなれば見れるんだけど自分からは‥‥

ツタヤとかでDVD借りても結局見ずに返却することも一度や二度のことじゃない。

なんだろうね、見始めたら平気なんだけど、その前、見始めるまでがすごい勇気がいって。

本当はもっと映画見るべきなんだよなあ。

うう…結局地元の方の小さな劇場を見つけて入口の所まで行ったのに入れず仕舞いだったし…。

なんだこれは病気なのか。

話題の映画全部見てない。

克服してえ。

ファミリーレス

ファミレス行くとなぜか悲しくなる。

今日は父を除いた家族三人でファミレスに行った。

悲しくなった。なんか色々。

家族を見てると自分の底が知れるというか、いや、家族を自分という人間の尺度に使うなんて最低かもしれないけどさ…。きっと自分も周りからこういう風に見えているんだろうと思うと悲しくなる。

家族をばかにしているつもりでは無いけどでも私の好きな人間のタイプじゃないからなんというか悲しい。

うん、これはなんて最低な考え方だろうか…。

私は知識があってその量がオーラに重さとして出ているようなゆったりした人が好きなのかもしれない。

対してうちの家族は割とパリピ寄りで、

いや、昔はそうでもなかったんだよ。母がちょっと見た目にこだわる程度で普通の、普通の家庭。

でも今はなんだろ、母がツイッターにハマってからかなあ。

パリピみたいな喋り方をする。パリピ?なんだろう。うまく表せないけどなんだかいちいちくだらない事に騒々しい。

くだらない事っていうのは本当に中身の無い事。ちょっとした事に敏感になるのは良い事だと思うけど違うんだよ。そこには何もない。ただ、騒々しい。すっからかんを指さしてゲラゲラ笑ってるんだもん、何が面白いのか分からなくてでも自己主張もできないから合わせて笑ってみるけど悲しい。

あと個人的に食事中や前に写真ぱしゃぱしゃ撮ってSNSに上げる人は苦手だ…。

いや、私もそれはたまにやってしまう。控えようっと。

でも呆れた感じの悲しさだけじゃなくて他にも悲しい要因があった筈なんだけど、よく分からないまま帰ってきた。

家族って難しいね。

ていうか私が一丁前にクールぶってるだけなのかもしれない。

私が何も考えずにあの輪でわかめみたいに揺られていたら家族という体は保てるのかもしれない。

でも、ただ興味のピントが合わなかったんだ。これだけは確かな事だ。

 

難しい。どう思っていればいいんだろう。このまま家族を下に見るような常識的に最低な感じでいいんだろうか、それとも自分のこだわりや審美眼とやらを捨てるのがいいのか。

 

とりあえず私はたくさん勉強して賢くなろう。賢くなって作品を作る。それさえできれば私、今世は満足。来世はサバになる。